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桜餅




 それは、ある晴れた日の昼下がり。

 窓から差し込むぽかぽかとした柔らかな日差しに、俺と陽海は散歩に出かけることにしたわけなのだが――…


「陽海、まだか?」

「んー…トカゲさん、外どうです? 寒そうです?」

「俺にそれを聞かれてもなあ」


 陽海は上から何を羽織るのかで悩み顔だ。

 俺は外に出るとなっても、羽をしまってリードをつけて貰うだけで済むのだが、陽海の方はそう簡単にはいかない。

 身だしなみを整えて、外に出られる服に着替えて、と身支度に時間がかかる。

 また、何を着るのか、というのはただ着飾るという以上に、外気温に影響を受ける人間にとっては体温を保つための調整という意味合いもある。

 そうなってくると、俺にはお手上げだ。

 やたら頑丈な俺にとっては、今のところこの日本の気温はどれも『適温』の範囲内に収まってしまうため、寒いとか寒くないだとかの基準にピンと来ないのだ。

 いっそのこと数字ですべて決まる、のであれば俺にもまだ判断が出来るのだが、日差しの具合や風の強さや風向き、はたまたその時の陽海の状態でも「寒い/寒くない」の判断は変わってしまう。

 そうなるともう難易度が高すぎる。

 そもそも、その判断は陽海自身であったとしても難しいものらしい。

 今も陽海は春物のコートを出すか、寒さに備えて冬物のダウンコートのままで行くかで悩んでいる。


「途中で汗かいて脱いで荷物になるのも嫌だし……でも思ったより寒かった、ってなるのもなァ……」


 両方のコートを手に取って比べる陽海は真剣だ。

 俺にとっては些細な気温の変化だ。

 けれど、そんな些細な変化にすら影響を受けるからこそ、陽海たち人間の生活は気温に合わせた創意工夫に満ちている。

 そうやって着る服を選ぶのもなんだか楽しそうだと言うと、陽海からは面倒ですよ、と渋い声が返ってきた。


「今日はあったかいなーと思って油断すると、家を出て歩き始めて10分ぐらいしたあたりで『おや、寒いな……?』となってその日一日何故この上着にしてしまったのかと後悔する羽目になったり、逆に厚着しすぎて蒸れまくってぐったりしたり、いろいろ大変なんですから」

「でも、陽海が着るものを変えるのは、見ていて楽しい」


 身に纏う色合いで、雰囲気が随分と変わるのだ。

 そう言うと、陽海は少しだけ照れたように黙りこんで、いつもより時間をかけて着るものを選んだようだった。

 濃い茶の長袖の上から、少し明るいピンクの混じったベージュのコート。

 落ち着いた色合いの中に、可愛らしい雰囲気が溶け込んでいる。

 寒い間は黒や茶、濃紺という色合いが多かったからか、陽海のその装いはなんだかとてもまぶしくて、服としての布地は減ったのに、どうしてか黒のもこもこしたダウンよりも暖かげに見えた。

 そんな陽海の肩に乗せてもらって、のんびりと散歩に出発する。


 散歩といっても、基本的に歩くのは陽海だけだ。

 俺は大抵の場合陽海の肩に乗せてもらっている。

 歩道といえど自転車などが通ることがあり、うっかり俺が轢かれでもしたらマズいからだ。

 おそらく俺は無傷ですむが、それはそれで人目を引いてしまう。


「あー、春物のコートで正解でしたね。風が少し冷たいけれど、お日様がぽかぽかしてあったかい」

「(ウン)」


 日差しはぬくぬくと温かい。

 陽海の言うように、吹き抜ける風にはまだ少し冬の名残が見え隠れしているものの、今日は随分と温かくなったように感じる。

 平日の日中ということもあって、すれ違う人も疎らだ。


 俺と陽海の散歩には、特に目的らしい目的はない。

 

 あえて言うなら、息抜き、だろうか。

 外の空気に触れ、日差しを浴びて歩くこと自体が目的といえば目的なのかもしれない。

 コースは大体決まっていて、いつもなら商店街を抜けて駅前へと向かい、そこから来た時とは違うコースで部屋へと戻る。

 ゆったりと歩いて、大体30分ぐらいだ。

 途中寄り道があれば、一時間前後になる。


 前に一度天気の良い温かな日に、駅前の小さなお店で、陽海がタイ焼きを買ってくれたことがあった。


 部屋に戻るまで我慢せず、近くの公園のベンチに座って二人で半分こにして食べたのだ。みっちりとあんこの詰まったタイ焼きは香ばしい皮のもちもちとした食感と、ほくほくと甘いあんこの相性がとても素晴らしい。

 

 ほこほことタイ焼きから白い湯気が上るのが見えるような寒さの中、二人で身を寄せ合って食べたタイ焼きはとても美味しかった。


 ちなみに、陽海はタイ焼きはしっぽ派なのだそうだ。

 一般的にはタイ焼きを半分こにした場合には、あんこがたくさん詰まった頭の部分の方が良い、とされているのだそうだが、陽海はしっぽのあんこと皮の比率がちょうど良く感じるらしい。

 そう言われると、今度は俺もしっぽが食べてみたくなる。

 次は交換しましょうか、と言われて頷いたのが少し前のことだ。

 

 今日は、陽海はタイ焼き屋さんに寄るだろうか。

 寄ると良いな。

 

 陽海の肩の上でそんなことを考えながらゆらゆらとしっぽを揺らす。

 と、そこでふと陽海が足を止めた。

 目の前には、桃色の花がたくさん描かれた旗飾りがひらひらと揺れている。


「(陽海?)」

「そっか、今日って雛祭りだったんですね」

「(雛祭り?)」

「そういう季節の行事……ですかね。あ、ちょっと和菓子屋さんに寄っても良いですか?」

「(ウン)」


 陽海は俺を肩から下ろすと、リードの端っこを店の名前の描かれた旗飾りのポールへと結びつけた。

 少しだけ待っていてくださいね、と声を残して、陽海が店の中へと入っていく。

 商店街の散歩はたくさんの人や面白いものを見られて楽しいが、こういうとき陽海と一緒にお店の中に入れないのが残念だ。

 なんでもペットを連れて入れる店は少ないのだそうだ。

 俺はガラス越しに店の中を眺める。

 和菓子、というからにはお菓子を取り扱ったお店なのだろう。

 確かタイ焼きも和菓子だったはず。

 この店でもタイ焼きは売っているのだろうか。

 俺は注意深く探してみるものの、窓から見える範囲に飾られている商品はどれも丁寧に包装されていて、中身がわからないようになっている。

 あの柔らかな色合いの紙包みの中には、一体何が入っているのだろう。


 そんなことを試案する俺の傍らを、ささっと通り抜けていく人影があった。

 

 小柄な女性だ。

 陽海よりも随分と年上だが、その分縮んだのではと思うほど小柄だ。

 それでも萎れた印象はなく、すたすたと正面カウンターに向かう足取りはしっかりしている。

 彼女はそのままレジに並ぶ陽海へと声をかけたようだった。

 陽海もまた、笑顔で言葉を返している。

 知り合いだろうか。

 店の人が商品を包む間、二人は何事か言葉を交わしている。

 そのうち女性の方が、けらけらと明るく笑いながら、片手で軽く陽海の腕に触れた。それに対する陽海は、眉尻をへにゃりと下げて少し困り顔だ。

 何を話しているのだろう。

 耳を澄ます。


「陽海ちゃんも早くご両親を安心させてあげないと」

「はあ……」


 そんな会話が聞こえてくる。

 聴こうとさえ思えば、わりとなんでも聞こえる耳である。

 もしかしたら見ようと思えば、紙袋の中の和菓子も見えるのかもしれないが、今はそんな気にはならなかった。

 会計を終えると、陽海は失礼にならない程度のそそくさと具合で店の中から出てきた。

 そして、俺へと視線を落とす前に、はー、と一度深いため息。

 心なしか、肩も下がっている。

 

「(陽海?)」

「ああ、お待たせしました」


 屈んだ陽海が、ポールに結び付けていたリードを解いて俺の身体をそっと抱き上げてくれた。

 いつもならそのまま腕を持ち上げて俺を肩へと誘導するのだが、今は腕に抱いたままだ。


「(何か、嫌なことでも言われたのか?)」

「ンー……嫌なことを言われた、というか現実と向かい合ってしまった、というか」


 そんなことをぼやきながら、陽海はゆっくりと歩きだす。


「今日はね、雛祭りなんですよ」

「(ウン)」


 店に入る前の陽海も、そんなことを言っていた。


「雛祭り、っていうのは女の子の健やかな成長を祈るための行事で。そうだなあ……特に年齢制限があるわけじゃないんですが、女の子が小さいうちに祝うもの、かな」

「(ふんふん)」

「雛人形、っていうお人形を並べて飾って、甘酒飲んで、雛あられと菱餅食べて――……あと、散らし寿司かな」


 甘酒。

 菱餅。

 雛あられに散らし寿司。

 陽海の口から語られる食べ物は、どれも美味しそうだ。

 だが、それを語る陽海の声音はどうしてこんなにも苦いのだろう。


「で、まあ」


 見上げる先で、陽海の眉尻が下がる。


「その雛人形というお人形は、大昔の結婚式の様子を再現したものなんです」

「(ウン)」

「だからなのかな。お人形には片付けなければいけない期限が決まっていて、その期限内に片付けないと、女の子はお嫁に行けなくなる、もしくはお嫁に行くのが遅くなる、っていうジンクスがあるんですよね」

「(ウン)」

「だからまあ、雛祭りには将来幸せな結婚が出来るように、ってのを願掛けるような意味合いもある、というか」


 はあああああ、と陽海はまた深いため息をついた。


「私、もう27歳でして」

「(ウン)」

「アラサーでして」

「(そうなのか)」


 アラサー、というのが何なのか知らないが、とりあえず陽海がその『アラサー』という言葉に該当する、ということだけは把握した。


「私のね、同年代の女の子たちは、大体結婚してたり――…結婚しようと頑張っているものなんです」

「(…………ウン?)」


 俺は内心首をひねる。

 俺が知っている結婚、というのは、好きな者同士が結ばれることだ。

 誰かを好きになって、好きになったからこそ、結婚したい、ずっと一緒にいたい、と思うものではないのだろうか。


「だからさっき和菓子屋さんで会った方……まあ、ご近所さんなんですが。あの人にも、早く結婚しないとね、と言われてしまいまして」


 ますます、よくわからなくなる。

 好きな人がいるから結婚したい、ならわかる。

 だが、何故「結婚しないといけない」ということになるのだろう。

 俺が解せぬ、という顔をしているのがわかったのか、陽海の口元に小さく困ったような笑みが乗った。


 そんなやりとりをしている間にも、俺たちは公園へと到着していた。

 入り口を通り抜けて、公園へと足を踏み入れる。

 平日の昼間ということもあって、人影は疎らだ。

 遊具のあるあたりで、幼い子供を遊ばせる母親らしき女性がいるぐらいだ。

 もう少し遅い時間、午後を過ぎた頃になると、もう少し年長の子供たちが集まってボール遊びをしている姿なども見ることが出来る。

 俺と陽海は、そんな公園の端っこ、木陰のベンチへと腰を下ろした。

 木陰とはいっても、公園の周囲をぐるりと囲うように植えられた木々は今は葉をつけておらず、ぽかぽかとした日差しが遮られることもない。

 

「世間一般では、ですね」

「ウン」


 相槌を重ねる。

 ここなら、声を出しても誰かに気づかれるということはないだろう。


「結婚した方が、幸せだって言われているんです」

「へえ」

「一人で生きるよりも、誰かと寄り添って生きたほうが人生は豊かになるし、安定する、って。それはわかるし、実際そうだろうな、とも思うんです」

「うん」


 それは、なんとなくわかる気がした。

 俺は、独りでも生きていけるイキモノだ。

 そういうモノとして生まれ落ちた。

 けれど、俺は寂しかった。

 独りで生きることは出来るが、独りで生きていたくはなかった。

 陽海だって、きっとそうなのだろう。


「でも……これから先の長い年月をずっと一緒にいる、と約束するのって、しんどいな、とも思うんです」

「しんどい」


 思わず復唱する。


「私は今、のんびり起きて、好きな仕事をして、好きな時間に寝て、好きなものを食べています」

「うん」

「でも、結婚して一緒に暮らす人が出来たら、その人のために生活スタイルを変えなければいけないことって絶対に出てきます。仕事を辞めないといけなくなるかもしれないし、もしかしたら仕事を変えないといけなくなるかも。その人に合わせて寝起きして、その人の食べたいものを食べたり、作ってあげないといけなくなるかもしれない。今なら『あ、今日は映画を見に行こう』って思ったらさくっと思いついたその日に実行できるけど、そういうことも出来なくなる可能性が高いんです。私の時間を、私のためだけに使うことが出来なくなるんです。それが、すごくしんどいなあ、と思ってしまって」

「…………」


 切実な響きだった。

 でも、そうか、と納得する気持ちもあった。

 この世界にはたくさんの人間がいる。

 陽海は寂しくなれば外に出てそれらの人たちに逢うことが出来る。

 家にいたままでも、パソコンを使えば人と言葉を交わすことが出来る。

 陽海の孤独は、俺とは違う。

 自らが選び取ったものだ。

 だからこそ、陽海はその孤独と引き換えに約束された自由を手放すことが出来ずにいるのだろう。

 

「……それなら、結婚しなくてもいいのでは?」

「そう思いますよねえ」


 はー、と陽海が息を吐く。

 どうやら物事はそう簡単にはいかないものらしい。


「でもね、トカゲさん」

「はい」

「結婚って、素敵なものらしいんです」


 ぽつ、と呟かれた言葉には、素直な憧憬が滲んでいた。


「自分の人生をまるっと変えてしまってもいいぐらいの相手に出会えて、想いが通じ合うというのはとても素敵なことなのではないか、とも思うわけなんです」

「うん」

「そしてさらに、この世界には結婚適齢期、というものがありまして。年を取れば取るほど、結婚しにくくなる、という傾向があるんです」

「ほう」

「つまり、今はそんなに結婚に魅力を感じていなくても、今のうちに結婚しておかないと結婚出来なくなるかもしれない、ということなんです」

「なるほど」


 今は、結婚の必要性を感じていない。

 それでいて結婚というものの良さはわかっているし、それを否定するつもりもない。

 

 けれど、今の陽海は一人でも良いのだ。


 自分の時間を大切に生きていくことを楽しめている。

 けれど、もし将来。

 いつか、今よりも結婚が難しくなった頃合いに、結婚したい、と思うようなことがあったなら。

 結婚しない、という道を選んだことを後悔するようなことがあったのなら。

 陽海は、そんな未来が来ることを恐れている。

 そんな未来が来るのならば、今のうちに努力をし、我慢すべきところは我慢して結婚しておくべきなのではないかと、考えている。

 はぁあああああ、と深いため息が聞こえて、顔を上げる。

 陽海は、憂鬱そうな半眼だ。

  

「陽海」

「はい?」


 のろり、と陽海の視線が俺を向く。


「俺にも、結婚というものは出来るだろうか」

「―――、」


 陽海の目がぱちくりと丸くなった。


「えっ……」


 一拍遅れて、動揺したような声が漏れる。

 何か、変なことを言っただろうか。


「もし、俺にも結婚、というものが出来るのなら、陽海がいつかしたいと思ったときには、俺としたら良いと言いたかった」


 陽海の説明を聞いたところによると、結婚、というのは『これから先の長い年月を共に過ごすことを約束する』ことであるらしい。

 それなら、俺にも出来るのでは、と思ったのだ。

 すでに俺と陽海は一緒に暮らしているし、俺と陽海の生活は上手くいっていると思う。それに、俺はこれから先も陽海とずっと一緒にいたい。

 それを約束するのが結婚、であるのなら、俺は陽海と結婚したい。


「…………、」


 陽海の目はまん丸だ。

 先ほどまでの半眼がまるで嘘のように瞠られている。

 何か言いかけた唇が、結局何も言葉を紡ぐことなく半開きになる。

 そして、やがてさぁあああ、と陽海の目元鮮やかな朱色が滲んでいった。

 挙動不審気味に、うろうろと視線が揺れている。


「陽海」

「は、はい」


 そんな、声までひっくり返るようなことを俺は言っているのだろうか。


「むしろ――…一緒に暮らして、生活を共にすることが結婚なら、俺と陽海はすでに結婚しているのでは?」

「ひえ!!!??」


 未だかつて聞いたことのないような声が陽海の喉から出た。

 思わずというように腰を浮かしかけた陽海の膝から、ぽろり、と和菓子の袋が零れ落ちそうになる。


「っ!」


 はし、と身を乗り出して、前足でそれを抑える。

 遅れて、陽海の手が和菓子の紙袋の底を支えた。

 半分腰を浮かしかけ、膝から落ちかけた和菓子を片手でなんとか支えるという不自然な体勢でしばらく固まった後、陽海はぎぎぎ、と軋むような動きでベンチへと座りなおす。

 

「大丈夫か」

「大丈夫じゃありません」

「そうか」

「そうかって何ですかそうか、って」


 ちろり、と拗ねたような視線が俺を見る。


「トカゲさんが変なことを言うから、びっくりしたんじゃないですか」

「そんな変なことを言っただろうか」

「言いました」

「言ったのか」


 言ったらしい。


「じゃあ、結婚とは何だろう」

「えー……?」


 悩まし気に陽海は眉間に皺をよせ、首を傾げる。

 これまで大抵の俺の質問には、わかりやすい説明をしてくれた陽海がこれだけ悩むのだから、きっと結婚というのはそれだけ難しいものなのだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 暫く真剣に考え込んでいたものの、結局陽海は答えを出すことを諦めたのか腰の後ろに手をついてのんびりと空へと視線を移した。


「――良い天気ですねえ」

「うん」


 空は青い。

 薄く雲が溶けたような、まろやかな色合いをしている。

 結婚というのが何なのかはよくわからなかったものの、陽海の表情が明るくなったので良いということにしておく。

 それから陽海は膝の上に乗せていた和菓子の袋の中からプラスチックのパックを取り出した。


 中には、桃色の何かが二つ並んで収まっている。

 陽海はそれを、俺にも見やすいようにベンチの上に置いてくれた。

 改めてのぞき込む。

 桃色だ。

 桃色の、おにぎりのように見える。

 が、おにぎりほどつぶつぶがはっきりしていない。

 溶けかけた桃色のおにぎりだ。

 その桃色を、少し茶がかった深緑の葉っぱがくるりと包みこんでいる。

 

「陽海、それは?」

「桜餅です。まあ、桜餅が雛祭りの食べ物か、って言われたらちょっと首をひねるんですけども。見てたら食べたくなっちゃって」


 小さく笑いながら、陽海は桜餅の入ったビニールパックをぱかりと開く。

 とたん、ふわ、と淡く不思議な香りが鼻先を掠めていった。

 花の香、というか、植物の匂い、というか。

 嫌な匂いではないが、美味しそうな匂いかと言われると少し違う気がる。


「そのつぶつぶはお米の一種なんです。で、中にはあんこが入ってますよ。あ、そうそう葉っぱも食べられます」

「ふむ」

「前に、桜って花の話をしたでしょう?」

「うん。春になると咲く花だ」

「はい」


 覚えている。

 この公園を囲むように植わっている木々も桜なのだと、陽海をタイ焼きを食べた日に教えてもらった。

 春になると、今は寒々しく黒い木肌を露わにしたあの木々が、真っ白な花に覆われるのだと。


「このお菓子は、その桜をモチーフにしてるんです。ほら、上に花が乗っているでしょう?」

「花?」


 よくよく見ると、桃色のつぶつぶを包み込む葉っぱの下に少しだけ隠れるようにしてしおっとした花の横顔が乗せられていることに気づく。


「それ、桜の花なんです」

「桜は食べられるのか?」

「まあ、お花なので食材、というわけではないのですが。こうして加工して食べたりはしますね。あとお茶にしたりとか」

「ふんふん」


 白い、と聞いていたが、桃色のつぶつぶの上に乗る花は、つぶつぶと同じ色をしている。


「桜は白いのでは?」

「んー……限りなく白に近い薄いピンク、ですかねえ。昔はね、色の濃いピンクの桜が多かったので、桜餅はこの色をしてるんです。今よく見かける桜は、白に近い薄ピンクのものが多いですね」

「なるほど」


 俺は視線を桜餅へと下ろす。

 優しげなピンク色。

 どうぞ、と促されて口を開ける。

 咬みついた咥内にまず感じたのはもちもちとした食感だった。

 俺はこの食感をしっている。米だ。ごはんだ。

 けれど、ごはんよりももちもち度が上がっている。

 つぶつぶとしているのに、ねっちりとくっつきあった米同士の食感が楽しい。

 ほんのり甘いごはんと、とろりと舌が痺れるほどに甘い滑らかなあんこ。

 もぐ、とさらに食べ進めて驚いた。

 たぶん、これは陽海が教えてくれた桜の花だ。

 水気を含んだ植物の歯触り。

 それはすぐにあんこの濃厚な甘みにかき消されてわからなくなり……やがて、溶けるようにいつの間にか嚥下してしまったあんこの味わいが引き始めた頃にふッと口の中に蘇った。

 花の香と、植物の青みと、そして何より強く感じるのは塩っけだ。

 しょっぱい。

 その独特な風味が、ごはんとあんこの甘味を惹きたてる。

 桜の花が美味しいか、と言われるとやっぱり首を傾げてしまう。

 けれど、次の一口が欲しくなる。

 もぐ。もぐもぐ。もちもち。

 しょっぱい味わいは桜餅を包む葉っぱも同じだった。

 甘さに馴染みすぎた舌先を、独特の草っぽい風味と塩っけが刺激して、またその甘味を深く味わうことが出来る。

 素晴らしい。

 あっという間に、ぺろりと平らげてしまった。


「どうです?」

「美味しかった」


 陽海も食べ終わったところなのか、ぺろ、と指先を舌で舐め拭っている。


「雛あられと菱餅もありますが、それはおうちに帰ってからにしましょうか。座ってると、少し冷えてきました」

「わかった」


 和菓子の入った紙袋を抱えた陽海が、俺へと腕を差し出す。

 その腕に抱き上げられて、導かれるままに肩へと上がった。


「ねえ、トカゲさん」

「なんだ?」

「トカゲさん、キスしたら魔法が解けて王子様になったりしません?」

「ならないと思う」


 くっくっく、と陽海の肩が笑いに揺れる。


「帰り、せっかくなので散らし寿司も買って帰りましょうか。今夜は散らし寿司です」

「楽しみだ」


 陽海の肩の上で、ゆらゆらとしっぽを揺らす。

 なんとなく、どこからか視線を感じたような気もしたが。

 こうして陽海と一緒に外を歩いている際に、人々から珍しげな視線を向けられるのは珍しいことではない。

 だから俺は気にせず、陽海の語る散らし寿司とやらに思いを馳せることにした。



陽海さん、そいつ王子にはならないけど人型にはなるぜ、と教えてあげたくなったりするという。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

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次はエレハルドさんのターンかな!

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