01.古代から中世へ
西洋における揚げ物のレシピは、古代ローマのグロービというチーズボール揚げが最初である。紀元前2世紀の大カトーは農事誌でそのレシピに触れ、「均等の量の小麦粒とチーズを混ぜ合わせ、油を注いだ銅製の容器に入れ、二つの棒を使って時々ひっくり返しながら揚げる」と書く。
また味付けには蜂蜜の他に、七味唐辛子にも使われているケシの種子を使う。油は高価なオリーブオイルではなく豚の脂身を用い、ゆっくり時間をかけて揚げられた。
他に、揚げパンやドーナツ、フリッターの原型として資料の一つにはスクリブリタが挙げられている。これについて「古代ローマの饗宴」の調理法集では、揚げ物というよりむしろチーズケーキとして描写している。カトーの農事誌を確認すると「生地と皮はそのままだが、蜂蜜を入れないプラセンタケーキ」と簡単に書かれていて、それは多分チーズパイみたいな感じだろうが、後述する予定の揚げ菓子と結びつく点で揚げ物の起源の一つとされているのだろう。
プラセンタケーキについて雑に書くと、パイ生地を土台にして蜂蜜とチーズを塗った薄いパイ生地を重ね、土台の生地で包み込んでからオーブンで焼くケーキで、詳しく正確な作り方はカトーが長々と書いている。
レシピによって記録されない揚げ物はもっと過去に遡ることができるだろうが、レシピが無いので確証は無い。例えば「古代ローマの饗宴」の調理法集で、グロービの原型として紀元前二千年紀の古代エジプトでの揚げ物を挙げているのだが、それを示唆するラムセス二世の墓の壁画にある調理工程は揚げ物だけでなく、煮物やパン作りの工程としても扱われる。身として動物を象ったものが使われているから、多分パン作りが正しいのだろう。祭礼用のパンの筈だ。
古代ギリシャの頃には野菜を油で煮る料理がアテナイオスの著作に認められる。また資料によってはあまり十分とはいえないオリーブオイルに沈めて魚を揚げていたともいう。古代ギリシャの調理器具は底の深いフライパン、二人で調理する大釜、パンを焼くためのオーブン、魚を焼く網と魚を煮る鍋がある。油を使うときは多くの場合フライパンを使うが、油を使わず炒めることもあった。
ローマの頃に調理器具は多様化するが、フライパンと大釜とオーブンが重要な位置に立ち続けた。このうちフライパンやオーブンには熱効率がどうとかの技術的進歩が見られるが、魚の焼き網は粗末なままに見える。
通説によれば、揚げ物は4世紀のアピキウスの料理書より始まる。それについてはwikiにも触れられている。そのレシピを見ると、「鶏肉に香ばしいソースと油を混ぜ、ディル、リーキ、コリアンダーを加えて調理し、出来上がったら皿に乗せて、葡萄の果汁を塗り胡椒をかけて提供する」と書いてあるように見える。
魚醤と油を混ぜてソースにする料理は、他にも幾つか挙げられている。これに胡椒などの香辛料、酢、蜂蜜を加えることも多い。
その他、料理書には「カボチャの薄切りを煮て、そして焼いた後、クミンを塗して少量の油で炒める」料理らしきものも見える。
続く5世紀から8世紀の頃は、西ゴート王国からフランク王国辺りでのヴィニダリウスによる全31編のアピキウス料理書の改訂本や、東ゴート王国のアンティムスの手紙が手掛かりになる。
ヴィニダリウスの料理本には、魚醤に塩と油を混ぜてソースにする料理が挙げられているが、揚げるとは限らない。例えば「魚に胡椒やハーブ、乾燥玉葱を混ぜて炒め、油と魚醤を加える」料理だったり、「塩水とディルに浸して一日置いた豚肉に、ハーブや玉葱のみじん切り、油と干し葡萄と魚醤を加える」料理を挙げる。
またアンティムスは「豚肉を油で揚げたものが健康によいこと」を述べたり、「パースニップを揚げる前に煮ること」を推奨していたりもする。
その他に9世紀頃のエピナル・エアフルト写本の用語集には、フライパンを使う揚げ物もしくは炒め物料理の存在を示唆する用語があるという。
一方、ササン朝、ウマイヤ朝もしくはアッバース朝ペルシアにおいて、より多様な揚げ物が作られていた。古代から初期中世にかけてのヨーロッパや東アジアではレシピの中にほんの僅かしか見受けられない揚げ物だが、アラブ世界のレシピの中には揚げる調理法が多く採用されている。
これについて、乾燥した気候のために脂っこい料理がとても好まれていたという資料がある。強引に考えればアレクサンドロス帝国からセレウコス朝、及びパルティア王国の頃に入植したギリシャ人エリートによって後の支配者層が影響を受けたかもしれないが、何も判らない。ただ調味料の名前から、それらが古くから中東で利用されていたことが資料で示唆されている。そのほか王朝が衰退するたびに放棄されたカナートの修復や、発明されたばかりの水車や風車を利用した製粉の効率化は何か影響を与えただろうか。
揚げ物が最初に確認できるのはササン朝のときで、アピキウスの料理書にあるパルティアの焼き鳥は揚げていない。
魚を揚げるときには鉄のフライパンが用いられ、ゆっくり長く揚げられた。どうやら調理器具の使用用途は細かく決められているようで、資料には例えば揚げ菓子には真鍮のフライパン、肉や目玉焼きには石鍋、スープや粥には錫内張りの銅鍋、さらに鍋の大きさも用途ごとに異なると紹介されている。
油にはごま油やオリーブオイルをはじめ様々なものが用いられていたが、肉を揚げるときには羊の尻から摂られた油が良く使われていたようだ。
アラブ世界における最初の揚げ物のレシピは10世紀、アッバース朝の頃にバグダッドで書かれたアル=ワッラークの料理書集の中にある。その料理書集は過去のペルシアの料理書の集成であり、ササン朝・ウマイヤ朝時代の人物もレシピの製作者として挙げている。
その中に、例えばサンブサと呼ばれる料理があり、羊肉にスライスした玉葱、コリアンダー、ミント、クミンなどのスパイスを加え、パイ生地で三角状に包んで油で揚げる料理で、時にはドライフルーツやナッツを混ぜたりマスタードにつけて食べる。
またカリッヤという料理は、細かく刻んだ羊肉を一旦煮てから、微塵切りにした玉葱を加えて揚げ、スパイスを振り掛ける。その後、フライパンの上に肉を広げてから沢山の卵を割って入れ、卵が固まったら砂糖とワイン酢、ハーブ、皮を剥いた胡瓜を振りかけて完成となる。
そのほか、ジャレビは小麦粉を揚げて丸めて再び揚げ、薔薇水などの香料を振りかけて温めた蜂蜜に軽く浸し、砂糖を振りかけて食べる揚げ菓子で、リング状や円盤状のものもあった。
揚げ物は肉類が多いように見える。そもそもレシピ集には肉類の料理が豊富に書かれている。宗教上、イスラム教徒は豚肉を食べない。牛肉も中世初期にはまだ労働力とミルクの価値が高く、神への犠牲用にはなるが滅多に食用にならない。その代わりに鶏肉と羊肉が消費される。海産物も食べないことは無いが、レシピは比較的少ないし、炒め物らしきものはあるが、揚げ物は見当たらない。
8-9世紀にアラビア人がイベリア半島やシチリア島に上陸してから、彼らの食材は西欧へと流れ込むようになった。揚げ物そのものはオリーブの希少さにも関わらず以前からヨーロッパに有ったかもしれないが、アラブ世界のように大量の油に沈めることは殆ど無かったように見える。