20.素食から満漢全席まで
清代には江南の文人によって料理書が書かれた。 17世紀末の「養小録」と「食憲鴻秘」には一部似通ったレシピが書かれる。
「熏面筋」は両方にある揚げ物レシピで「小麦粉で作った麩を小さく切ってから一度煮る。それから甜醬の中に入れて1-2日(養小録では4-5日)したら取り出す。海老の煮汁(多くの海老を少量の湯で煮る)につけて砂糖少々を加えて一日寝かせる。火にかけて炙って乾かし、再び煮汁に浸けてまた乾かす。湯が無くなるまで繰り返したら(養小録では十数回)、沸騰した油の中に入れて揚げる。これを燻しても良い。海老の煮汁には胡椒とフェンネルを加える」という。
「養小録」は素食中心──つまり野菜料理が主体である。「甘菊苖」「酥黃獨」といった明代のレシピと同じものが幾つかあり、名前は違うが「蝙蝠茄」という茄子の揚げ物もある。
「酥杏仁」は「杏仁を水に浸けて苦味を抜いてから、胡麻油で揚げる。浮き上がったら鉄の揚げ網で取り出し、良く冷ます」という。
一方「食憲鴻秘」には肉料理の揚げ物が有る。
「油餅兒」は「小麦粉に油少々を加えて水を加えて捏ね、餡を包んで油で煎る。餡には豚肉のミンチを使う」という。
また「肉餅子」は「洗ってミンチにした豚肉に、水と砂仁とネギの微塵切りと酒漿、醤油少々を加えて、餅の形にする。そして磁器の碗に入れて、小さなお碗を覆い被せて蒸す。蒸し汁を取って、味が足りなければ松の若葉を加える。餅っぽくならなかったら、柔らかくした若竹を使って何度か包んで整える。良く出来たら甑を使い、酒や飯と一緒に蒸す。米が浮いてきたらその中間に餅を置き、透けてきたら取り出す。甑で飯を炊き、再びこれを入れて蒸して味と香りが良くなるし、或いは油で煎るのもまた良い」という。
どちらも包み揚げで、中華風に豚肉を使う。
18世紀末、江南における高級料亭の料理や富裕層の晩餐が集成された「随園食単」には「炸鰻」という、そのままウナギの揚げ物という意味の料理が有る。
これは「大きなウナギを使い、頭部と尻尾を取り去って一寸一寸ぶつ切りにする。まず胡麻油で揚げてから、取り出す。別の鍋で、春菊を油で透けるまで炒める。それからすぐに菜の上にウナギを乗せて調味料を加え、大体10-15分ほど煮込む」という。
また翻訳だと「灼」を少量の油で揚げると解釈していて、ニラと肉を混ぜて生地に包んで油灼する「韭合」や、ラードで灼く「風枵」などがある。
「風枵」は「米粉を水に浸して小さな欠片を作り、ラードで灼く。鍋から出して砂糖を加えると、霜のように白くなり、口に入れると溶ける。杭州では風枵と呼ぶ」というが、風消餅との関係はわからない。
そのほか、豚肉を味噌と酒に浸けてから素揚げにして、酢とネギと大蒜を加える料理。鶏肉を醤油に漬け、沸騰した油で何度か揚げて、酢と酒とネギの微塵切りを小麦粉で繋いだソースをかける料理などがある。
「揚州畫舫録」は当時の江南の街の様子を書いたもので、料亭の揚げ物が有る。「油炸豬羊肉」は寺観の厨房が提供する満漢席のうちの一品。「炸蝦」や「雞炸」は市井の料理店にあるメニューの一つとして紹介される。レシピは無い。
満漢席は満州人と漢人の宴会料理で、康熙帝末期の大規模な饗宴より始まり、乾隆帝の時期に発展した。乾隆帝の6度行われた江南各所への行幸において、各宿営所で宴会が開かれたために、諸地域に満漢席は広まり、また後には乾隆帝が蘇州の料理人を雇ったことから満漢席に江東料理が組み込まれた。
随園食単によれば、満州人や漢人の料理を、本場の人が満足できる代物ではなかったにしろ提供することが出来たようだから、満漢席は中国の様々な地域で、規範に囚われない形で提供されていたのだろう。
大体同じ頃に日本人によって書かれた「清俗紀聞」には揚げ菓子「連環」がある。図版からして明代の「寒具」をマジックリングのように二つ繋げたものだがレシピは異なり、米粉だけでなく小麦粉や白砂糖、水あめを使って餅を作って揚げ、仕上げには塩を振らずに砂糖を振り掛ける。
北京の貴族の料理については普通、小説「紅楼夢」を参照するようだ。いくつかの揚げ物があり、例えば雉の雛を揚げて塩をかけたり、味噌漬けの人参を揚げたり、鶏の骨頭を揚げる。
あと蟹肉入りの餃子は油っこい物というから炒めるか揚げるかしていたかもしれない。当時の餃子は、生地でネギや豚肉、シイタケの微塵切りを包んでから、蒸籠で蒸す。「清俗紀聞」の図版を見ると、江南では三日月状ではなく円状のひだになっているが、山東では三日月状にする。また主食ではなく菓子の部門に入れられている。
そのほか面筋はこちらにも有るし、色々な形をした小麦粉の揚げ菓子にも触れられている。
清代において最も多くの揚げ物に触れられる料理書として、満漢全席を整理した「調鼎集」がある。大体18世紀中頃の幾つかの史料を合わせたものらしく、レシピ自体は膨大だが、それぞれの調理法は簡素に書かれる。
米粉や豆粉や小麦粉を塗してから揚げたり、生地に具を包んでから揚げたりするが、大抵は素揚げにする。味付けには事前に塩と酒を振ったり、仕上げに醤油や花椒やネギ、生姜汁などを使うことがある。
揚げる対象は肉料理では、羊肉や豚肉、またその肝や髄、鶏や鴨など各種鳥で、他の料理書同様に牛肉料理は無い。米粉や豆粉や小麦粉を塗してから揚げたり、生地に具を包んでから揚げたりするが、大抵は素揚げにする。味付けには事前に塩と酒を振ったり、仕上げに醤油や花椒やネギ、生姜汁などを使うことがある。
肉料理以外では、魚や海老・蟹、面筋や豆腐、餅、饅頭、胡桃を揚げる。海老や蟹は磨り潰して餅にするか、磨り潰してから生地に包む。菓子類は仕上げに砂糖や胡麻をかける。
清代中期までの揚げ物は、名称こそ異なるものが多いが明代の揚げ物を引き継いでいるように見える。ただ貴族の料理はどうにも工程がやたら煩雑になったり、規模が豪勢になってはいるが。
中華料理に再び変化が起きるのは19世紀で、それは開国による西洋料理技術の伝来や、諸外国における華僑の活躍に因った。




