歪み
「時が経つのは早いなぁ……」
模試の前夜、食堂にて川口が独り言ちる。八月も半ばに差し掛かり、センター試験まで五ヶ月、二次試験まで半年の時点にあった。
「岩ちゃん、明日模試だろ? いけそう?」
村野が軽やかな口ぶりで問う。どうも一週間前に受けた模試の手ごたえが良かったらしく、それからというものの、調子が良さそうだ。
「ん~、どうだろう……受けてみないと分かんないかな」
自信なさ気に言葉を濁す。しかし、内心は違う。これまでになく隙のない準備をした。明日が本番でも勝負になると思えるほど自信はあった。それに加え、梨華ちゃんへの恋心は日常生活を色鮮やかなモノに変えていった。学習面でも精神面でもこれまでになく充足した状態で上半期の腕試しに迎える。明日が来るのが楽しみなくらいだ。
「う~す」
向こうから平田がやって来るのが見えた。最近、この時間帯に食堂で見かけることはあまりない。一週間前に語気を強めたこともあり、きまりが悪い。
「平田、明日模試だぞ? まさか知らないってことはないだろ?」
川口が半笑いで問いかける。その言葉を聞くと大げさに驚いた表情をして見せ、
「やべっ、明日だったっけ? すっかり忘れてた!」
彼はそう宣うと同時に一同に笑いを起こした。
「お前、全然余裕だな!」
笑いながら村野が言う。そして調子に乗って続けた。
「さっき岩ちゃんが平田には勝てるって吹いてたぜ!」
それを聞くや否や、平田の表情が明らかに曇った。目つきからいつもの親しみやすさが消えていた。僕は焦って、村野をたしなめようとするも、間を置かずに、
「あんまり調子に乗るなよ」
先程とはトーンの下がった声で言い切った。それは静かな闘志に満ち溢れ、負けるわけがないだろうという確信を含んだ口ぶりだった。ただならぬ雰囲気に、冗談のつもりで発言した村野は場を取りなそうと必死になっていた。その傍らで平田の様子もいつものそれに戻っていた。
「明日はちゃんと起きないとな~」
そう言って平田は部屋に戻って行く。それに続くように一同も散会した。
部屋に戻り、床に就いたのはいつもより早い十一時過ぎだった。目を閉じて眠ろうとするもうまくいかない。脳裏に浮かぶあの眼光、敵意に満ちた、冷淡な視線がこちらを捉えて離さなかった――。




