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揚げ物語  作者: そらが
14/24

14.ポテトコロッケと大革命

 革命前夜、1788年のパン価格暴騰の最中、フランスではじゃが芋の利用が提唱されていた。ブリオッシュと異なりパンの代替として推奨されなかったこの食材について、研究家パルマンティエはじゃが芋を茹でたり、パン粉風にしてみたり、澱粉を抽出してみたりと多くの提案をするが、最良の選択肢を勧めようとしない。


 第一共和制の間、貴族の宴会用に書かれた長大なサーヴィスのリストや皿の配置法は一旦無くなる。しかし料理自体が控えめになることはなく、ポテトやトマトソース、そしてカレーが受け入れられた。

 1790年に出版されたジョルダン・ルコワントにある「健康料理」は、革命初期の特徴ある料理書で、

滅多にない豚肉の揚げ物がある。

 作り方は「一旦煮るか焼くかした豚足またはハムを適当な大きさ、もしくは薄切りにする。小麦粉と卵とブイヨンを混ぜたペーストにつけてからオリーブオイルで揚げて、薄い金色の衣に揚がったら取り出す」

 同様にして作る牛肉のベニエもある。また従来のベニエ、洋ナシやアプリコットを使った新しいベニエのほか、カワメンタイのフリトゥーレもあるが、パン粉は当人に嫌われていたようで、パン粉につけて揚げるものは見当たらない。


 1795年、ロベスピエールの恐怖政治が過ぎ去った後、フランスにおいてじゃが芋に新たな展望を築いたのは、メリゴ夫人のポテト専門料理書「共和国の女料理人」である。最高価格令撤廃による物価の混乱に伴うものか、ただの拘りかは判らないが、その作品はどれもこれもポテト料理で、揚げ物でいえば例えばスライスしたじゃが芋のフリトゥーレであり、じゃが芋を使うクロケット風の揚げ物だった。

 小麦粉を徹底して使わない「じゃが芋のフリトゥーレ」は「じゃが芋の粉と卵2つ、水でペーストを作り、油1匙、ブランデー1匙、塩胡椒を加えてダマがなくなるまで混ぜる。大き目のじゃが芋をスライスして、ペーストにつけて、美しい色に揚げる」というからフレンチフライやチップスと言うより、むしろポテトのベニエだろう。


 1796年、総裁政府が成立すると「御馳走の手引き書」が出版され、1799年には「完璧なフランス料理人」が出版される。どちらもボリュームは小さく、物珍しい揚げ物も無いから省く。少なくともまだじゃが芋は揚げない。



 第一帝政期、アウステルリッツの偉大なる勝利の後、1806年に「皇帝の料理人」は出版された。大量の肉料理で占められているこの料理書には、9つのアントレ用クロケットが登場する。

 子羊、牛の口蓋、兎、兎団子、雌鶏、七面鳥、鮭、タラ、卵のクロケットはどれも新しい。

 子羊のクロケットは「串焼きにした羊の足かそのほかの肉から、皮と髄を剥して、作りたい分だけ小さく切り取る。羊肉の脂身を少し取り、小さく切り取って肉と混ぜて、ナツメグと胡椒を少々加える。ヴルーテソースを6匙脱脂し、ゼラチン4匙を入れ、半分以上減ってきて濃厚になったら卵黄3個を加える。ソースを火にかけて混ぜ、繋がり出したら卵大ほどのバターを加える。仕上がったら塩を加え、冷めてきたら良く混ぜて網漏斗を通して肉に注でラグーにする。それから混ぜ、テーブルスプーンで掬って注ぎ、18-20回くらい、もはやする必要がなくなるまで繰り返す。ラグーがまだ冷たくなかったら、もう一度繰り返し、それから手で掬って、テーブルの上のパン粉に置く。洋ナシ、ボール、卵形、長めいずれかの好きな形に整えて、パン粉の上で転がしてクロケットにする。卵を5個用意して、卵3個を溶き、卵黄2個と塩胡椒を加えて溶き、クロケットをそれにつける。パン粉の中に再びクロケットを入れ、よくまぶして、サーヴィスの直前まで置いておく。必要なときに、熱した油の中にクロケットを入れ、色付いてきたら取り出して白い布で油気を拭く。出来上がったクロケットをピラミッドのように積み重ねて、刻んだパセリを少々上に乗せて完成」という。

 卵のクロケットは「ゆで卵18個を用意し、小さく切り分けて鍋に入れてクリームソースを作り、刻んだパセリを加える。混ぜ込んでソースを繋ぎ、それから冷やして、テーブルスプーンで掬っては注ぐ。卵が冷えたらクロケットの形を作る。クロケットをパン粉の上で転がして、溶き卵につけ、再びパン粉をつける。サーヴィスとして出すときに、熱した油の中に入れて揚げる。美しい色になったら取り出して白い布で油分を拭い、食卓に出す」

 ほかも大体同じで、兎団子と牛の口蓋にはヴルーテソース、兎と雌鶏と七面鳥にはベシャメルソース、タラと鮭にはクリームソースを使う。

 他には子牛や子羊の耳のフライ、また子牛の胸腺肉、雌鶏の腿肉、七面鳥の手羽先のオ・ソレイユがある。

 例えば雌鶏の腿肉を使う「キュイス・ド・プーレ・オ・ソレイユ」は「12匹の良い雌鶏の腿肉を用意して、腿の骨を砕く。腿の太い部分を切り取る。バターを用意し、鍋で温める。良い形に腿肉を整え、塩少々、胡椒、ローレル、玉葱、クローブ、パセリ、ネギを振り掛ける。堅くなるまで火にかけ、小麦粉1匙、ブイヨン1匙、きのこを加えて45分程度煮る。時間が立つ前に水分が無くなって来たら、腿肉を取り出したときにソースを3/4に減らす。香料の玉葱とローレルを取り除いてから、卵黄3個を用意して繋げ、繋がったら皿に載せてソースをかける。冷たくなったらソースと混ぜてパン粉を振り掛ける。それから溶き卵に漬けて、再びパン粉を塗すが、このとき全体に付くようにする。食卓に出すときに揚げて、良い色になったら白い布で油分を拭いて、王冠のように配置し、パセリを添えて食卓に出す」という。


 帝政末期にはアントワーヌ・ボーヴィリエが「料理法」を書いた。当時はグリモやサヴァランによって美食論の興盛した時期であり、彼らに向けて旧体制で行われていたフランス式サーヴィスの出し方、皿の並べ方を蘇らせた。

 多分ビフテキを最初にメニューに載せたこの料理書には「子牛の胸腺のビルロア」という揚げ物がある。これは「胸腺肉にレモンを加え、冷ましてからソースをかけて、パン粉をつけ、溶き卵につけ、再びパン粉をつけて揚げる。炒めたパセリを添えて出来上がり」とある。

 ポテトのフライは二種類挙げられている。

 「リヨン風ポテト」は「半ペニーほどの厚さに円形に小さく切り、小麦粉をつけて、フライパンで熱した油の中に入れ、下にくっつかないようにする。いい色をしてパリパリになったら取り出し、油を除いてから、塩を振りかけてかき混ぜたら完成」

 また「ポテトのベニエ」は「3インチほどの長さに切ってから、30分ほどブランデー及びレモンピールの中に漬ける。必要になったら水分を拭ってから、ペーストにつけて、いい色になるまで揚げる。仕上がったら油分を拭い、粉砂糖を振りかけて食卓に出す」



 現存の古典的フランス料理はアントナン・カレームによって作り出される。ウィーン会議で腕を揮ったこの料理人は18世紀に完成された技法に基づいて、多種多様なソースを生み出した。

 カレームは1825年に「パリ宮廷のパティシエ職人」を出版する。この中には米やバニラ、コーヒー、栗を使ったお菓子風クロケットがあり、ソースには砂糖と卵と生クリームを使っている。

 そしてオルレアン王朝時代の1833年から1834年にかけてカレームは「19世紀フランスの料理」を出版した。カレーム自身が書いた部分に揚げ物は少ないが「ポテトのクロケット」はレシピの注釈の中に登場する。

 作り方は「じゃが芋2つに、白コンソメ、バター、塩胡椒、ナツメグ、そして苦味を緩和する為に粉砂糖を混ぜる。少々水を加えて煮て、柔らかくなったら鍋の中で潰す。篩に通し、卵黄2個と厚いクリームを足して混ぜ、冷めたらチドリの卵のような形に整える。それからパン粉の上で転がし、溶き卵4個につけてからフォークで取り出し、パルメザンチーズを混ぜたパン粉の上で再び転がす。美しい形に整えて、食卓に出す頃合になったら真鍮で上げ底したフライパンで油を熱する。それにクロケットを入れて、美しい金色になったらすぐに取り出す。布で油分をふき取ってから皿に配置して完成」という。


 またカレームの料理書を皮切りに、フランスでも魚に卵とパン粉をつけて揚げるようになった。

 「舌平目のコルベール風」という長々としたレシピがそれを示している。

 「舌平目(ソール)の新鮮さは、肌の白さ、目の輝き、桃色がかった身、しっかりした弾力で認識される。特に見た目の良い二匹を選び、エラを取り除いて内臓を取り出してから洗う。それから指で起こしながらナイフの先で尾の方から皮を切り取り、尾の端を左手で押さえ、反対側に右手を置いて少しずつ皮を引き剥がす。これを三回繰り返し、二匹のソールの皮を剥がす。

 長い間、私たちは鱗を剥ぐだけで提供していたが、私はイングランドに旅行に行って以来、皮を剥ぐこと無しには決して提供しないことを採用した。この意義は調理するとき、そして食卓に出すときに、肉がより良い風味を得ることにある。

 舌平目を洗い、水分を抜き、拭いてから大きな鋏で回りを切り取り、頭を斜めに切り、エラにくっついているものを全て取り除く。塩少々、レモンピール、輪切りの玉葱、パセリ一摘み、四つに切り分けたローレル、タイムの断片を振りかける。ソールを大きな平皿の上に置き、30分毎に調味料をこすり付ける。

1時間半、若しくは2時間したら、玉葱とパセリと香料を全て取り除く。それから表と裏の中骨の頭から尾までを切り開いていく。

 ミルクにつけた後、すぐに水分を抜き、押し付けることによって小麦粉で包む。それから卵6個を塩と共に溶く。これに舌平目を完全に浸し、水分を抜いて、パルメザンチーズ1匙を混ぜたパン粉の上に寝かせる。そして十分にパン粉がついたら、簡単に調理する為に包丁の刃で表面と裏面を切り開いておく。スープを作るものに近い楕円形の大きな鍋に、熱した油を半分程度入れる。二匹の舌平目を、フライパンと同じサイズの、両側に取っ手のある格子状の真鍮で作られた網に置く。舌平目が色付いてきたら揚げ物を取り出して炉の上に置いて温め、ゆっくりと調理する。表面をカリカリにしなければならないので、12-15分過ぎたら、良い色にして調理を仕上げる為に揚げ物を強火で揚げる。これは一般的なフリトゥーレの調理法で、20-25分が舌平目を調理するのに必要な時間である。

 鍋を火から離し、真鍮網を取り出して、サーヴィス用の錫の皿の大きなシートの上に置き、舌平目の油分をナプキンで取る。それから慎重に切り身を持ち上げる。それらを平皿から離して置き、平皿の上にイズニーバター8オンスを乗せ、そしてその上に切り身を乗せ、それぞれ規則的な形状に舌平目を整える。

魚と根菜を煮詰めて作るドミグラスソースを注いで、すぐに食卓に出す。鍋でフォンデュを作って加えても良い」という。

 魚はろくに捌いたことがないので調理法はピンと来ないが、少なくともカレームのレシピの記述にあるように、そしてこれまで列挙した史料を確認する限り、魚に溶き卵とパン粉をつけて揚げる揚げ物はイングランドの影響を受けたものであり、その名称は史実性とは無関係に、料理に権威を与える為に付けられた。

 またフレンチフライは添え物として触れられているが、レシピはまだ無い。

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