統合運営委員会の機能を存続させるため吉田茂、白洲次郎、彼の三人で話し合う。
GHQによる日本国の占領が間も無く終わりを告げようとしていた。
吉田内閣の最大の難関、サンフランシスコ講和条約の調印が1951年(昭和26年)9月8日に調印が無事完了し、翌年1952年(昭和27年)4月28日にその発効を迎えようとしていた。
GHQが接収した生命保険会社のビルから見える皇居の桜も間も無く満開を迎える頃であろう。
1945年(昭和20年)8月15日から約6年8ヶ月、外圧だけではなく、実際に外国勢力に占領までされたことを考えると明治維新を超える社会の変化、封建制度の江戸を引きずっていた日本国が根こそぎ無理やり引っ繰り返されたような激動の時間であったと言えるであろう。
サンフランシスコ講和条約でのスピーチを英語ではなく、日本国の首相らしく日本語でと強く主張した、GHQの言うところ”服従ならざる唯一の日本人”、白洲次郎も吉田茂、彼との会談に加わっていたのであった。
*憲法第9条を読み解く3つのポイント
1.{国際紛争を解決する手段として}①戦争と②及び③が放棄されている。
2.{前項1.の目的を達するために}陸海空軍その他の戦力を保持しない。
3.The right (of) belligeren-cy (of) the state will not be recognized.
交戦状態を意味する belligeren-cy という単語を選んだ。
戦争行為を意味する belligeren-ce という単語を避けた。
戦争権ではなく交戦権にしたかった。一連の戦争(始~交戦~終)行為の中で交戦に限定した。
戦争の始の部分は、先制攻撃するので交戦権に含まれていない。
Will が含まれている構文は、未来を表している。




