予備校初日
翌朝六時を回った頃に起きた。朝に弱い自分にとってみれば殊勲ものである。
雑事を済ませた後、朝食に向かうまで英語の勉強に取り掛かった。英語は早朝、遅くても午前中勉強する、これもルーティーンの一貫だった。一口に英語の勉強と言っても起床して間もなくは頭の回転が鈍く感じられるため、英単語や文法の類に手をつける。
やがて七時になると隣室を訪れ、川口とともに朝食に向かう。そこで新たに村野と丸井という二人組と知り合い、四人で予備校へ行く運びとなった。
村野はこれといって特徴のない、強いて挙げるならば、髪を茶色に染めた、大学生のなりそこないみたいなヤツだ。国立大学の医学部を目指しているとのことだった。
一方、丸井は実直そうな容貌に、黒縁メガネが映える男で、理系なのだそうだ。こうして新たな人間関係が構築されていく。ともに苦境を凌ぐ友人が増えることはとてもいい気分だ。そんなことを思いながら予備校に赴く。
予備校に着くと、昼食で落ち合うことを約束し、各々の講義が行われる教室へ散り散りになった。そもそも予備校の講習は各人の選択した講義を自由に組み合わせる形態で、大学のそれと同じだ。故に文理、志望校の違いで時間割は大きく変わる。そんなこともあり、講習期間中は昼食の時間だけ集まることが半ば慣例化していく。当然、付き合う人間も変化してくる。
それはさておき、この時をもって、僕は正真正銘の「予備校生」になったのだ。
昼食の時間になり、約束の場所に向かう。久々に授業というものを受けた代償か、いやに身体がこわばった。昼休みともなると、各教室の人間が一斉に移動するため、大行列が発生するのもしばしばだ。その列の進むことの遅さといったら一秒間に一センチ動く点Pに比肩するとさえ思われた。その波に巻き込まれ、辟易としながらも最上階のラウンジに辿り着く。そこも大方予想していた通り、予備校生でごった返していた。そんなラウンジの一角に川口らを見留めると歩みを進めた。そこには顔見知りの三人に加えて、見知らぬ男が二人、会話の輪の中に入っていた。
どもっす、と軽く会釈をし、席に着くと、川口から簡単な他己紹介が入った。彼らはどうやら川口の高校の知り合いだそうだ。そしてその二人のうち、一人は自分と同じ文系で、志望校も同じであった。
受験を打算的に捉えるならば、彼は敵である。しかし不思議とそのような考えは浮かばず、ただ純粋に浪人時代を生き抜く仲間を得た安堵に包まれた。話もほどほどに午後から授業のある者は階下に下り、ラウンジも幾分かガランとした。僕は、と言えば、午後から授業はなく、寮に帰るのも早すぎるようで気が咎めたので、自習室に向かい勉強することにした。
そしていやに静かな部屋の扉をそっと開けると、驚くべき光景が眼前に広がっていた。
予備校の自習室たるもの、皆がみな、一心不乱に勉強に打ち込む苦行・鍛錬の場だとばかり思っていた。
――だが現実はそうではないらしい。
寝ている者、上の空の者はおろか、場所取りだけして退室している者まで散見された。そんな惨状を傍目に席に着き、自学に取り掛かった。現状努力できない者などまた痛い目を見ればいいさ、自分は彼らとは違うのだ、と自分に言い聞かせながら、またその言い知れぬ苛立ちをぶつけるように黙々と机に向かった。
予備校の闇を垣間見た一日だった。