03.中世晩期のレシピ
14世紀におけるブルジョワの出現は、フランスの料理書「メナジエ・ド・パリ」と結び付けられる。
市民が記したこの料理書は、彼らブルジョワの食事が王公の料理に接近したことを示していた。そして彼らの経済活動は、先にアラブやカスティーリャの富裕な商人がそうしたように、ヨーロッパ全体を巡る程にはまだ広くない彼らの商業範囲において、異国風の新たなレシピを取り入れ、地域それぞれの味好みに合うものへと変化させていった。
14世紀末、「サンソヴィの書」の小麦粉と卵を使う揚げ物は各地のレシピの中に見られるようになる。リソルは時の流行に乗ってアラブ風の名を粉飾しただけの多くの中世料理と違い、語感からしてラテン語の料理である。そして資料の一つは当然のように古代ローマのミートボール「イスィーシア」と結び付けるが、語源は異なる。
中世のレシピにリソルが追加されるようになるのはサンソヴィの書からであり、それから半世紀過ぎるとミートボール揚げのリソルが出現するようになる。
イングランドの「料理法集」の中のリソルは、「豚肉をゆで卵と共に細かくした後、スパイスと砂糖と塩を加えて小さなミートボールにする。それを溶き卵の中に入れて、次いで小麦粉の中に入れ、獣脂で揚げて最後にハーブを足す」とある。相変わらず砂糖は使うが、もはやお菓子ではない。
またパースニップのフリッターがあり、「パースニップとセリとリンゴを予め茹でる。続いて小麦粉と卵を混ぜたものの中にイースト菌、サフラン、塩を加え、それにパースニップらをつけた後、油か獣脂で揚げ、最後にアーモンドミルクとハーブを加える」という。
もっと簡略な説明のミルクフリッターは「乳清を煮て凝乳を取り出し、凝乳に卵白を加えて揚げ、砂糖とハーブを載せて」出来上がり。
パースニップについては第一部分のアンティミウスの所で触れたが、アラブ風のサフランやアーモンドミルクを含め、いくらかの変更は窺える。
15世紀ケンブリッジの写本の一つにあるフリッターは「卵と小麦粉を混ぜ、イースト菌を加えて、サフラン、胡椒、スライスしたリンゴ、後適当に入れたいものを入れて、油か獣脂で揚げる。そして砂糖を振り掛けて」完成。これは同時期に書かれたスローン写本にあるフリッターの一つとほぼ似ている。
他に、肉を食べない日のリソルが15世紀のハーレー書庫写本の一つに有り、「イチジクをエールで煮て、柔らかくなったら取り出してすり鉢で潰す。それからアーモンドとエンドウ豆を細かく刻んですり鉢に加える。次いで大西洋タラまたはクロジマナガダラをすり身にして、すり鉢の中身と共に混ぜ合わせ、小麦粉の中に入れる。そして小麦粉とエールを衣にして茶色くなるまで油で揚げて」完成する。
同じ書庫にある揚げパンのレシピには、「ライ麦パンを薄切りにしてから、卵と小麦粉、砂糖、サフラン、塩を混ぜたものに加え、獣脂を熱したフライパンでしばらく揚げる。そして砂糖を大量に掛けて温かいうちに食べる」というものがある。
また15世紀フランドル──ブルゴーニュ公国のレシピにあるフリッターは、「まず豚肉とゆで卵を細切れにして、甘いスパイスや胡椒、サフランとともに磨り潰し、塩を追加することで詰め物を作る。続いてパン生地と卵と前述の詰め物を混ぜ合わせ、小さなボールを作って、パン生地と溶き卵の中に入れる。そして豚の脂を茹でて、具を入れて揚げる。最後に溶かした砂糖を注いで」出来上がり。と、イングランドの肉の日のリソルに近い。
一方、フランスの「メナジエ・ド・パリ」にもリソルが三種類存在する。一つは一般的なリソルと称されるリソルで、「イチジク、葡萄、焼きリンゴ、松の実のような木の実、スパイスを混ぜて、香味としてサフランを加え、油で揚げる。そしてとろみをつけたいなら米を加える」
もう一つは「豚足から脂身を取り除き、その赤身肉を沢山の塩と共に鍋に入れて煮る。煮えたら、ゆで卵と共に切り刻んで混ぜ、スパイスを振り掛ける。それからパン生地に包んで脂身を使って揚げる」という肉を食べる祝祭日のためのリソル。
それと「栗を弱火で焼いてから皮を剥き、ゆで卵と割いたチーズを細切りにする。それから卵白の中に入れてスパイスと塩を加えて混ぜ、大量の油で揚げて、砂糖をかけて仕上げる」という肉を食べない日のためのリソルがあった。その日のゆで卵にはタラの卵が使われ、また肉の代替に海老を使うことを勧めている。
イングランドとフランスの肉の日のリソルには、身を包む為に揚げ衣を用いるかパン生地を用いるかの違いがある。他方、肉を食べない日のレシピはそれぞれ異なる。肉を食べない日のリソルは、肉の日のリソルと見た目を同じようにするという努力によって、それぞれのリソルに合わせて新たに作り出されたものなのだろう。そして見た目以外は考慮されなかった。
他の揚げ物には、例えば15世紀に書かれたヴィアンディエのマザリネ写本に「フリェッテ・ドヴァール」という名で記されているもので、「クラリーセージを挽いて水に浸した後、小麦粉を加え、ハチミツと白ワイン少々を足して艶が出るまでかき混ぜる。それから一杯ずつ小さなスプーンで掬いとり、油で揚げる。そしてローズマリーの葉を一つ一つに載せ、油分を搾り取り、新しい鍋に入れて暖炉の傍に置く。最後に砂糖と一緒に皿に載せて出来上がり」とある。
また「メナジエ・ド・パリ」にベニェがあり、肉の日には「牛の骨髄を肉汁に漬け、温水に入れたひよこが膨れる程度の時間が経ったら取り出して冷水の中に入れる。そして骨髄を切り、大きな小石か小さな砲丸の形にする。それをペイストリーにして12または16分割してそれぞれにスパイスを振り掛ける。それからオーブンで焼かずにラードで揚げるとベニェが出来る。同様の方法で、小麦粉と卵で生地を作り、それぞれに骨髄の欠片を入れてラードで揚げることも出来る」
魚の日には「タラの肝と魚肉のミンチを使って具を作り、油で揚げる」ものや、
カワカマスの卵を使うベニェが挙げられている。
15世紀に南フランスのサヴォア伯国で書かれた料理書にもリソルは有り、「豚肉を細切れにして、細かく切ったイチジク、プルーン、ダーツ、殻を取った松の実、レーズンを加える。それからチーズと大量のパセリ、卵を加えて混ぜる。そして白生姜、入れ過ぎない程度の胡椒、サフランと大量の砂糖を加えて、パイ生地に詰める。豚脂で揚げて、金箔を乗せ、砂糖を振り掛けて」完成である。
その内容はフランスの一般的なリソルに近い。金箔はブルジョワと王公の経済的格差の表れだろうし、肉を使っているから祝祭の意味もあるのだろう。
14世紀末トスカーナの料理書にリソルの名は見つからない。しかし「クリスペッレ」というフリッターが五種存在し、その中にはカタルーニャのレシピと似たようなものも見える。
それぞれ「小麦粉に卵を加えて少し休め、サフランを加え、溶かした豚脂で料理する。それから砂糖かハチミツをかけて食べる」
「小麦粉にイースト菌少々を加え、温水と共に少し休め、発酵させる。それからカワカマスやスズキかその他の卵と混ぜてパン生地にする。それからサフランを加えて、前述のように料理する」
「玉葱のみじん切りとカラミントやハーブを油か豚脂で炒める。次いでそれに小麦粉を卵白とを混ぜてエルダーフラワーかその他の花を中に入れて好きな色に染める。そしてスプーンで少しずつそれを揚げ油の中に入れる」
「新鮮なチーズを細切れにして、小麦粉少々を加え、卵白と共に混ぜてとろみをつける。それから豚脂を適量フライパンに入れて、沸騰したら混ぜたものを入れる。出来たら砂糖を乗せて」完成する。
肉入りの「クリスペッレ」は「トルテッリ」または「ラヴィオリ」と称されるが、今のラヴィオリのように生地に包むものではないようで、「豚バラの薄切り肉を煮てからナイフで細切れにして、適量のセイボリーと共にすり鉢で磨り潰す。その上から新鮮なチーズの削り落とし、小麦粉少々、卵白を加えて粘りが出るまで混ぜる。そして新鮮な豚脂をフライパンの上に注ぎ、沸騰したら混ぜたものを入れる。出来上がったら取り出して砂糖を乗せる」という。
肉を生地に包んでチキンスープで煮込むラヴィオリが登場するのは、15世紀中頃の料理人マルティーノの料理書以降になる。トマトソースは更に後。
そのマルティーノの料理書の揚げ物には、「カボチャを洗って薄切りにして、一旦煮る。それから塩と小麦粉を加えて油で揚げる。そしてフェンネル、ニンニク、パン粉、葡萄果汁少々を混ぜ、篩に掛けてカボチャに振り掛ける。色づけするときはサフランを加える料理」ズッケ・フリェッテが見られる。
15世紀初頭のナポリ王国のレシピには、「新鮮なチーズと、パンの耳以外の部分とハーブの汁を混ぜて油で揚げる」揚げパンや、「パンだけを油で揚げる」揚げパンに、「小麦粉とサフランを混ぜて揚げる」フリッターがある。
関係ないが、こちらにもラヴィオリがあり、チキンスープで煮込むマルティーノ風の料理になっている。マルティーノの料理書にはカタルーニャ風料理が幾つか散見されることから、マルティーノは、タイユヴァンが前任者たちの料理書の改良によってヴィアンディエを作り上げたように、既に知られていた各地の宮廷料理を纏めることでその料理書を作り上げた。
中世ドイツのレシピに揚げ物はまだ無い。有ったとしても、せいぜい少な目の油を使っての素揚げ程度だろう。