18.英国における揚げ物の状態
19世紀のイングランドでは数多くの料理書が出版された。その中でフライドポテトが登場するのは、1804年にエディンバラで出版されたハドソン夫人による「調理の新しい試み」である。
そこにあるポテトフリッターは「ポテト6個を煮て、潰す。そして溶き卵4個、クリーム1/4パイント、砂糖、ナツメグ、塩少々、新鮮なバター少しを加えて混ぜて叩く。よく叩いたら、沸騰した牛脂の中に入れて、明るい茶色になるまで揚げる。そしたら取り出して温かいうちに砂糖をかけて食べる。揚げる前にその中に果物を詰めても良いが、大きすぎるならスライスして詰める」という。
1805年に書かれた「家政婦への指南書」では、ポテトはスライスしてからバターで揚げて茶色くし、皿かプレートの上に乗せて、溶かしたバターを注ぐという。そしてフランス風に調理するときはバッター液につけてから揚げて、砂糖を振り掛けるとある。
スライスしたときの大きさは、大抵の場合「薄く」とだけ書かれているが、1817年に書かれたウィリアム・キッチナーによる「コックの託宣」には「2シリング硬貨ほどの厚さ」とあり、1823年出版の「家庭料理の現代式」では1/4インチにスライスする。1830年にミセス・ダルゲアンズの書いた「料理の実践」には「クラウン硬貨程度の大きさ」と書かれている。
スライスして揚げる方式はイギリス風として認識されたようで、1830年出版の「コックの辞書」には「ポテト・ア・ラングレーゼ」と書かれた。基本的には仕上げに塩を振り掛ける。コックの辞書のものはナツメグも振り掛ける。
19世紀初頭のイングランド料理書において牛肉やマトン、ラムは薄切りにして、叩かず、レモンピール等で味付けして、一度もひっくり返さずに揚げる。鶏肉を揚げるときは三つか四つに切り分けてから、バッター液か溶き卵とパン粉をつけて似たように揚げる。
魚は18世紀の頃と同様に揚げる。料理書によっては多様な魚を揚げるが、そのうち特に舌平目、タラ、スメルト、牡蠣、そしてウナギを揚げるレシピが頻出する。
「コックの託宣」にあるウナギのフライは「鱗を剥ぎ、冷水で洗って4インチ程度の長さにぶつ切りにして塩胡椒で味付けし、溶き卵につけてパン粉を塗して、澄んだ脂で揚げる。油分を抜いたらパセリのみじん切りを添え、溶かしたバターとレモンジュースを加える」という。
また「現代料理のレシピ」にあるように、揚げ油を使うだけでなく溶き卵に浸けてパン粉を塗してからオーブンで作るものも出てくる。
野菜の揚げ物はバッター液に浸けて揚げる。
19世紀以降の料理書においてフランス料理の影響は強く窺える。
翻訳書も多く見られ、例えばイングランドに渡った料理人ルイス・ユスターシュ・ウーデによる「フランス料理」は1813年に書かれる。1825年には「フランスの家庭料理」が出版され、そしてアントワーヌ・ボーヴィリエの「料理法」は1827年に、カレームの料理書も1834-1836年には翻訳される。
こうした経緯によってか、とうとうコロッケのレシピがイングランドの料理書にも書かれるようになった。つまりフランス人シェフを雇う上流階級の人々はともかく、中産階級の人々がレストランに通うことなくコロッケを家庭で食べられるようになる。
最初のレシピは1827年に出版された「料理の完璧な方法」にあるが、これは各国の料理を纏めた料理書のように見える。
そのレシピは「あらゆるもののクロケット」として「腱を抜いて皮を剥ぎ、オーブンで焼いた兎肉をマッシュルームやトリュフ、脂肪肝と共に小さなダイス状に切り刻む。倍濃くしたヴルーテソースに、みじん切りにしたパセリとワケギを加えて、6分ほどしたら、兎肉と共に木製のスプーンでかき混ぜる。そして注ぎ出して広げて冷やす。何らかの形に整えてから揚げて、皿に載せて温かいうちに食べる」
また1830年の「料理人と家政婦の辞書」にはそれぞれ鶏肉、栗、牛肉、ラム肉、ペースト生地、バニラクリーム、ゆで卵、じゃが芋のクロケットと、ラム肉のクロメスキが登場する。 クロケットはフランス料理として認識されていて、フランス語の綴りがそのまま借用された。それまでクロケットの理解は十分でなかったのか「家政婦への指南書」ではコロッケのことを「小麦粉と水で作った薄いペーストに包んで揚げるリソル」と看做している。
また1806年出版の「料理の完全体系」にはパン粉で包み、少量の油で揚げるリソルが挙げられている。
1830年出版の「料理の練習」にもパン粉を使うリソルはあるが、こちらはコロッケと対比される。
つまりリソルは「ローストした子牛肉を少量のベーコンと共に挽き、ナツメグと塩で味付ける。これをクリームで湿らせてから球状に捏ねて、溶き卵に浸け、次いでパン粉の中に入れる。そしてオーブンで焼くか、肉の脂で薄茶色に揚げて、油分を抜き、パセリを添えて食卓に出す」
一方コロッケは「子牛肉か鶏肉に少量の牛脂とレモンの皮の微塵切り、レモンタイム、チャイブ、パセリを加えて大理石の鉢で砕く。ナツメグと塩胡椒で味付けし、全部混ぜ合わせてから溶き卵を加える。それから球状に丸めて、溶き卵に浸けて、それからパン粉を振りかけてバターで揚げる」という。
以降、リソルは時々溶き卵に浸け、パン粉を塗して揚げるようになる。
そのほか1806年出版の「家庭料理の新方式」には「固ゆで卵5個から白身の部分を取り除き、挽肉で包み込む。そして削り取ったハムまたは刻んだアンチョビを適当な割合で塗りつけて黄褐色に揚げ、グレービーソースと共に食卓に出す」というスコッチエッグのレシピがある。
また卵の白身を取り除かず、溶き卵とパン粉につけて揚げる現代風のスコッチエッグは、1852年出版の「図解ロンドンの料理書」にある。
1840年頃からは新しく、そして分厚い(全人口の2割程度)中産階級が重要な地位を占める。彼らのうち1-3割程度は200-300ポンド程度の年収を得て、殆ど素人同然の若年家政婦を1人か数人雇うようになった。
当初の料理書はそうした読み書きもままならない社会階層からなる家政婦のためというより、女主人向けに書かれていた。ハウスキーパーや各種メイドに対する扱いについての論述は、料理書の中に時々書かれた。
1860年代からは都市化の影響で、社会下層でも初等教育を受けさせる風潮が強まり、識字率は年1%以上の上昇を見せる。1874年には若年家政婦のために国立料理学校が創設された。彼女らのための料理書は非常にマニュアル的であり、規則で締め付けられている。
1850年頃のイングランドの料理書には、フライに関して二種類の方法を説明する。ソテーパンを使って少ない油で揚げる(炒める)ソテー或いはシャロウフライ、ドライフライングと、ソースパンを使って多くの油で揚げるウェットフライング──後のディープフライである。前者はコートレットやチョップを揚げるときに用いられ、後者は魚やポテト、クロケット、リソル、フリッターを作るときに用いられる。
またソースパンのサイズに合った揚げ網を使用することが推奨され、ときにはコートレットを揚げるときにも用いられた。油を大量に使うのはコスト上の理由から中流階級以下では避けられがちだったという。
油の量は多くの場合、コートレットには少量、魚には十分な量とか大量とか或いは全体が包まれる程度という風に表現される。
具体的な量について例えば、「国立料理学校の公式ハンドブック」には、コートレットには3オンスの脂を使い、魚のフライは1.5ポンドの油を使うように指示されている。料理書によって多少増減するようで1864年出版の「若い主婦への日々の手助け」にはコートレットに6オンスの脂を使うとある。
揚げるときの温度について「公式ハンドブック」によれば華氏345度以上が適当だが、1874年出版の「バックマスターの料理」によれば舌平目は380度、リソルとクロケット、フリッター、コートレット、ポテトは華氏385度。シラスには華氏400度だという。 一方、1882年出版の「料理と家事」では魚、コートレット、クロケット、リソル、フリッターを揚げるときは380度。チョップ、ポテト、シラスを揚げるときは400度という。
そして1888年出版のイザベラ・ビートンによる「家政の管理」では大体350-400度にすると規定されていた。温度計を持っていないときは、今でも知られているようにパン粉を入れて確かめる。
19世紀の中頃から豚肉のコートレット或いはチョップのフライが登場する。英訳されたフランスの料理書で紹介されてから採用されたのだろう。
少なくとも「家政の管理」にある豚のコートレット若しくはチョップの価格案を見ると、子牛肉のコートレットとコストの差はあまり無く、どちらにも1ポンド重につき10ペニーとある。肉にも有る旬の時期に合わせて使い分けたのだろうか。基本的な味付けは塩胡椒とセージであり、使う脂は少量で片面ずつ揚げ、仕上げにトマトソースを添えるという。
また揚げ魚の仕上げにはアンチョビーソースだけでなく、シュリンプソースやオイスターソース、メートル・ド・テルソース、そしてタルタルソースも使うようになった。
1866年出版の「美味しい料理」には、従来の1/4インチの厚さにカットして揚げるフライドポテトだけでなく、ポテトチップスの揚げ方が書かれる。
「じゃが芋を1インチ以上の厚さに切ってから、リンゴの皮を剥くようにしてくるくると螺旋状に薄く削っていく。それから熱いラードか油の中に入れて、薄茶色のカリカリになるまで揚げる。そして出来る限り温かいうちに提供して、塩を少々振り掛ける」という。
リボン状にしてから揚げる方法は、1864年出版のエリザ・アクトンの料理書「現代料理」の方が先にあるが、こちらではポテトリボンと呼ばれていた。レシピは若干異なり、0.5-1インチの厚さに切ってからリボン状に削り、油にはバターを使い、仕上げに塩と唐辛子を振り掛ける。
ポテトチップスのレシピはまだ定まっていなかったようで、例えば1874年出版のジョン・バックマスターによる「バックマスターの料理書」には、1/8インチにスライスしてから揚げるフライドポテトチップスが有る。
また油の量も一定でなく、少量と書くものも有れば、大量或いは1.5ポンドの油を使うよう指示するものも有る。
1868年から1871年にかけてユルバン・デュポアやジュール・グッフェの料理書がフランス本国での出版から余り間を置かずに何冊も翻訳された。
第15部分で触れたようにユルバン・デュポアの書いたフライドポテトは薄切りなのだが、1877年のエニーズ・ダラスによる料理概論「ケトナーの食卓本」には、薄切りのイギリス風フライドポテトと共に、フランス式のフライドポテトについて小指くらいの幅と長さにカットして揚げると書く。
これはエスコフィエのポンヌフだろう。
「家政の管理」では、フライドポテトは従来の薄切り、リボン状カット、極薄切りカットの三種が提示される。
1885年出版のマリー・ディヴィスによる「メニューの料理本」ではこうしたフライドポテトを「ポテト・ア・ラ・ルッス」つまりロシア風ポテトと呼んでいるが、勿論起源はロシアでは無い。また同年の「キングスウッドの料理書」では四つ切にして揚げるものをポテトチップスと呼ぶ。1891年の「カッセルの菜食料理」のポテトチップスはマッチ状に切るもので、一方リボン状にカットするものはポテトリボンと呼んだ。
さらに時代が進んで1916年のメイ・バイロンの料理書には、小指サイズ、1/8の極薄切り、またフリッターや様々な形に切って揚げるものが整理されているが、どれもポテトフライドと呼ぶ。
そして1930年代になるとポテトチップスは、フランス風に小指サイズに切って揚げるものに変わっていた。
そのほかのポテトの揚げ物に「ポテトボール」というものがあり「コックの託宣」によれば「「マッシュポテトに溶き卵を加え、球状にして小麦粉をつけ、ダッチオーブンを使い、綺麗な脂で揚げる」という。
ビネガーをかけるフライドポテトは1866年出版の「フランス料理の宝物」の中にある。「薄切りにして揚げたポテトに、様々なソースを加えても良い。バター、バターとアンチョビ、ビネガー少々を加えたホワイトソース、マッシュルームソースなどなど。冷ましてから油とビネガーで食べても良い」という。
しかし戦後初期までの他の料理書を見ても、仕上げに塩或いは塩胡椒、レモン果汁を加える程度で、ビネガーを加えるレシピは確認できなかった。
19世紀イギリスの料理書において、じゃが芋を除く野菜の揚げ物にはアーティチョーク、カリフラワー、セロリの三種がよく登場する。それ以外にも胡瓜やリーキ、バラモンジンの揚げ物があり、またバナナやパイナップルなど様々な果物をフリッターにする。
そのほかフリッターと共にベニエのレシピが記されるようになった。
カツレツの意味は本来の骨付きリブロースから変化し、牡蠣やロブスターのコートレットというように、本来の意味とは異なる使い方──或いは日本での言い回しに近い形でコートレットという言葉が用いられる。これらは最終的にコートレットっぽい見た目に仕上がればコートレットと呼んでいた。
例えばロブスターのコートレットは1861年出版のイザベラ・ビートンの著作「家庭管理の本」によると「まず大型の雌のロブスター1匹、バター1オンス、塩1/2匙、マース、ナツメグ、カイエンヌ、胡椒、卵、パン粉を用意する。肉を殻から取り出して、鉢の中でバターと共に磨り潰す。少しずつマースを加えて味付けし、混ぜ合わせていく。柔らかいペースト状になったらロブスターの卵を少し加える。均等な大きさに取り分けてコートレットのような形にする。あまり大きくしてはならない。溶き卵をブラシで塗りつけ、パン粉を振りかけて、一番大きい鋏2本を差し込む。沸騰したラードで茶色くなるまで揚げて、火のそばで篩の上に乗せて油分を抜く。皿の上に乗せて、ベシャメルソースをかける」という。
フランスから多くの料理法を取り入れたにも関わらず、イギリスの料理は高い地位に無かった。
確かにビーフカレーや魚のフライなどの華々しい成果や、彼らの誇る焼き肉料理は前世紀の遺産であり、19世紀において揚げ物に限ってもフライドポテトやコートレットの変化はフランスに依存していた。
1877年にはアーサー・ペインが、フランス料理が至高であるのに対して、イギリス料理は最も不味いものと評するパンフレットを提示する。
料理の国境に明確な線引きがされつつあるとき、中産階級が熟練していない料理人に頼ったためなのか、イギリスの伝統的な定食屋や宿屋を駆逐したレストランやホテルでサーヴィスされたフランス料理のためなのか、或いはその他の多くの仮説に基づいてイギリス料理は低く見積もられた。