不合格
かれこれ小一時間は経っただろうか、僕は相も変わらず目の前の現実を直視できないでいた。自室には他律的に点滅を繰り返すパソコンと自分との世界が展開している。その画面に並ぶ幾百の数字はその持ち主の努力に対する最大の報酬に違いなかった。
手元の番号と掲示の証明――。
現在、僕がなすべきことはそれだ。だが現実にはそんな簡単なこともできず、まるで檻の中の虎のように自室をそわそわ漂う。すると突然、机に置いてあった携帯電話が短く震えた。
音の種類から察するに友人の谷中からのメールらしい。
『どうだった?』
合か否か――。僕は戸惑った。というのは、この短い文面の裏に隠された真意を汲み取りかねたからだ。落ち着かない頭で考えるも、からきし見当もつかない。こちらでメールを留め置き、事態を静観しようかとも思ったが、オウム返しに返信することで相手の出方を探ることとした。
『お前はどうだった?』
送信完了の文字を認めるや否や、携帯電話を寝床に投げた。そして自分もそれに続いた。実に様々なことが頭を駆け巡る。しかしそれらの何ひとつとして思考に訴えてこない。文字通り徒競走とも言うべきか。ただ唯一確実になさねばならぬことは現実との対峙だ。再度携帯電話が震える。恐る恐るメールを開き、できる限りの薄目を以って内容を確認する。
『ダメだった』
自分の中に安堵の帳が下りた。本来悲しむべき友人の不幸を悲しいと思えない自分に気付く。
そしてゆっくりと目を閉じる。春から送るであろうキャンパスライフから彼の姿を消した。あまり遊びには誘うまい。なぜならば彼は浪人生だからだ。夏休みには彼の予備校に行こう。激励の言う名の茶化しである。もちろん友人として、先輩として、受験の相談にも乗ってやるつもりだ。
とにもかくにも彼は浪人生になったのだ。
そう思うと、画面の前でうじうじとしているのが馬鹿らしく思えてきた。彼の、おそらく人生最大の挫折は、僕を行動的にした。おもむろに立ち上がると、先程からは打って変わったような、軽やかな足取りでパソコンに向かう。そして画面に並ぶ数字から自分のモノを探す。目は無機質な数字の羅列をうつろに追う。
――ない、ない、ない――
二度、三度と見直す。念のため、年度と科類も確認する。そしてツーンと耳鳴りを覚えた後、非常な現実を理解するに至る。しかし思ったほどのショックはなかった。むしろ憂い事が吹き飛んだことで心持ち軽くなった気分だ。一方でそれとともに、これまで内心に思い描いていた、今年度のキャンパスライフは春の霞の如く、消え去った。
『予備校どうする?』
そう短く返信すると、目をつぶった。一眠りして次の行動に移ろう、そう決心した。しかし眠れない。極度に興奮した五感がそれを妨げるのだ。まことに不如意ながら、自分の五感に負ける形で、やおら起き上がると、部屋の片隅に積まれた予備校のパンフレットに手を伸ばした。
その夜の食卓は沈黙に包まれていた。両親は僕に気を遣ってか、はたまた倅の情けない結果に憤っているのか、押し黙っている。彼らの胸中は図りかねた。一方、僕は結果を出せなかったことに申し訳なさを感じながらも、彼らの対応を快く思わなかった。曲がりなりにも目標に向かって努力をしてきた息子に対し、どうして慰めの言葉ひとつもかけられないのか、そのようにさえ思った。改めて思えば、それは敗者にあるまじき傲慢な思考に過ぎないのだが。ただそんな思いとは裏腹に、
「今年の入試の合格点見た? 異常に高かったらしいぜ。あれは無理だね」
媚びを売るようなニヤつきとともに、胸に秘めていた本音をぶちまけた。事実、合格点は想定をはるかに超えて上がっていたのだ。それは自分の実力では到底取れないような点数であった。言い訳がましくなるが、紛れもない事実なのだ。すると黙々と箸を進めていた父は聞き捨てならないという風に箸を止め、途端にこちらを見やり、
「合格したヤツはそれより点数とってるんだろ?」
「そんな甘さが結果に表れてるんじゃないのか?」
「そんなことよりお前、お願いしなきゃいけないことがあるだろ」
僕を叩き切る。鮮やかな一刀両断ぶりにすがすがしささえ感じる。僕はあっけにとられる間もなく、胡坐を解き、正座に居直ると、ひと思いに、
「浪人させてください! お願いします!」
こうして、僕の浪人生活が幕を開けた――。