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「俺様は今週のイベントを走りたいのだ。桃木はそのままでも問題ないであろう」
勉強机の上でクニツルはそう言った。
空の部屋。
ベッドには陸が寝転がっている。陸はただここにいるだけである。話に入ることもなく、スマホに挿したイヤホンを耳にして動画を見ている。
空は勉強机の椅子であぐらをかいている。
空の後ろで床に座る小清水は、ジュースをコップに注ぐのが面倒になりペットボトルに直接口をつけて飲む。
空と小清水はクニツルが桃木に何をしたのか問いただしていた。
クニツルはこう答えた。
『性格を変えた。それと、悪い行いをしていた記憶を忘れさせた。その際に誤って友の記憶も変にしてしまった。すまん』
空は変にした記憶を戻してくれと頼んだ。
放っておくと金子や茶木、さらには椿沢にも迷惑がかかるからである。
しかし、クニツルはそれを拒否した。
「クニツル頼むよ」
「ええいうるさい! 俺様がまた力を使ったらまた寝込んでしまうではないか! そうなったらイベントを走れん! 終わってしまう! だから無理じゃ!」
クニツルの言っているイベントというのは、スマホゲームの期間イベントである。
期間中に一定のポイントを集めることによって報酬がもらえるというもの。
空はため息をついて小清水の方を見た。
小清水はラッパ飲みしているのを怒られるのかと焦り、すぐにキャップを閉めた。
「べつにいいよ。あとちょっとしか入ってないし」
「ははは……」
「どうしようか。クニツルがこれじゃあ桃木先輩はあのままだ」
「いいんじゃね? あのままでさ。ドスきいてる声じゃないし目つきも柔らかいし。まさに女の子って感じじゃん。ちょっと子どもっぽいけど」
「でも知り合いの記憶がなくなってるんだぞ? 俺みたいにさ……。俺は川谷さんだけだけど、先輩は学校の知り合いをほとんど覚えていないんだ。きっとすげー辛いと思う」
「うーん。まあ、そのイベントってやつが終われば戻してくれるんだろ? なあクニツル」
「む。――そ、そうだな。イベントが終わったらな。任せておけ」
空はクニツルの方に向き直り、目を細めた。
クニツルはいつも発言する際に自信をもって発する。しかし、今の発言には一瞬の間があった。
空はこれに違和感を感じたのだ。
「クニツル。もしかして嘘ついていないか?」
「な。――なにを言う。俺様は決して嘘などつかんぞ!」
空は顎に手を当てて、クニツルに顔を近づける。
「もしかして本当は戻せないんじゃないのか? もし記憶を戻す力があるなら、まず俺の記憶を戻してるよな? 記憶を消すことはできても戻すことはできない。どうだ?」
「…………」
クニツルはスマホのバイブレーション機能を使って振動を始めた。その振動により、少しずつ空の顔から離れていく。
そして机の端の方までバイブレーション逃走を謀る。
「課金は来年まで禁止だな」
クニツルの振動はピタリと止まった。
「空坊。降参だ。そして、空坊の言う通りだ。記憶を戻す力が俺様にはない」
「お前はやっぱり使えない悪魔だな」
「言い返せぬ。俺様は元々記憶などに干渉するのは苦手なのだ」
「なんなら得意なんだよ?」
「そうだな。分かりやすく言うと。ロールプレイングゲームがあるであろう? 俺様のロールはアタッカーだ。記憶をいじったりするのは後方支援系のロール。俺様とは正反対なのだ」
「要するに脳筋ってことだな」
「特攻は任せておけ!」
「開き直るな。……とりあえず来月の課金は禁止な」
「――な!? 空坊よ。俺様は頑張ったのだぞ……」
小清水がなにかを閃いたのか、少し大きめの声を上げた。
「なあクニツル。クニツルがアタッカーの悪魔ならよ、その後方支援系の悪魔もいるってことだろ? 記憶をいじるのが得意な悪魔がさ」
「ああ。もちろんいるぞ。一人だけだがな」
「じゃーさ、その悪魔に頼めばよくね?」
「…………それは無理だ」
「なんでだよ」
「――いや。その。あの。俺様は……そいつが苦手なのだ。それに今どこにいるかも分からんし、おそらく俺様には会ってもくれんだろう」
名案かと思われた小清水の閃きであったが、簡単に打ち砕かれた。
そして、空と桃木の記憶に関しては保留となった。
****
朝のホームルーム。
教壇には担任の藤崎園子が立ち、出席簿を力強く教卓に叩きつける。
入学したばかりのときは、皆これに恐怖を感じていた。
しかし、今はもうお馴染みとなっている。
「点呼取る前に重要なお知らせがある!」
藤崎は鉄パイプを掲げて言った。
生徒たちは騒がしくなる。
「転校生だ。男子は喜べー! 女子は妬むなよー! よし、入っていいぞ!」
この言葉でクラスは大騒ぎになる。
扉が開かれて転校生は入ってくる。
肩上の長さで揃えられた黒髪。前髪は作られておらず、サイドパートの分け目から耳にかけられている。
くっきりとした目。しっかりと上げられたまつげ。すっぴんに近いナチュラルな化粧。
ほとんどの男子がハートを打ち抜かれる整った顔。
すらっとした脚は黒いストッキングによって、より際立つ。
大騒ぎしていた男子たちはその転校生の容姿に言葉を失っていた。
「よし。自己紹介してくれ」
藤崎が転校生にそう言うと、転校生は黒板の前に立った。そしてチョークで名前を書いた。
そして、皆の方を向き口を開く。
「栗崎円です。東京からきました。よろしくお願いします。事務所の関係で転校することになりました。アイドルやってます。
仕事で学校にあまりこれないかもしれませんが、仲良くしてもらえると嬉しいです」
栗崎はハキハキとした口調で自己紹介をした。
アイドルという言葉でざわつくが、誰一人として栗崎のことを知る生徒はいなかった。
「よし。栗崎の席はー。――あ、机用意するの忘れてたわ。今持ってこさせるから」
「は、はい」
「小清水! どっかから適当に机と椅子持ってきて」
小清水は仕方なさそうに立ち上がる。
「うちの担任は人使い荒いよな」
小清水は空に耳打ちをした。空は返事をしない。
「小清水! なんか言ったか?」
藤崎は鉄パイプを小清水に向ける。
「いえ! 今すぐ机を調達してまいります!」
小清水は敬礼をした。
「栗崎。立ってるのもあれだから、小清水の席にでも座っててくれ」
「はい、わかりました」
栗崎は戸惑いながらも小清水の席へ向かう。
小清水は教室を出ていく。
「それじゃー点呼取るぞー。阿部!」
点呼を取る声の中、栗崎は空の横を通った。
そのとき、空は膝を机の下部に思いっきりぶつけた。
栗崎は驚き空を見た。
空はすかさず平然を装う。
栗崎はクスリと笑い、小清水の席に座った。
空は驚いたのだ。栗崎から漂っていた匂いに。驚きのあまり膝を強打してしまった。
シャンプーの匂い。ピッピ―マートでぶつかった女性からしていたあの匂い。
椿沢曰く東京でしか買えないシャンプー。
そして、髪の長さも肩上でそこまで長いわけではない。
空は思った。まさか。と。




