浪人の意味
いつもよりガランとしたラウンジで昼食をとる。報告を終えてからこの時間まで自習をしていたのだが、全く集中できず、昼食までの時間をただやり過ごす格好になってしまった。やはり早くに決断しなければ、ある種の焦燥感に駆られる。
「おう」
すると目の前に村野が現れた。表情は固く、暗い。希望もへったくれもないといった具合に。僕はそんな彼を目の当たりにするや否や、昨日のことを咎められるのでは、と身構えた。
「もう報告行った?」
「ああ、かなり並んでたよな……」
彼の問いかけに愛想笑いを添えて答える。しかし彼はニコリともせず、テーブルを見つめながら弁当をつつく。そしてしばらく沈黙が続く。
(やっぱり怒ってるのかな……)
何も気にしない風を装いながらも、内心は罪悪感で胸が痛い。彼は何を思っているのか、それだけが気がかりだ。すると彼の口からポツリ、
「オレ、医学部受けるの諦める」
現実というのは無情かな、あれほど威勢の良かった男を屈服させ、妥協させた。
「それで国立の歯学部を受けるんだ」
「そうなのか……」
言葉に窮する。そして身につまされる。夢と現実の折り合い、彼はもうつけてしまった。僕はどうだろう、簡単にできるだろうか。
「お前はどうするの?」
その答えは自分にも分からない。自由裁量であるからこそ難しい。誰かが決めてくれたらどんなに楽なこと、そればかり思ってしまう。
「それは……」
すると突然、
「当然、そのままだよな!」
後ろから声が飛んで来た。驚いて振り返ると、そこには平田が立っていた。
「びっくりした~」
「ごめん、ごめん!」
そう言いながら僕の隣に座る。
「で、さっきの質問の答えは?」
「えっ?」
「まさか迷ってんの?」
「……」
その様子を察したのか、平田は言葉を選んでいるようだった。そして、
「まあ変えてくれるのならこっちは万々歳さ。ライバルが減るのは好都合!」
半ばふざけるように言い放つ。僕は何も言えない。だがその言葉に怒ることもなければ、悔しく思うこともない。感情の真空状態、それに近かった。
「志望校変えるほどセンター悪かったとか?」
先程とは打って変わって真面目に聞く。
「う~ん……」
そう言えば平田の点数がいかほどか、聞いていなかった。現在興味があるとすればそこだけだ。
「お前は何点だったの?」
「八一〇くらい」
サラッと言ってのけたが、やはり平田は好成績を残していた。しかも僕自身の目標点はまさにその点数だったため、素直に羨ましかった。
「お前は?」
「八〇〇弱くらい……」
「ならいいじゃんか! 何を迷う必要がある?」
本当にその点数なら僕も迷わない。そうではないから困っているのだ、迷っているのだ。
「もったいないな~」
吐き出すように漏れたその言葉は平田の本音のようにも聞こえる。ここで退くのは「もったいない」のか――。
「そう言えばお前はどうすんの?」
平田は村野に話を振る。
「……歯学部に決めた」
「ほーん、歯学部なのね。まあどっちも格好は似てるしいいんじゃない?」
そう言って笑う。村野も少し笑みを浮かべる。
「それは適当すぎるだろ!」
「オレ、文系だもん。理系のことはよく分かんねえし……」
二人して笑う。僕も釣られて笑う。
「まあ、お互い後悔しないように選びましょうや」
そう言い残すと、平田はその場を立ち去った。
後悔しない選択――。そうだ、それなのだ。その言葉を耳にした途端、目の前が開けた気がした。そもそもこの身分に甘んじたのも不合格を受け入れられず、もう一度挑戦することを決めたからだ。あの時抱いた初志を、この一年間を支えてきた信念を、今更曲げるわけにはいかない。当落は時の運、だが失敗を過剰に恐れるあまり、挑戦をやめることはあってはならない。それこそ一年間の努力を踏みにじる行為だといま気付かされた。腹は決まった。今までと変わらず、この先の景色を求めて走り続けるだけだ。