ユメの現実(エイトの場合)
一人で過ごすには広すぎる部屋。ありとあらゆる家具が揃っていて、一言何か求めれば、すぐに何でも叶う、そんな場所。
エイト様と呼ぶ男が、顔に刻まれたシワを一段と深くし、外を眺めるエイトの肩を叩いた。
「エイト様、婚約者様がお見えです、ご挨拶だけでも」
「婚約者? まだそんな関係でもないやろ?」
「時期にそうなります、そろそろお認めになられては」
「俺は俺の好きな人と結婚するんや、なんでこんな歳になってまで、親の言いつけ守らなあかんねん」
「仕方ありません。そういう運命でございます」
「運命ねぇ」
大きく息を吐き出したエイトは、窓から見える景色のずっと向こう、畑の広がるそこに、ぽつりぽつりと建つ家を眺めていました。
泥だらけの格好をした男達が畑を耕し、傍で女がその手助けをしているのです。その様子をただじっと、じぃーっと見つめるエイトは、目当ての人を見つけ、思わず立ち上がりました。
「アイネ」
「まだその方をお慕いなのですか」
「まだも何も、俺はずっとアイネしか見てない」
「身分が違います、諦めて下さい」
シワ深い顔を見つめ返し、少し睨みつけもして、エイトは再び腰を下ろす。幼い頃は日が暮れるまで遊び回ったのに、歳を重ねる毎に城中の人間は、エイトとアイネをなんとか合わせまいと、あれこれ理由をつけて、追い返していた。と、今頃になって聞かされたのです。
大好きなアイネと、幼い頃から結婚するんだと心に決め、エイトは頑張って来たのに、今度は婚約者だと他国の姫を連れて来る親父と、ついさっき喧嘩したばかり。
大して可愛くもない、どう考えても俺の身分だけしか見てない女なんか、俺には必要ないんだ。
「なぁ、ジジイ、お前がこの城継いでやれよ。そしたら丸く収まるって」
「何を訳の分からないことを仰っておられますか、じぃはただの使用人であり、お世話係でございます。そんな事、出来る理由がありません」
「融通の利かないジジイやな、まぁいい。俺は俺のやり方でこれからの未来決めるからな」
ずっと胸に秘めていた密かな計画。
誰にもバレないように、アイネと交わしていた文にだけ漏らした計画。
明日の夜、両親がいない間に、駆け落ちしよう。
たったそれだけのこと。
何とかして届けられるアイネからの返事には、いつだって不安と心配してくれる優しさだけが綴られていて、その優しさに尚更何とかしなければいけないという衝動に駆られていたのです。
「決して過ちを犯しませんように、お願いしますね」
説得しても親の決めた婚約者なんかに会わない、その気持ちを察したのかどうなのか、大きな溜息をつき、部屋を出ていこうとしたジジイと呼ばれた初老の男性は、それだけを告げ、今度こそ部屋を出て行ってしまいました。
「俺はお金も、地位も名誉もいらん。欲しいのはアイネの笑顔と幸せだけ……それだけでいいねん」
息を吐くように漏らしたエイトは、顔まで土をつけているように見える、少し向こうの畑にいるアイネを見つめた。向こうもこちらを見てくれた気が来て、思わず手を振った。
翌日の夜、本当に必要最低限だけを身に纏ったエイトは、一心不乱に走り出し、アイネの家の裏、アイネの部屋の窓を遠慮がちにノックしました。
いつもと同じ格好をしたアイネが、そっと扉を開き、エイトに少し緊張した面持ちを見せます。
「迎えに来たよ! さぁ行こう」
「でも……エイト、貴方には婚約者がいるって」
「そんなの知らん、俺はアイネ以外必要ないねん。絶対幸せにしてみせるから、俺を信じてくれ」
「……私でいいの?」
「当たり前や!」
小声で交わす会話の間も、エイトは周囲に気をつけながら、窓から抜け出すアイネの手助けをした。そっと抱き寄せ、手を握り、走り出す。
アイネの手には小振りのカゴが握られ、多分そこに最低限の荷物が入れられているのだろう。
「少し先に森がある、その近くにこっそり家を建てたんだ、一年もかけたんやで」
「私なんかのために……ありがとう」
暗がりであまりはっきり見えないけれど、それでも優しく微笑んでくれているアイネの温もりに、より一層握る手の力を強める。