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揚げ物語  作者: そらが
24/24

24.大衆時代の揚げ物

 金ぴか時代には、中・上流階級向けにフランス料理が推奨された。1886年出版の「実用アメリカ料理書」ではフランスで採用されたロシア式サービスが紹介される。またアントナン・カレームの弟子フランソワ・タンティによる料理書「フランス料理」や、チャールズ・ランフォーファーの「食道楽」ではフランス風揚げ物を紹介している。


 ただ中産階級にとって十分技量のある料理人を雇うことは困難だった。そして彼らの主導により、大衆向けに料理学校が設立される。ボストン料理学校とニューヨークのパローア料理学校は、主婦への料理指南書を出版するだけでなく、比較的安い授業料で料理人を育成した。

 1872年に出版されたマリア・パローアの「アップルドアの料理書」にはコーンドッジャーがある。

 これは「インディアンミール小さじ3匙、塩小さじ1匙、砂糖大匙1匙を用意し、お湯で湿らせる。

混ぜて1インチの厚さの小さな生地を作り、沸騰した脂で茶色くなるまで(大体15-20分くらい)揚げる。熱いうちに食べる」つまりコーンミールを使った小さな揚げ物で、ハッシュパピーと看做される。

 他にトマトや茄子、ゆで卵、ソーセージに溶き卵とパン粉(もしくはクラッカー粉)をつけて揚げるもの、魚や肉にマッシュポテトを混ぜてボール状にして揚げるものがある。

 多くの油を使うとき、深い油(deep fat,butter/ fry in deep/ deep frying)と表現するようになった。少ない油のときはひっくり返して両面を揚げる。が、表記は統一されていない。


 この頃にジャンバラヤを含むクレオール料理が紹介されている。ラフカディオ・ハーンの「クレオール料理」と女子キリスト教交流会の「クレオール料理書」は、どちらも1885年に出版された。が、何故か日本風の米の炊き方があるし、特にクレオールの料理に限ってはいないようだ。


 ポテトチップスには逸話が生み出され、1869年にニューヨークで出版された「ポテトの調理法」では、サラトガポテトという呼称と「とても薄く切る」調理法が採用されるようになった。具体的な厚さは指示しない。この逸話は1911年出版の食物百科で触れられている。それが1896年出版の「ボストン料理学校の料理書」ではサラトガチップスに代わり、少なくとも戦前までポテトチップスと並んで薄く切って揚げるポテトの名称になった。

 戦後にはスナック会社の台頭によってポテトチップスという名前に統一された。



 20世紀に入ると、移民たちによって料理書が多く書かれた。イタリア、ドイツ、中国、日本、ユダヤ、スラヴ、ハンガリー、ギリシャ、スカンディナヴィアの料理書があり、アメリカ先住民の料理書も書かれた。ただケイジャンの料理書は1970年代まで無いようだ。

 アメリカにおける日本料理の本は1914年出版の「中華と和食の本」が最初だが、十分な種類の料理を提供しない。天麩羅がアメリカに紹介されるのは、1936年出版の手塚かね子による「日本の食べ物」からのようだ。

 ここにある天麩羅は、英名としてフリッターという名が併記され「魚や蝦、貝をバッター液につけて、深い胡麻油かカヤ油、最近はサラダ油を使って揚げる。天麩羅は鰹出汁とみりんと醤油で作ったソースにつけた大根おろしと共に食べる。大根おろしは風味を保つと共に脂肪の消化を助ける」とある。

 他にはカリフォルニアの料理書に多くの脂で揚げるスペイン料理エンチラーダがあり、イタリア料理書のポレンタ・フリッターがあり、ドイツ風のベルリナークラプフェンがある。ロシア風のメンチカツ(第22部分の挽肉コートレット)を意識したフライドハンバーグステーキも確認できる。


 そのほか玉葱の揚げ物は1919年の「サンフランシスコホテルの料理書」にあり、「大きな玉葱を薄切りにしてから、リングを分ける。ミルクにつけ、小麦粉につけて、熱したラードで泳がせるようにして揚げる。茶色くなったら取り出して塩をかける」

 1933年出版の「料理の喜び」ではオニオンリングという名前が与えられた。「大きな玉葱を1/2インチの厚さにスライスし、リングを分ける。卵黄2個、ミルク1/2カップ、小麦粉1/2カップ、塩小さじ1/2匙を混ぜてバッター液を作り、玉葱を浸ける。深い脂を入れて華氏395℃に熱したケトルで玉葱を揚げ、油分を紙で吸う。温かいうちに食べる」という。



 大衆の食生活は第一次大戦前に起きた不況での食料品高騰によって低下した後、戦後不況や世界恐慌が訪れたにも拘らず、20年代から40年代にかけて長い目で見れば向上していた。

 恐慌における株価の変動自体は陳腐な俗説とは異なり直接的に労働者に被害を与えなかったが、資本家が投資に消極的になり、労働者を失職させるか劣悪な工場へと送りこんた。30年代は彼らの雇用と社会保障にとっては大きな恩恵だった。この頃、自動車の普及と共にドライブインレストランや、「お母さんの手を煩わせない」という標語を掲げたオートマットが流行する。冷凍食品も採用された。


 1950年代から揚げ物を牽引したのはアメリカの軽食・ファストフード店だった。フライドチキン屋やドーナツ屋はどちらも揚げ物、ホットドッグ屋にはコーンドッグがあり、そしてハンバーガー屋では大抵の場合フライドポテトをメニューに加えていた。

 大手ファストフード店のチキンナゲットは1983年に販売され、三種類のソースが用意された。これらのレシピは企業秘密らしく判らない。ソースはハンバーガーと同様、基本的に現地向けアレンジが行われ、ときどき外国風アレンジが輸入された。

 食生活の改善は、アメリカ人を栄養失調から不健康へと転換させた。



 コーンドッグの登場は、英語版wikiに書いてあるが、それ以前にコーンドッグ専用調理器によってオーブン焼きで作るタイプのものは1910年頃に有り、現在と同様に串を刺したソーセージをコーンブレッドで包むもので、コーンミールを使うというだけでなく、コーンの形状を模したものが出来上がるようになっていた。一応「料理の喜び」にペーストに包んでからオーブン焼きにするソーセージのレシピがある。

 コーンドッグを揚げるようになったのは戦後からで、名称は異なるが、1956年出版の「ベティ・クロッカーのビスクイック料理書」に登場する「バッター・フランク」は多分最初のコーンドッグ風揚げ物のレシピになる。

 これは「深い脂を華氏375℃に熱する。卵1個とミルク1/2カップを混ぜてから、ビスクイック粉1カップ(ビスクイックブランドのベーキングミックス)、コーンミール大匙2匙を加えてかき混ぜる。フランクフルトを浸け、茶色くなるまで2-3分揚げる。手で食べる為に木串をバッターフランクに刺す。パプリカ小さじ1/4匙、マスタード小さじ1/2匙、カイエンヌ小さじ1/8匙を合わせてソースにする」この頃から既に若者向けの軽食に位置していた。

 1976年版の図版ではフランクフルトを短く切ってからバッター液に浸けているようだが、1956年版だと切らずに浸けている。ソーセージに使う肉は鶏肉だったり牛肉だった。


 コーンドッグの名を持つ揚げ物のレシピは一応1978年出版の「楽しく食べる」に確認できる。

 「ジョニー風コーンドッグ」は「軽く小麦粉をつけたマスタード、パンケーキミックス大さじ2匙、コーンミール大さじ2匙、砂糖大さじ1匙、唐辛子粉小さじ1/4匙、クミン小さじ1/4匙を混ぜ、水を加えて捏ねてバッター液にする。フランクフルトをバッター液につけて、余剰はボウルに戻す。底の深い鍋を用意して、2本ずつ1-2分ほど華氏375℃の脂で揚げる。木串を用意して、それぞれのフランクフルトの先っぽに挿入する。キッチンペーパーの上で油分を抜き、マスタードと共に提供する」という。


 また1982年にはロサンゼルスタイムスが、1981年に出版した自社の料理書「ザ・ロサンゼルスタイムス・カリフォルニア・クックブック」を参照して、八人の孫のためにコーンドッグを作りたいという読者に対してコーンドッグの作り方を説明している。

 これは「小麦粉1カップ、砂糖大さじ2匙、ベーキングパウダー小さじ1/2匙、塩小さじ1匙、コーンミール2/3カップ、ショートニング大さじ2匙、溶き卵1個、ミルク2/3カップ、フランクフルト1ポンド、揚げ油、ケチャップとマスタードを用意。小麦粉と砂糖、ベーキングパウダー、塩をコーンミールと共に混ぜる。ショートニングを細かく切って混ぜ合わせる。卵とミルクを混ぜて、混ぜたコーンミールの中に加えてバッター液にする。フランクフルトの先っぽに木串を差し込み、バッター液で包み込み、油で揚げる」という。

 日本では1970年に大阪万博でアメリカンドッグという名で紹介されたようだ。

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