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蛹の夢  作者: 金王丸
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入寮

 麗らかな春の昼下がり。例年より低い気温は未だに冬の名残を感じさせた。それと呼応するかのように、僕のテンションもすこぶる低く、冬の挫折を引きずっていた。春といえば、世の人々に、新年度への期待と不安が入り混じる不安定な心地よさをもたらすものだ。去年までの僕も例外なくそうだった。しかし、今年に限っては違った。言うなれば、不安一色の安定状態である。今年も去年と同じ、またはそれ以上のプレッシャーの中で受験勉強をしなければならないことに暗澹たる思いすら抱いた。懸案だった予備校選びも一段落し、春季講習の開始を待つ日々。とりあえず机に向かって見るものの、参考書の字面を追うだけで少しも身にならない。歯がゆさに爪を噛む。このままでいいのだろうか、底知れぬ不安が蠢く。しかもそれは勉学に限ったことではない。予備校に通うにあたり、寮に入ることが決まったのだ。予備校生活とそれに伴う寮生活――。急激な環境の変化は自分にどのような影響を与えるのか、想像も出来ない。


 「問題集でも見に行くか……」


 そうつぶやくと、気晴らしも兼ねて書店に出かけることにした。自室の本棚には新しい問題集ばかり並んでいた。



  「これで全部だ……」


 地方中核都市の中心地に佇む新たな拠点に荷物を運び終えたのは一時を回った頃だった。同じく入居する予備校生がちらほら見受けられたが、思いのほか多くはない。彼らも僕と同様に自室に荷物を搬入する作業にあたっていたが、一様に浮かない表情だった。僕の内心は勉学に対する切迫感を感じるより、むしろ早く友人を作らなければならないという使命感に駆られていた。両親も去り、備え付けの家具と所々に口を開いている段ボールがあるほか、ガランとした部屋に一人、所在なく居る。

ああ、早く誰かと口をききたい、肥大する孤独感を撃退するには現状、それが最善の方法だった。すると静まり返った自室に隣の部屋からの物音が響いた。正確に言えば響いたというほどのものではなかったが、耳をそば立てなくても聞こえてくる。生来神経質な僕ならば不愉快に思うだろうこの雑音も今日に限ってはそのように思えなかった。むしろ不思議と安堵の心地よさすら感じられた。


 (後で挨拶にでも行こうかな……)


 立て込んでいる時に行っても申し訳ないと思い、隣の搬入作業が終わるのを待つ手持無沙汰に机に向かう。胸に心地よい緊張を覚えながら問題を解き進める。合格発表から早一週間経つが、勉強がこれほどまでに捗るのは久しぶりだった。時節、隣の物音を窺いながらなすべきことに没入する。この有意義な時間は日が傾くころまで続いた。



 夕食の時間が近づくにつれ、気持ちが落ち着かなくなってきた。隣室の様子が気になってしょうがなかったのだ。どのタイミングで隣室を訪れようか、そればかり考えていた。次第に勉強に対して気持ちが向かなくなり、仕方なく部屋の片付けにかかった時、いきなり部屋のチャイムが鳴った。その音を聞くや否や、恐る恐る玄関のドアに向かい、扉を開けると、色白でひょろ長く、どこか幸薄そうな容貌の男が立っていた。


 「今日から隣に住むことになった川口です。これからよろしく」


 突然の来訪に驚いたものの、不思議と肩の荷が下りた気分だった。

 

 「岩倉です。こちらこそよろしく」


 「もし良かったら夕食食べに行かない?」


 「いいよ! 行こう」


 相手からの誘いに快く応じる。ひとまず新たな人間関係を築けたことに気持ちが落ち着いていくのを感じた。それからというものの、食事もそこそこに様々な話で盛り上がった。出身高校の話を皮切りに、志望校の話、高校時代の話など話題は尽きなかった。最後は食堂のおばさんに急かされるようにして散会となった。別れ際、と言っても部屋は隣同士なのだが、明日から始まる春期講習へ一緒に行く約束を取り付け、各々の部屋に帰っていた。部屋で一人になると、言いようもない充足感に満たされている自分に気付いた。幸先のよさに気分が弾む。


 就寝までの約三時間、入浴、部屋の片づけ等、為すべきことは全て為した。もちろん寝る前に勉強もした。これは現役時代からのルーティーンなのだが、寝る前は暗記物と決めていたので、粛々とそれをこなした。寝る間際、明日からの一年弱、悔いが残らぬよう、勉強に精進することを心に誓い、床に就いた。


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