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揚げ物語  作者: そらが
12/24

12.スルタンの揚げ菓子──三大料理の三番手

 14世紀にモンゴルの席捲が終息し、オスマン帝国は15世紀の中頃にアナトリア半島を征服する。当時の料理書は無いが、その料理の傾向は中東とビザンツ、そしてテュルク文化の混合だったという。

 イスラムの伝統的揚げ物もペルシアを根拠地にしていたセルジューク時代には既に吸収されていたが、その名称自体は大きく変わる。あらゆる料理はトルコ風、アラブ風、ペルシア風、そしてビザンツ風の呼び方のいずれかが選ばれた。

 15世紀に翻訳されたイスラムの料理書には、第2部分で挙げたバグダッドのレシピ集が含まれる。つまりミートボール揚げ、包み揚げ、多層の揚げ菓子の三パターンが存在していたのだろう。


 トルコで揚げ物を表すのはタヴァである。そして生地で包んで揚げるときはボレイ(ボレッキ)になるが、揚げても炒めても鉄板焼きにしても、オーブンで焼いてパイやケーキにしてもボレイと呼ぶようだ。

 ラウズィナのような多層の菓子はバグラヴァというが、揚げずにオーブン焼きにすることが多い。揚げるときはタヴァ・バグラヴァと呼ぶ。



 トルコにおいて料理書の初登場は18世紀と比較的遅いが、これは印刷技術の導入が西洋よりも遅れていたためである。それ以前にはフランスからの使節たちが異国の物珍しい料理について少々の記録を残していた。

 特に飲み物としてのシャーベットは昔からヨーグルトと並んで注目の対象になっていたようで、16世紀のハンス・デアシュヴァムやド・ブスベックの旅行記に登場する。対して揚げ物に触れられることは滅多になく、レシピも説明されない。関係ないが、トルコアイスももう少し後だろう。


 見つけ出せたものとして、17世紀のオッタヴィアーノ・ボンの記録に、ロクマというアラビア語の揚げ物に比定されるフリッターがある。これは小麦粉と溶き卵を混ぜ、小さく切り取ってから油で揚げて、最後にシロップや蜂蜜をかける揚げ菓子だが、史料では蜂蜜をかける揚げ物だとしか判らない。

 ロクマは16世紀のスルタンの宴会のメニューにも記載されているが、レシピが登場するのは19世紀後半になる。

 20世紀中頃に書かれたトルコ料理書のロクマのレシピは、多少長いので要約すると「砂糖、水、レモン果汁を弱火で煮ながら混ぜ、シロップを作る。小麦粉とイースト菌と卵で生地を作り、スプーンで少しずつ掬い上げて、熱した油の中に入れていく。ときどき穴あきスプーンでひっくり返しながら、茶色くなるまで揚げる。仕上がったら揚げ菓子をシロップに10分ほど浸し、一通り終わったら余ったシロップをボールの上に注いで出来上がり」という。

 この性質はジャレビにとても近く、今では同一視されている。


 18世紀に書かれたトルコの料理書は読めなかったが、資料によるとどうやら揚げ物には触れていないらしい。ただ前述したように揚げ物が存在しないわけではないだろう。

 少なくとも18世紀の「料理小冊」にはラランガという揚げ菓子があるように見える。ビザンツ帝国から引き継いだこの揚げ菓子は、20世紀初頭のレシピによれば「小麦粉と卵と砂糖を混ぜてから、少々掴み取り、パンケーキのように薄く引き延ばしてから油で揚げ、蜂蜜や砂糖を振り掛ける」ものだが、18世紀当時のレシピは読めない。


 19世紀初頭、近代化への模索の最中に書かれた47品目のレシピには、生地に包んで揚げる(炒める)ボレイが幾つかある。

 タブック・ボレイはその一つで、鶏の細切れ肉を玉葱のみじん切りや塩胡椒と共に生地に包んで炒めるという。代わりにオーブン焼きにするパターンもある。



 19世紀中頃に出版され、英訳された「コックの避難所」にはタヴァ系のほかに、包み揚げ、そして揚げ菓子がある。レシピにあるボレイは殆ど全てオーブン焼きだが、揚げるのも選択肢の一つにある。

 例えば「ユフカ・ボレイ」は薄生地(ユフカ)で包むボレイで、オーブン焼きのレシピの他に「十分な量の小麦粉をまな板の上に広げ、真ん中に穴を開けて、塩少々、2-3オンスの新鮮なバターを加えて混ぜ、それから十分な水を加えて、柔らかいペースト状になるまで捏ねる。それから小麦粉をペーストの上部と下部に軽くつけて、半クラウン硬貨くらいの薄さになるよう麺棒で広げる。バターで炒めた玉葱のみじん切りと大匙1杯程度の量の細切れ肉または粉チーズを混ぜ、大体互いと互いの間が1.5インチほど離れるようにして、ペーストの上に配置していく。それから牛足もしくは鶏がらスープを用意して溶き卵2,3個を加え、調理用ブラシをその中に浸す。そして調理用ブラシを使ってペーストの上で円を描いて軽く湿らせてから、同じような大きさのペーストをその上に乗せる。そして細切れ肉かチーズを配置した部分を押し込んで、ペーストのスティックを作る。それから茹で卵を縦に半分切った程度の大きさに切り、熱したバターで揚げる。茶色くなったら取り出して油分を抜き、ピラミッド風に皿に載せ、温かいうちに食卓に出す。ペーストを作るとき1,2個の卵を加えておくと、より良くなる」という包み揚げがある。

 20世紀中頃にはシガラ・ボレイという、ユフカを巻き上げて揚げる揚げ物も登場する。


 一方、魚介類の揚げ物はタヴァのカテゴリの中にある。

 トルコにおける魚の消費量は今も昔も相当に少ないが、昔から料理書の中に魚料理は書かれていた。その対象は近海の魚介類であり、19世紀に入るまでその種類は余り無い。

 魚介類を食べるのは外国からの来客であったり、四旬節や金曜日(肉を食べない日)を守るキリスト教徒だったり、或いはスルタンがたまたま海辺の離宮に赴いた時くらいだけだったという。

 例えばミナミカワカマスのタヴァは「洗って塩を少々振りかけ、小麦粉をつけ、それから卵につけて、熱したオリーブオイルで揚げる。皿に乗せるときにはレモンの果汁を振りかけ、温かいうちに食べる」という。

 またムール貝の揚げ物があり「殻から取り出して小麦粉につけ、それから卵に漬けてオリーブオイルかバターで揚げて、塩胡椒少々を振りかけてからレモンと共に食卓に出す」という。

 どちらもトルコというより地中海料理の素材に見える。


 揚げ菓子にはロクマやラランガの名は無いが、似たようなものにクルマがある。こちらはペルシャ語源の揚げ物で、語源通りダーツの形に切り取って揚げる。

 その他、茄子やカボチャに小麦粉をつけて揚げる、野菜揚げがある。



 19世紀後半からは外国の影響が現れる。しかし完全な吸収とはならず、西洋風というカテゴリが追加され、伝統の料理は新しい素材による代替を除けば保守された。

 揚げ物は、ロクマのように受容された揚げ菓子を除けば、オスマン帝国の中心たるイスタンブールのトプカプ宮殿より、古くから揚げ物を食べていた帝国内の諸周辺地域で食べられていたようである。

 ペイストリーの揚げ物を除けば、最近のトルコの料理書にも、ビザンツ帝国からの継承であろう黒海産のイカリングやムール貝の揚げ物くらいしかない。

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