軍閥化するManchuria(中国東北部)のKing(支配者)。阿片で得た資金は首相の東條英機にも渡っていた。
農商務省(現在の農林水産省に相当)の小役人がまさかのKing(支配者)である。
農業指導で増産したケシ栽培が大成功を収めたからであった。
武人気取りの関東軍監察の眼を盗み阿片の大部分を私的に流用したことにより彼の手元には、年間1億円(現在の価値に直して約100億円)以上の資金が入ってくるシステムを確立することに成功した。
元々植物であるケシの育成に何ら知見がなく、ケシの栽培面積とその収穫量を計ることにさえ気が回らなかった関東軍は、精製される阿片がどれほどの量になるのかなど見当もつかなかったであろう。
瘦せた鼠のような顔をした監察の居る日中は少量の阿片を精製し、晩酌が唯一の楽しみになっている監察が帰宅するや否や夜間ぶっ通しで独逸製の精製機を廻し続けたのである。
精製された阿片は現地中国人の馬賊を通じて流通され始めると、カルカッタから船便で運ばれてくる価格の高い印度産に代わって安価で高品質な満州産の阿片が燎原の火の如く瞬く間に広がっていった。
馬賊らが頻繁に出入りする精製所の不審な動きに気づいた監察も賄賂を現金で渡されるや否や逆に阿片の密売に自ら積極的に手を貸してくれるようになる始末であった。更には、上官の大佐、総司令官の中将にまで賄賂が及ぶに至り関東軍は彼の意のままに動く私兵となって行ったのであった。




