ラウンジ組
「先月の模試、どうだった?」
梅雨の足音が間近に迫った頃、ついにその時がやってきた。川口の手には成績表らしい用紙と冊子が握られていた。
「もう返されてるの?」
彼は一階の事務室でそれを受け取ったことを伝えると、僕も貰ってくるように促した。彼の表情や雰囲気から良い成績をとったことが容易に読み取れた。周りを見渡すと、ちらほら成績表を広げている者を見とめた。僕は急ぎそれを受け取るべく、エレベーターを傍目に五階から階段を一気に下った。
エレベーターを待つのももどかしいと思えたのは決してその成績が良いものだと確信していたからではない。三月から積み上げてきたモノがどういう形で成績に反映されているか、それを一刻も早く知りたかったのだ。そうは言っても、内心ではそれが良いものだろうという期待は大いにあった。そうでなくては勘定が合わない。
一階に着くと、一目散に受付に走り、予備校の会員証を提示しながら事務員に成績表を渡すよう要求した。そして所望のモノを受け取ると、
――A A A A――
四つのAが目に飛び込んできた。詳しくは見ていないが、とにかくAなのだ。AからEまでのアルファベットの内、最高のA判定、合格圏を意味するA判定を貰ったのだ。心に歓喜の潮が満ちてきた。
そして次第にそれは顕示欲に変わっていく。この素晴らしい成績を早く誰かに伝えようと今度はエレベーターに飛び乗る。ラウンジには誰かいるはずだ、内心の歓喜を悟られぬように、自慢的にならないように自戒しながら、狭い空間で自分を落ち着かせる。そしてやおらドアが開くと、自販機でドリンクを買う平田を見つけた。彼もこちらを見とめると、
「成績優秀者のお出ましか。とりあえずこっち来いよ」
拍子抜けとはこのことだ、なぜ成績が知られているか事態を飲み込めぬまま、彼についていく。ラウンジはいつもよりうるさく、各所で成績談義に花を咲かせているようだった。
そして僕が連れていかれた先は間違いなくその中心だった。男ばかりが五、六人、成績表を見比べてはああだ、こうだと話をしている。そこにはいつもここを根拠地とし、喧しくしている男が二人、ドカッと座っている。一人は河辺と言ったか、同じクラスの人間だ。もっとも授業で見かけたことはないが。そしてもう一人も名前は分からないが、顔は知っていた。あれだけ喧しくしていれば嫌でも覚える。平田が彼らに僕を紹介する。この二人を中心とする「ラウンジ組」とは縁遠いものとばかり思っていたが、まさか今日知り合うとは夢にも思わなかった。金髪でいかにもヤンキーの容姿をしている両氏に少しビビりながらも、席に座る。
「成績、どんなだっだ?」
河辺が問う。恐る恐る成績表を渡す。
「おお、すごいじゃん! 全部、A判定!」
素直な賛辞に照れを隠せない。
「冊子に名前載ってるぜ!」
まさか、と思ったが、示された先に自分の名を見つけた。嬉しさよりも驚きが先走り、二の句が継げない。そしてよくよく見ると、自分の名前の五、六番上に平田の名前があり、更にそこから三、四番先に河辺の名前があることに気付いた。青天の霹靂とはこのことだ、平田はともかく河辺が優秀であることに形容しがたい驚愕を覚えた。
「石原さんも載ってたぞ」
もう一人の金髪は石原というらしい、理系の成績優秀者欄に彼の名前を見つけた。他の四人も冊子には名前がなかったが、それに準ずる成績を取っていた。人は見かけによらないとはよく言ったもので、「ラウンジ組」は成績優秀者集団だったのだ。
彼らは今回の模試の反省会もほどほどに、六月下旬に行われ「全国模試」、そして八月の大学別の「実戦模試」を話題に出していた。そこから察するに、今回の模試の結果はあまり意に介してないようだった。それどころか、成績が良くて当然といった雰囲気が嫌味なく伝わってくる。そんな彼らを目の当たりにし、先程までの浮かれた自分を恥じると同時に、高い目標に向かうためにはそれ相応の高い意識が必携であると再確認させられた。もちろん結果が出たことは素直に嬉しかったが、それを超えた焦燥感が僕を勉強に駆り立てる。
「そろそろ自習してくる」
そう言い残すと、充実した異文化交流を終えた。長い浪人生活、一度の模試が良かったくらいで浮かれてはいけない。とにかく次だ、その思いが殊に強くなった一幕だった。