腐敗しきっていたGHQ民政局。彼に金と仕事、権力と権限が集中していた。
戦後直後、日本社会党が政権の座にあった期間は、1947年(昭和22年)5月24日 から1948年(昭和23年)3月10日の約11ヶ月間だけであった。首相は日本社会党党首の片山哲、民主党総裁の芦田均が副首相であった。
この間、彼は多忙を極めていた。
局長のホイットニーや次長に昇格したケーディスは、日本人から金だけとって何も仕事をしないからであった。
民政局は、贈収賄の汚職にまみれていたのであった。
金を出すほうもGHQの占領が3年近くなるとホイットニーやケーディスが、金だけ取って仕事は、彼に丸投げであることが分かってきていた。
自然と彼に金と仕事、権力と権限が集まる仕組みが出来てきたのであった。
将校用の個室を与えられ、ホイットニーやケーディスも金欲しさに彼に愛想笑いするようになって来たのであった。
彼の権限が及ぶ職掌範囲は、まさに現在の全省庁が管轄している範囲であったと言えるであろう。
彼の統合運営委員会を戦前の軍部になぞらえて”統合運営本部”と呼ぶものも多くあったが、彼は常に”委員会”ですよと言っていた。
9条委員会が、今も”委員会”を名乗るのはこうした理由からでもあるのだ。
*憲法第9条を読み解く3つのポイント
1.{国際紛争を解決する手段として}①戦争と②及び③が放棄されている。
2.{前項1.の目的を達するために}陸海空軍その他の戦力を保持しない。
3.The right (of) belligeren-cy (of) the state will not be recognized.
交戦状態を意味する belligeren-cy という単語を選んだ。
戦争行為を意味する belligeren-ce という単語を避けた。
戦争権ではなく交戦権にしたかった。一連の戦争(始~交戦~終)行為の中で交戦に限定した。
戦争の始の部分は、先制攻撃するので交戦権に含まれていない。
Will が含まれている構文は、未来を表している。