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揚げ物語  作者: そらが
10/24

10.アンシャンレジームの新揚げ物

 フランスは17世紀中頃になって保守的な傾向から抜け出した。16世紀まで続いていたレシピの秘匿はその料理史が示すとおり、料理の発展には貢献しなかった。

 王権の強化に伴ってサービスの様式には大いに手が加えられ、また一方では科学革命や前部分で内容を省いた農業や家禽などに関する知識によって料理に変化が与えられる。

 フロンドの乱後、貴族たちが王冠に従属するようになったとき、ブルジョワたちの力は、マシアロの料理書のタイトルにも反映されているように貴族と均衡を保っていた。


 ルイ14世時代の派手さ溢れる饗宴が過ぎ去ると、豪華な食卓は宮廷のものではなくなる。サロンで親しい少数の友人たちと共に食事することを好んだオルレアン公の摂政時代の間、殆ど料理書は出版されなかった。

 この頃から貴族が自身で料理したり、料理を考案するような風潮が見え隠れする。ただし幾つかの資料は専属のコックによる代筆を示唆する。

 ルイ15世も曽祖父のように毎週大宴会を開くより、給仕不在の私室で親しい者たちと食事をすることを好んだ。料理書は宮廷向けの料理よりも、農村工業の発展によって貴族を凌ぐほどに力を強めた新興ブルジョワたちをターゲットにしたものが増える。


 ほかに海外へと赴いた料理人たちが居た。

 フランス料理人たちの活動は、イングランド、イタリア、イベリア半島、そしてドイツ、果てはロシアにまで及び、フランス料理は各国宮廷におけるフランス式マナーの受容と共に伝えられる。

 またイングランドでは1651年に、ドイツでは1665年に、イタリアでは遅れて1693年になってラ・ヴァレンヌの著作が翻訳されている。フランス風調理法の呼び名はア・ラ・モードやラグー、フリカンドーのように多くの場合、そのまま採用された。

 それだけでなく、ときどき料理名にバイエルン風とかオランダ風とか様々な国名地名を冠されるように、外国からの吸収力も高かった。



 イングランドで活動していたフランス料理人ヴァンサン・ド・シャペルが1733年に書いた「現代料理」には、イングランド風にビールを使う薄切りリンゴのフリッターの他にフランス風を意識したものがあり、以下の二つはフランス語の名を冠する。

 例えば夜明け(ポワン・ド・ジュール)という名のフリッターは「二掴みの小麦粉を温めの牛乳とブランデー少々と共に混ぜ、塩、砂糖、摩り下ろした青レモン、小さくカットしたレモンで味付けしてから、3,4個の卵白をメレンゲにして加える。小さめのフライパンでラードを熱し、三つの管の付いた漏斗を上部に配置する。漏斗を動かしながら少しずつ混ぜ物を流し込み、すぐにひっくり返す。取り出してから、麺棒で丸いウェハースにして一つ目のサンプルは出来上がり。続いて多目の混ぜ物を使って、薄くなるよう心がけながら流し込んで揚げる。取り出して、溶かした砂糖で色付け、ノンパレイユと呼ばれる着色したシュガープラムをばら撒いて完成」

 剣玉(ビルボケ)と呼ばれるフリッターは「二掴みの小麦粉と幾つかの卵、ミルクを混ぜ合わせ、塩少々、適当な量の砂糖、シナモン粉、摩り下ろした緑レモン、レモンの薄切りで味付ける。シチュー鍋を用意してバターをこすり付け、ペーストを入れて混ぜずに焼くか、他の方法で焼く。フライパンから取り出して、指くらいの幅と長さに切り、剣玉の形になるようにナイフの刃先で両端を切る。ラードを熱し、一個ずつ入れて揚げる。仕上がったら取り出して、砂糖を振りかけて温かいうちに食べる」

 他に小麦粉と卵とミルクのペーストに冷たいクリームを包んで揚げるフリッターや、マーマレードを加えるメレンゲのフリッターなどがある。

 ほかの料理を見る限り、イングランド風とフランス風を差別化するとき、調理にビールを使うかブランデーを使うかで分けているようだ。


 そのほかに「子牛のブリスケを蒸し煮してから二つに切り、胡椒、塩、玉葱のスライス、ベイリーフ、バジル、レモンのスライス、パセリ、ビネガーを加えてマリネにして二時間漬け込む。それから布の上で乾かし、溶き卵とパン粉をつけてラードで揚げる」牛カツが登場する。

 マシアロのクロケットと同様、小麦粉を加えることは無い。またブリスケはフランス語だとポワトリンの一部分とかいう表現になるようなのでコートレットにはならない。



 18世紀中頃、フランスのブルジョワ向けにムノンという偽名で書かれた料理書群には、大量の揚げ物がある。

 例えば1739年に出版された「仮面の贈り物」には牛肉のリソルがあり「予め煮ておいた、さほど質の良くない赤身と白身の混ざった牛肉を用意する。脂身が無ければ煮る前にラードか牛脂を加えておく。これに塩、胡椒、ナツメグ、クローブの頭の部分2、3個、バジル、パセリ、ネギ、エシャロット、シトロンを加え、小さくなるまで切り刻む。また卵二つ分のサイズのパン粉一塊を用意し、ミルクかブイヨンと共にゆっくり煮込む。水分が抜けたら、切り刻んで細かくなった具材、卵3,4個、小麦粉一掴みを加えて、切り刻むか砕く。親指サイズのリソルを形作って、溶き卵につけ、その後でパン粉をつける。それから良く温めて溶かしたラードで茶色くなるまで揚げ、炒めたパセリと共に食卓に出す」という。

 この頃にはリソルにもパン粉をつけてから揚げるようになったようだ。

 1739年の「新しい料理法」の第二分冊にはハトやブラマンシェ、リンゴのベニエがあり、1742年の「新しい料理」にはアンチョビやワインケーキのベニエがある。


 1742年出版の「続・仮面の贈り物」にはヴァージニア苺やサンシュユを含む24種のベニエに加えて、キドニーやレバー、骨髄、フォアグラ、きのこ、クリーム、チョコレート、鰈、鯖などのリソルがある。魚のリソルにはパン粉をつけるが、ミンチにせず揚げるときにはパン粉をつけない。

 なんとなく興味が湧いたので、主菜たるチョコレートのリソル「リッソーレ・ド・ショコラ,アントルメ」について確認する。

 「適当だと考えうる薄いペイストリー生地あるいは積層の生地を用意して、薄く広げて油っぽいリソルになるようリソルを形作る。軽く繊細なカスタードクリーム、味付けの為に十分なチョコレートを用意して、冷えてきたら少々のペイストリー生地と十分なクリームで繋いで、リソルを形作る。揚げて、温かいうちに食卓に出して粉砂糖を振りかけ、赤匙(熱したスプーンか)でキャラメリゼする。こうしたものはコーヒー、サフラン、クリーム、アーモンド、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、そして全ての果物でも作れる」という。

 アントルメは前述のように第一のコースで出される中心的な料理である。揚げ物は菓子として扱われなかったのか、当時の菓子作りの書籍からも揚げ菓子を見つけることは出来ない。


 1746年の「ブルジョワの女料理人」にはハトや鱈のベニエがある。どちらも小麦粉とワインと塩で作るペーストに漬けるが、仕上げに砂糖を振りかけない。


 1749年の「料理人の知恵」には13種のベニエと2種のリソルのほか、コートレットを使う牛カツが登場する。

 コートレット・ド・ヴォー・フリットの三つある調理法の最後のものとして「コートレットを幾つかに切り分けて、溶かしたラード少々、細切れにしたあらゆる種類のハーブ、ビネガー少々、塩胡椒と共に、肉汁を使い弱火で煮る。それからコートレットに溶き卵とパン粉をつけて揚げる」という。


 クロケットのレシピはヴァンサン・ド・シャペルやムノンの料理書にもあるのだが、どういうわけか牛の目玉や舌を磨り潰し、溶き卵とパン粉をつけて揚げる奇妙なものになっている。


 18世紀後半になるとディドロの影響からか、辞典的な性質を持った料理書が書かれるようになった。揚げ物やそのレシピもあるにはあるのだが、近世フランス料理をまとめているだけに過ぎない。

 また「食と健康の方法」のような当時の健康書では揚げ物は排除されてしまったようである。


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