08.イタリア文化の余波
16世紀に入る頃になって高地ドイツにも漸く揚げ菓子が登場するが、もしかしたらもう少し前から有ったかもしれない。クラプフェンはその類例で、少なくとも14世紀中頃の料理書にはレシピがあるが、見てみると当時の調理法は揚げる、炒める、オーブン焼きのいずれも言語上区別していなかったようで、レシピそのものを見ても判別しづらい。明確に揚げると解釈できるものは、16世紀にアウグスブルクやニュルンベルクで印刷された料書本にある。
ストラウベンは当時の高地ドイツで書かれた幾つかの料理書に記されていて、「水と小麦粉、卵と塩を混ぜてから、指の太さくらいの漏斗を使い、熱したラードの中に注いで揚げる」という。
また16世紀中頃の料理書「美味しくて新しい料理」には「カワカマスの卵を磨り潰して、小麦粉とワイン、塩、生姜、サフランを加えてから混ぜて、出来上がったら油で揚げる」という、イタリアのクリスペッレと類似する、多分魚の日のストラウベンのレシピが書かれている。
この頃、クラプフェンは多様化していて黒クラプフェンとかバイエルン風クラプフェンとかが現れる。どれも生地に具を包んで調理するものと言う点では一致するものの、どう調理するかは判らない。
低地地方の料理書は、16世紀初頭のアントウェルペンやブリュッセルで出版される。その料理書の一つ「名望ある料理書」にもストラウベンという揚げ菓子があるが、こちらにも「卵の黄身と小麦粉を混ぜてから、熱した油の中に渦巻きを描くようにして注ぎ、揚げたら砂糖を撒き散らす」ものと、「カワカマスの卵を磨り潰して、温水を加えてから小麦粉と共に混ぜて、出来上がったら油で揚げる」という、肉の日と魚の日のストラウベンが書かれている。
そのほか16世紀末の「美しく素晴らしい料理書」にはケルスペンという名で「5,6個の卵と細かい小麦粉を混ぜ合わせて、熱したラードの中に漏斗で注ぐ」というストラウベン風の料理が書かれている。
幾つもあるペイストリーの中には、第三部分で触れた中世フランドル料理のように具を詰めたペイストリー揚げがあり、またフランス料理を示すブルボン風の他に、ヴェネツィア風とか或いはイングランド風と呼称されるものも見られる。
別の料理書にはフロマンテやフリカッセといったような中世フランス料理だったり、イタリア料理のラヴィオリも窺える。例えば「名望ある料理書」のラヴィオリには「生姜と砂糖、シナモンを混ぜ合わせてから捏ねてパスタ生地で包み込み、菜種油の中で揚げ、砂糖を振り掛ける」ものもある。
プラティナの料理書をはじめ外国語の印刷物が翻訳されて取り入れられ、また活発な人の移動によって外国料理が吸収された。これは勿論料理に限ったことではなく、17世紀におけるオランダ興盛のきっかけとなった。
一方、16世紀頭のイングランドは大した進歩を見せなかったが、中葉を過ぎるとイタリアの影響が見え始める。これ以降、何度かに分けて出されるコースを意識した作りに加えて、ときどき分量が書かれるようになる。
「料理書」や「適切な新しい料理書」にあるように、そんなコースの中でフリッターは大抵第三コースの最後のほうに書かれているので見つけやすい。とはいえフリッターが最後に食べられたというよりも、一度に大量の皿を出してその中の一部を食べることを三度繰り返すという所謂中世風のサーヴィスの形で、三番目に出される沢山のデザートの中の一つだった。
16世紀末の「良き妻の書」では、ほうれん草のフリッターの他に「牛挽肉をダーツと共に細切れにして、スグリ、卵、パン粉、砂糖、シナモン、生姜、ハーブ、ナツメグ、サフランと共に混ぜ、ペイストリーより分厚くしてから型に寝かせ、中に詰め込み、以前作ったものの上に乗せて、それを揚げる」フリッターが出てくる。
同時期には、「主婦の手作り料理」や「良き主婦の宝物」という料理書が有るが、著作のタイトルから判る様に、17世紀前後からのイングランドの料理書の多くは家庭向けに書かれ、テューダー朝やステュアート朝にかけての他の家政についても良く触れられている。そのため調理法の記述は細かく丁寧になり、ようやく再現可能なラインに到達する。
これは女性の社会的立場が変化したというよりも、古い貴族に代わってイングランド絶対王政を支える新たな有力者ジェントルマンの台頭と結びつくものである。まだ誰もが多くのメイドを雇う時代にはなっておらず、補助として少数の召使いがいることもあったが、家事労働の主体は妻であり、料理書のテキストは家長であるジェントルマンが妻に指南すべしという形式を取る。
そして例えば「タイラーの饗宴」に示される様式は、王候の饗宴とは対照的に、彼らや彼らの親族、居候する友人たちとのささやかなディナーのために料理が用意されていたことを表している。
「主婦の手作り料理」には幾つもフリッターが書かれている。
例えば「1パイントのエール、卵の黄身4個、そしてサフラン、クローブ、ナツメグ、塩を少々、砂糖半掴みを皿に載せてスプーンで攪拌する。それから10個のリンゴを取り出し、大きな塊になるように切って皿に加える。獣脂を揚げ鍋に入れて、温かくなったら皿の混ぜ物を手で一掴みずつ入れていく。黄色くなったら取り出し、皿の上に並べて砂糖を乗せる」というフリッター。
また「小麦粉三掴みを大皿に乗せて、卵の黄身6個、エール1パイント、砂糖一掴み、シナモン2匙、生姜1匙、クローブとナツメグを半掴み、塩少々、色付けのためのサフラン少々を加えてスプーンで混ぜる。それから髄入り骨を燕麦ぐらいの大きさに切り、フライパンにラードを注ぐ。温まってきたら髄入り骨を混ぜ物の中に入れて、一欠片ずつフライパンの中に入れる。棒で混ぜながら揚げ、揚がったら浮き滓とともに取り出して皿の上に乗せる。砂糖とシナモン、生姜を取り出して振り掛けて出来上がり」という凝乳フリッター。他に薄切りリンゴのフリッターがあり、どれも説明が細かい。
「良き主婦の宝物」には「良き妻の書」にあるような、ほうれん草のフリッター、型抜きのフリッターがあるが省く。
16世紀の料理書は、その窮屈な字体のために何とか読める料理名を頼りに、字体の一覧表と見比べながら苦行のような読解をしなければならない印刷物だったが、17世紀に入ると中世語があまり使われなくなったほか、字体の窮屈さも無くなるが、内容は冗長である。
その中には「新しい料理書」の「ミルク酒の凝乳を取り出して、卵6個分の黄身と2個分の白身、そして小麦粉と共に混ぜる。それからリンゴを細かく切って、ナツメグ、胡椒少々、強いエール少々、温かいミルクで味をつける。それら全てを混ぜてから、熱すぎず冷たすぎないラードの中に入れて良い感じに泳がせる」凝乳フリッターがある。
また「地方の幸福、またはイングランドの主婦」にある最高のフリッターは「クリーム1パイントを温め、8個の卵の黄身と共に皿の上で混ぜる。そしてクローブ少々、メース、ナツメグ、サフランを入れて混ぜる。それからエール酵母2匙、塩少々を入れて混ぜ、好きなだけ小麦粉を入れてどろどろにする。温めて膨れるまで発酵させ、それから一、二回捏ねておく。1,2パイントの獣脂をフライパンに注ぎ、火にかける。沸騰したら薄切りにしたリンゴと混ぜ物を御玉で中に入れる。獣脂が減ったら継ぎ足す。獣脂は牛の脂を使うのが一番良い。茶色のパリパリになるまで揚げたら取り出して、砂糖とシナモンを振りかけて出来上がり」という中世以来伝統的なリンゴのフリッターとなんら変わることは無いものもある。
肉のフリッターは見当たらない。野菜への意識が強くなっていたようで、サラダ料理のレシピが多く見える。
16世紀から17世紀前半までのイングランド料理やオランダ料理には、イタリア料理をはじめとする外国料理の取り入れがあり、世紀末には薩摩芋や七面鳥のような新大陸の材料も使うようになる。しかしオランダの揚げ物にオリジナリティは少なく、他方イングランドでは新たな試みが少し見受けられるものの伝統的な揚げ物が支配的だった。
イタリア様式の影響を最も受けたのはフランスであり、通説に基づけばそのフランスでは17世紀に入ってから新たな料理の時代が訪れた。