出会い
やや膨れ気味に歩道を渡り切ると、右手にカーブ、最後の直線は百メートル、前を行く歩行者を捌きながら、必死にゴールを目指す。連日続く猛暑の中、コンクリートアイランドを疾走するその躯体に汗が滲む。しかしその努力も虚しく、ゴールになだれ込んだ頃にはタイムアップ、講習開始時間を過ぎていた。
僕はとても焦っていた。これまで講習という講習には遅刻してこなかったこともそうだが、今日の講習は厳しいことで知られている講師の受け持ちで、講習開始時間と同時に内鍵をかけられてしまうため、遅刻者は締め出されてしまうのだ。一縷の希望を胸に階段を駆け上がり、教室に急行した。そして教室後方のドアに手をかける。
(開いてくれよ……)
力を込めた右手に拒絶とも取れる手ごたえを感じた。
(マジかよ……)
事情はあるにせよ、ここにきて初めて講習をサボってしまった。何とも言い難い口惜しさに襲われる。
「締め出されちゃったね……」
突然、背後から声がした。びっくりして振り返ると、顔馴染みのない女の子だった。
「ホント、まいっちゃうよね~」
小気味良い声で話しかけてくれているのに頭の会話処理が追いつかない。考えてみれば、この身分に成り下がってからというものの、異性と接する機会はほぼなかった。異性対人スキルが著しく低下してしまっていたのだろうか。
「そうだね……」
動揺を隠しきれない様子で、取り敢えず応答した。こんな発展性のないぶっきらぼうな返答ではなく、もっと上手い返しがあったのではないかと、即座に脳内反省会を開く。
「今から自習するの? それとも帰っちゃう?」
更なる会話が続く。
「ん~、どうしようかな……そっちは?」
相手の視線を交わしながら、質問を質問で返した。会話の作法としては最悪な部類だろう。
しかし彼女は特段気にすることはなさそうに、
「せっかく予備校まで来たし、自習して帰ろっかな!」
「岩倉くん、もし良かったら勉強教えてくれない?」
「英語でわかんないところあるんだ~」
「あっ、わたし、尾関梨華って言います! よろしくね!」
懐疑、驚嘆、歓喜……頭の中が様々な感情で混沌としていた。いろいろ聞きたいことはある。だが快諾以外に選択肢はなさそうだ。色白の端正な顔立ちに、浪人生には珍しく黒髪のセミロング、ラフな格好の夏服からのぞくすらっと細い手足、そして何と言っても会話の度に見せる笑顔にやられてしまった。異性対人スキル云々の話ではない。頭のてっぺんからつま先までを貫く感覚、これが人生で初めて味わう一目惚れの衝撃なのか。
「いいよ!」
食い気味に返したことを反省する間もなく、
「じゃあ、行こっか!」
彼女と横並びで階上に向かう。講習をサボってしまった罪悪感の行方は知らない。数分前とは打って変わり、晴天に突き抜ける歓喜が全身を纏った。
今まで背負い込んできた自制という重りを置き去りにして――。