King(支配者)は、阿片資金をマネーロンダリング(資金洗浄)するためにユダヤ資本と繋がった。
阿片事業が安定した成長を遂げてはいたものの、King(支配者)にも大きな悩みがあった。
それは、関東軍軍票で回収された収益の換金であった。
関東軍は、軍需物資を現地徴用するため過剰に自軍の軍票を中国国民に強制的に押し付けていた為、中国東北部域内で軍票が溢れる結果を招きその価値が暴落寸前であった。
更には1941年(昭和16年)12月25日に香港総督をクリスマス降伏させるに至り、英ポンド及び米ドルを得る唯一の金の卵を産む鶏とも呼ぶべき香港金融機能を停止させてしまうという失策を演じてしまったのであった。
関東軍軍票はその武力が背景に存在する限り通貨としての価値は、維持できる。
ただ、関東軍の武力が及ぶ域内での価値であり、他国通貨や貴金属などとの互換性は、皆無と言える。
King(支配者)の手元には何ら互換性の無い関東軍票が堆く山積みになってしまっていたのであった。辛うじて日本円に換金できてもそれらは本国及び関東軍上層部に賄賂として使ってしまっていたのである。
元々植物のケシが精製されて阿片となり、最後には関東軍の軍票になっていた。
「結局、どっちも使い物にならねえや。」
彼は、King(支配者)などと呼ばれている自分自身の地位もこの阿片や軍票のように使い物にならない単なる婀娜花であると思い知らされるのであった。
しかし、英米資本が一掃された香港にユダヤ資本だけ残ることが許されたことによって彼に幸運が齎される結果となったのであった。
関東軍参謀、石原莞爾を通じて一人のユダヤ人が彼を訪ねてきた。




