自由党鳩山派の旗揚げ。からの日本民主党の結党。から16日後には首相就任。元首相の芦田均も最高委員として参加。
1952年(昭和27年)に彼と会談した後の鳩山一郎は、別人になったのであった。
酒ばかり煽り脳梗塞になった69歳の老人とは思えぬ働きをするのであった。
一説によるとメイソンから鳩山に与えられた政治資金は当時の金額で1兆円、まさに当時の日本国国家予算に匹敵する金額であった。
この政治資金で復活を遂げた鳩山は、与党自由党、野党改進党の国会議員たちを鳩山日本民主党に引き抜き集めて来たのであった。
その数、120名。衆議院議員だけでこの人数である。
1952年(昭和27年)に自由党内鳩山派を立ち上げ、1954年(昭和29年)11月24日に日本民主党を結党し、その16日後の1954年(昭和29年)12月10日には、日本国の首相になっていると言うスピード出世ぶりなのであった。
持っていない男は、自主憲法制定、再軍備を戯言のように繰り返し主張して71歳の遅咲きの首相となったのであった。
*憲法第9条を読み解く3つのポイント
1.{国際紛争を解決する手段として}①戦争と②及び③が放棄されている。
2.{前項1.の目的を達するために}陸海空軍その他の戦力を保持しない。
3.The right (of) belligeren-cy (of) the state will not be recognized.
交戦状態を意味する belligeren-cy という単語を選んだ。
戦争行為を意味する belligeren-ce という単語を避けた。
戦争権ではなく交戦権にしたかった。一連の戦争(始~交戦~終)行為の中で交戦に限定した。
戦争の始の部分は、先制攻撃するので交戦権に含まれていない。
Will が含まれている構文は、未来を表している。