02.砂糖まみれの中世盛期
13世紀になると、ヨーロッパでも料理の写本が現れ始めた。その間のカペー朝、ノルマン朝あたりにはレシピ集が無く、どのようなものを食べていたのかは年代記や旅行記、財務記録に残されていて、そこで大抵は肉を強調する。
また12世紀のサレルノ養生訓は、とりあえず適度な量のワインと一緒に食べれば良いようなことを多く書いていたり、ワインに並んで肉汁や卵も栄養価の高い食べ物に位置づけている。この史料は12世紀の南イタリア──つまりノルマン王国時代のシチリアで、ノルマン人の王に仕えるアラブ人医師によって書かれた。イスラム教徒がワインを飲むことを勧めるのはおかしいようにも見えるが、実の所ノンアルコールワインに関するレシピは、前章で触れたアル=ワッラークの料理書集の中に記されている。
他に、バイユーのタピストリーには饗宴のための調理風景が描かれていて、焼き串、オーブン、大鍋が確認できる。フライパンは描かれていないが、初期中世イングランドで青銅のフライパンが使われていたことは物的史料から判る。
さらに資料にはアラブ人の入植したイタリアで乾燥パスタの製造やオリーブ栽培、食事用フォークの使用が始まったこと、ビザンツの魚醤を不味いソース扱いしたことが書かれている。実際に後の西欧のレシピにおいて魚醤は殆ど使われなくなり、スパイスごった混ぜソースの中には中東から来たサフランや砂糖が加えられるようになった。
西欧でレシピが出現し始めるのと同じ13世紀において、バグダッドで書かれたレシピ集は国際色豊かで、アラビア半島や中央アジアの食材、北アフリカの調理法、さらに中国の醤油が登場するようになる。
地中海沿岸もアラブの支配圏なのだが、彼らは魚には無関心で、レシピにおいてはその種類すら区別していないように見える。
当時の揚げ物には例えば、ナランジッヤというミートボール揚げがあった。
これは「一旦茹でた赤身肉の細切れに塩、コリアンダー、胡椒、乳香、シナモン、生姜、玉葱、人参、油を混ぜ固めてミートボールを作り、溶いた卵黄に四度漬けてから、オレンジとレモンの果汁を振りかける。そしてアーモンドペーストを加えて、ミントの粉末を振りかけてから、羊の尻油と肉の脂身の油でじっくりと弱火で揚げ、最後に薔薇水を振りかけて出来上がり」の料理である。
料理名は「オレンジ料理」という意味のようだが、形状か色合いか、それともオレンジ果汁を使っているからなのかははっきりしない。肉についてはどの肉か明示されていないが、レシピ集を見てみるとラム肉と鶏肉はそのように明記されているので、消去法でマトンになる。
他にもミートボールの中にヒヨコマメやアーモンドを詰めたり、出来上がったものに砂糖や醤油を振りかけたりする揚げ物料理が挙げられている。
ナランジッヤに使う溶き卵は、多分後の揚げ衣に影響を与えた。
またスクリブリタのような多層の菓子ラウズィナも有る。材料はローマのものと異なり、砂糖とアーモンドペーストを多用し、ごま油で揚げ、薔薇水で香り付けする。多層の製法も少し異なり、ベルトのように長細くて薄い生地を丸めてから切ることによって多層にするという。
一方、13世紀スペイン南部──ムワッヒド朝スペインで書かれたアルアンダルスの料理書には、卵と小麦粉を使って揚げるフリッターが登場する。ただ具にはナッツ類を入れるので、お菓子に近い。一応、他にも小麦粉を使う揚げ菓子は出てくるが、それには卵を使っていない。
13世紀から14世紀初頭までのヨーロッパのレシピにはアラブの影響を受けつつも、当時のヨーロッパの事情や古代ローマの名残が反映されていた。
例えばフランスの料理書「あらゆる肉料理のための調理指南」は、肉に加えて多種多様な魚を調理対象にしている。四旬節や金曜日など肉を食べない日があったから魚料理があるのは当然だが、レシピの半分近くが魚と海産物である。タイトルの通り野菜はまったく記されていない。
同じくフランスの「全ての料理の準備と味付けのための説明」は大半が鶏か豚肉の料理で、魚は少ないのだが、一応魚の種類の区別はつけているように見える。
また砂糖やサフランといった中東の香辛料は見られるものの、薔薇水はまだ無く、古代ローマ時代のように酢や葡萄ジュースを最後に振り掛けるか塗ることがあった。溶き卵はソースの一種を作るときに使うようで揚げ衣は見られない。
揚げるかまたは炒めるときには、適当なサイズに切ってからフライパンに入れて、油には獣脂を使った。
同時期のイングランドの料理書「料理とモルドワインを作るにはどうすべきか」の原稿Aには、「オレンジ」という意味の「ポゥム・ドランジュ」というレシピがある。これは「細切れの豚肉と卵の黄身でミートボールを作り、一旦煮た後、串焼きにしてから(串を取り去って)溶き卵をつけて食べる」料理で、多分黄身の色合いから名づけられた。ナランジッヤとの名前の類似性は感じられなくも無いが、こちらは揚げ物ではない。
他には「砂糖、塩、アーモンド、白パンを磨り潰して卵を加え、バター若しくは獣脂で、スプーンを使って油をかけながら揚げ、出来上がったらドライシュガーを振りかける」アーモンドケーキがある。
こちらも肉を食べない日を意識していて、肉の代わりに野菜や魚を使った場合のレシピも含まれている。ただし「オレンジ」は卵を使うから、肉を食べない日用のものは無い。
また小麦粉と卵をつなぎにするミートボール自体は古代ローマにもイスィーシアという名で存在するものの、同時代の北欧の料理書(原稿K)にはクミンやサフランを使って卵のみをつなぎにする鶏肉のミートボールがある。些細な時代のずれだろうか。少し内容の異なる写本Qでは小麦粉も卵も使っている。
14世紀初頭にスペイン北東部のカタルーニャで書かれた「サンソヴィの書」には、アルアンダルスの料理書にあるフリッターに近い揚げ物がリソルという名で登場する。
カタルーニャはイスラームの支配下に入ることの無かった辺境伯国で、当時はアラゴン王国及びバレンシア王国と共に連合王国を築いて、地中海の海上交易に乗り出していた。まだアルアンダルスは完全には制圧されていなかったが、既にナスル朝はグラナダやジブラルタルのあるスペイン南の一角を残すのみで、その影響力は海上に限られていた。
とはいえ「サンソヴィの書」に見えるアラブの影響は他の地域よりも強く、オレンジやレモンといった中東から来た果物の利用が窺える。
リソルは「小麦粉と卵を混ぜ、粉チーズでとろみをつけて、スプーンで四回に分けてフランパンに乗せ、ときどきひっくり返しながら弱火でしばらく獣脂で揚げ、出来上がったら沢山の砂糖をかけて食べる」もので、古代ローマの揚げ菓子よりもアルアンダルスのフリッターに近い。
また揚げパンのレシピもあり、「豚脂を溶かした後、鍋に入れる。そして発酵させたパン生地に卵をよく混ぜた後に、スプーンで掬って鍋に注ぎ、しばらく焼いて完成。白砂糖を大量に上から振りかける」という。
こうしたものはタイユヴァンの残したヴィアンディエの初期写本に確認できなかったことから、14世紀初頭にはまだフランスに波及して無かったに思う。