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第七話 そして僕は走り出した(上)


 もう二度と会えないなら、最後の思い出は笑顔でありたかった。

 未来なんていらないから、思い出を忘れる方法を教えてください。



 *



「お前さあ……。死んだ魚が腐って、生き返って、納豆まみれになって、まーた死んだような顔してんぞ?」


 バイト中、翔が言った。

 その例えはまったくわからなかったけど、僕がすごく酷い顔をしていたことはわかった。

 僕は機械のように手を動かす。

 耳に入ってくる翔の言葉。

 僕は機械のように相槌を打つ。

 耳から抜けていく翔の言葉。


「でさあ、前言ってたじゃん? ……つーか、おーい。聴いてんのかー?」

「……聞いてるよ。前って、なんだっけ?」

「映画だよ、え・い・が!」


 ……映画?

 ああ、そういえば……そんな話をしてたような気がする。


「……なんだっけ、それ」

「覚えてねえのかよ、『燃えろカンフー密室殺人の鎮魂歌』だってば。ぜってーこれマジやべえって」

「…………」


 タイトルからしてB級臭が半端じゃないけど、カンフーな主人公がひょんなことで殺人事件に巻き込まれて、しかもそれが密室殺人という難解なトリックだったとしても、なにがどう転んでレクイエムになるのか、さっぱり見当もつかないね。きっとそこに意外性が組み込まれてるんだろうけれど、なんか予想外の大どんでん返しがありそうだ。ううむ、気になるな。いつ行くの? 今度の日曜にでも……いや、人が混むかな、金曜日とかどうかな?


 ……とでも言えば、翔は満足するだろうか?

 ……面倒だな。

 僕は翔の言葉を聞き流し、黙々と洗い物を続ける。

 洗うモノがなくなったら、洗ったモノをもう一度洗う。


「おーい……つーかそれ、洗ったヤツじゃねえの?」

「そうだよ」

「わかっててやってんのかよ、タチわりいな! 給料泥棒じゃねえか!」

「別に、翔に関係ないだろ? 何か無心にやり続けたい気分なんだ、察してくれ」


 突き放すように僕は言った。


「ふーん。お年頃だねえー。思春期真っ只中の、こじらせ系少年待ったなしって感じ?」

「……なにそれ、意味わかんない」


 翔の軽口は止まらない。

 僕はうんざりする。放っておいてほしいのに、なんで今日に限ってコイツはやたらとからんでくるのだろう。酷く、面倒だ。


「でさあ、映画どーする? お前も明後日休みだろ? 夏休みも終わるし、最後に親友と思い出作りにいこーぜぃ?」


 翔は作り物っぽくない笑顔で、親指を立てて言う。

 僕は諦めたように溜息をついて、

 

「……いいよ、別に。やることもないしね」

「じゃあ決まりだな!」


 言って、空になったトレイが流し台に放り込まれた。

 ちゃんとしたやることが出来た僕は、スポンジに洗剤を新たに染み込ませ、洗う。


「つーかさ、訊いていい? お前、その顔どったの? 新手のイメチェン? まさかワイルド思考に目覚めちゃったりしちゃったり?」

「なんでもないよ。……親と喧嘩して、殴られた。それだけ」

「ふーん」

「…………」

「そいえばさ、お前まだあいつとつるんでんの?」

「……あいつって誰さ」

「東中退になったあいつだよ、ひーちゃん、だっけか?」


 なんでその名前が出てくるのか……悪名高いひーちゃんは、他校の生徒にも知れ渡っているのは当然だけれど、いまこの場で翔が出してくる理由が僕にはわからなかった。


「…………さあね。しばらく、会ってないから」

「ふーん、そっか」


 呟いて、翔は話題を変えた。

 そしてどうでもいいような話を延々と僕に振り続けた。

 翔はそれ以上は何も訊いてこなかった。


 バイトの時間も終わり、その帰り際。

 いつものように廃棄になったバンズやナゲットをくすねる翔。

 僕はなにも考えず、タイムカードを押して帰ろうとする。

 事務所から出ようとドアのノブに手をかけたとき、後から翔の声が聞こえた。


「なあ」


 僕の手は止まる。


「……なにがあったか知んねーけどさあ。訊かねえけどさあ。あんま、深く考えんなよ? 辛いなら馬鹿みたいに泣いたり、食ったり、そういうふうにしたほうがいい」


 お前は不器用だから尚更な――と。

 翔はそう言った。


「……うん、ありがとう。翔」

「明後日、映画だからな! 忘れんなよ?」

「もちろんさ」


 後姿でそう応え、僕は一人、そのまま家に帰った。



 家についた僕は、一直線に自分の部屋へと戻る。

 机の上に財布と携帯を投げ捨てて、スタンドに立てかけてあったベースギターを持ち、布団に腰を落とす。


「……あ、そういえば……翔にバイト辞めること、言えなかったな……」


 思い出したように言った。

 かぶりを振って、無心になってベースを弾いていると、僕を呼ぶ母親の声が聞こえた。

 どうやら夜食を作ってくれたらしい。

 僕はそれを無視して、ベースを弾き続けた。

 しばらくして、父親と母親が言い争う声が聞こえた。勝手にしてくれ、と思った。

 僕は明け方までベースを弾き続けた。



 *



 二日後。

 夏休み最後の日。

 僕は翔との約束通り、隣町の映画に行った。

 この辺の中高校生の交通手段といえばバスだ。約束の時間は午前十時。

 両親にはバイトと言って家を出た僕は、コンビニで朝食のサンドイッチとパックのコーヒー、アイスを買い、五分前に集合場所であるバス停に到着した。

 そこでベンチに座っていた翔を見て驚いた。


「その顔……どうしたの?」

「聞いてくれるか友よ……なんつーか、オヤジとマジ喧嘩した」


 翔の顔がボロ雑巾みたいになっていた。

 僕の顔を死んだ魚とか、納豆まみれとか言っていた翔の顔も大差ない程度に――目の周りに青アザが出来てて、唇はタラコのように膨れ上がっていた。

 痛そう、とは思ったけれど。なんだか、パンダみたいで面白かった。


「マジありえねー! 俺のオヤジ、和製アーノルド・シュワルツェネッガーだってお前も知ってんだろ? やっぱターミネータは伊達じゃじゃなかったわ……、ムカついて殴りかかったらマウント取られてTKO待ったなしだった……」

「それは……御愁傷様だね」


 と、似合った台詞を吐いてみるけれど、僕にはそれが本当のことだとは思えない。

 翔の親父さんは頑固で堅実な人だ。曲ったことが嫌いで、翔が悪戯をしたとき、容赦なく叱っていたのを僕は見ている。翔は僕みたいな馬鹿じゃない。間違ったことをして喧嘩になったなら、翔は大人しく叱られるだろう。

 まったく、下手くそな嘘だ。

 僕は買ったアイスの袋を翔の頬に当ててみた。


「――うおおっ!? ピタッとしたアイスの袋がちべたく俺の頬っぺたにピタッと!? し、しみるっ! その容赦ない冷たさに俺の熱く火照った傷痕がしみやがるうぅぅッ!」


 翔は本当に変わらない。


「ふふーん」

「……なに?」

「ちっとは落ち着いたか?」

「なんのことかわからないけど、僕はいつも通りだよ」

「へえ」

「……で、その顔、どうしたの?」


 僕は訊いた。


「言ったろ? オヤジに殴られたって」

「それは聞いたよ。で、本当は?」


 真顔で僕を見る翔。

 ちょっと間を置き、口元を吊り上げて笑顔を作って見せ、


「言わせんなよ、バカ。男は背中で語るもんだろ?」

「…………」


 どっちが馬鹿だ。

 僕は翔のTシャツを掴んで、アイスの袋を背中に入れてやった。


「――うおおっ!? ピタッとしたアイスの袋がちべたく俺の……」


 そんなことをしているうちにバスが来た。

 二人して顔面あざだらけ――そんな高校生二人を乗せたバスの運転手さんは思わず二度見したりして、それがなんだかとても可笑しかった。



 *



 翔の絶賛していた『燃えろカンフー密室殺人のレクイエム』。

 それを見終わった今の率直な感想を言うと、


「アホらしい映画だったね」


 その一言だった。

 僕らは帰りのバスを待つがてら、近くの公園で時間を潰していた。


「そうかあ? 俺は面白かったけどなー」

「だって予想通り過ぎたもん」


 ちなみに。

 内容は予想通りカンフーな主人公が海外旅行中、泊まったホテルで殺人事件に巻き込まれ、容疑者にされ、事件解決までホテル内に軟禁される――という話だった。

 ベタベタのテンプレートを思わせる話で、被害者は双子の女性。推理小説にある、『双子が出てきたら入れ替わりを疑え』に習い、当然のように同じ容疑者の中の双子の片割れが疑われ、お約束のどんでん返しは主人公の相棒的な存在、シャーロック・ホームズで言うワトソン君ポジションの男が犯人で、その動機は主人公を殺すためだった。連続性を持たすためだけに殺された女性にしてみれば、とばっちりもいいところだろう。

 ちなみに、この作品はシリーズ物らしく、僕らが見たのは第二部らしい。一部で主人公と相棒の確執があったらしいのだけれど、それを見ていない僕にとっては、なんとも釈然としない、落ちのつかない終わり方だった。


「わかってねーな、それがいいんだろ? 王道でいいんだよ、奇ぃなんかてらってどうすんだって話だ。前作の終わりが終わりだったからなー、なんかあるとは思ってたけど、ド真ん中ストレートって感じだよ。やられたわ、三振だよ。スリーアウトチェンジだ」

「……ていうかさ、前作を知らないから腑に落ちないんだけど」


 僕はシーソーに跨りながら、訊いた。

 対面には翔が座っている。


「あー、そっか。見てねえのか。……んーと、前作はなあ……相棒には妻がいたんだけど、浮気してるかもっていう勘違いから、愛情が殺意に変わっちまって、それを主人公が助けるかたちで嫁さんの犯罪を暴いて、相棒の無実を証明する――って話」

「……ふうん? なんだかミステリーっぽくないね」

「どっちかってーと、ヒューマンドラマだな」


 カンフー要素は皆無だった。

 僕は鉄棒に両手を掛け、ブラブラした。

 翔は膝を引っ掛けてコウモリみたいにぶら下がっている。


「でも、なんで相棒は主人公を殺そうとしたの?」

「それな。前作のラストで相棒の嫁さん、自殺してんだよ」

「自殺? どうして」

「罪悪感とか、そんなんだろ。それだけ好きだった――ってことだろうさ」

「好き……ねえ……」

「そう、愛情だ。それも飛びっきりのな。だからこそのレクイエム、繋がったとき震えちゃったね、俺」


 愛情。鎮魂歌。

 それも勝手な思いだろう。

 僕たちはブランコに腰を降ろし、揺られた。


「つまり、相棒はお嫁さんの自殺の原因は主人公にある、って思ってたってこと?」

「そゆこと」

「前作で無実を証明して貰ったっていうのに、それって理不尽過ぎないかな?」

「それも愛情だよ。歪んじゃいるけど、間違っちゃねえ」

「間違えてるけどね。おもっきし」

「そりゃな。でも、葛藤して苦しんで、どっかに吐き出さなきゃ、やってられなかったんだろうさ。死んだ嫁さんのために、主人公に復讐する――っていう目的作って、なんとか自分を保ってたんだろ。泣かせる話じゃねーか」

「……そう? 僕は馬鹿だと思うけど」


 僕は言う。


「好きだったから、裏切られたから殺す。失ったから復讐する、だなんて」


 まるで話にならないとばかりに。

 翔の視線を気にしつつ、僕は続ける。


「――だったら、最初から好きになんてならなきゃ良かったんだ」


 そう。

 そうだ。

 期待するから、裏切られたとき、その反動が大きい。

 そもそもが間違っている。

 現実なんて馬鹿げたものを信じるから、期待するから、だから上手く行かなかったときに酷く傷つき、酷く絶望してしまう。

 だから、期待なんて最初から必要ない。

 期待なんていらない。

 希望なんていらない。

 優しさなんて偽善だし、人間なんてものは虚像、上っ面だけで作られた虚構でしかない。

 そんな嘘にまみれていくことは、僕には……


「それはちげーよ」


 と。

 翔はまっすぐ僕を見て、言った。


「……違う? いいや、何も違わないさ」


 僕は目を背ける。


「あー駄目だ、駄目駄目。てんでわかっちゃねー、まるでわかってねーよお前は」

「……知った風な口を利かないでよ。僕だってわからないんだ、翔にわかるはずないだろ?」

「映画の話だろ? 熱くなんなよ。……それでもさ、全部はわかんなくても、それくらいは俺にだってわかるよ」


 翔は言う。


「少なくともお前よりはな」


 と付け加えて。


「わりぃとは思ったんだけどさ……昨日、七瀬に会ってきた」

「…………、……へえ。で?」

「お前のこと、心配してたよ」

「嘘だ」

「嘘じゃねえよ」

「嘘だよ」


 僕は訴える。

 そして言い聞かせるように、


「奈々ちゃんがそんなこと言うはずない。僕が何をしたか、翔は知らないからそんなこと言えるんだよ。それに、心配される覚えなんてない」

「お前がなにをしてよーが、心配すんのは相手の勝手だろ。……つーかさ、お前、自分のことなのに本っ当、全っ然わかってねーのな。いつまでそーやって悲観的に構えて、ニヒリスト気取ってるつもりなんだ?」

「……そんなもの、気取っているつもりなんてない。ただ僕は……翔みたいに上手く表現できないだけだ。翔には……そう見えるだけだ」


 僕には気取るような感情はない。機能が備わっていない

 それに、僕は許されたくないんだ。

 許されたら、許されでもしたら、それは……それだけは、駄目だ。


「本当、お年頃だよなあ。言っとくけど、お前ほど単純な奴いねーからな? じゃなかったら俺もつるんでねーし」

「…………」

「なんつーかさあ……いい加減気付けよ――って、ずっと思ってたけど……もういいや。代わりに俺が教えてやるよ。お前は七瀬が好きなんだよ」

「……はあ?」


 好き。

 ……好き?

 なにそれ。笑えねえ。


「そんなわけないだろ」


 馬鹿なことを言う馬鹿な友達。

 僕は僕に言い聞かせる。

 そんな感情、僕には存在しない。必要ない。

 笑えもしないジョークはやめろ。

 僕は、続ける。


「奈々ちゃんとは気が合っただけだ。僕がほんの気まぐれでベースをやり始めて、その先生ってだけ。それ以上も以下もない。だいたい僕は、人を好きになったことなんて――」

「あーわかったわかった。勝手に言ってろ」


 あしらうように、翔は僕の言葉を切った。


「……でもな、そーいう気持ちってのは意外と自分じゃわかんねーもんだったりするぞ? あるいは、気づいてて気づいてない振りしてんのか? まーありがちだわな、特にお前の場合」

「……気持ちって」

「誰かを好きになる、大切に思う気持ちだよ」


 人はそれを『愛』と呼ぶんだぜ――と。

 翔は役者ぶって言った。

 格好をつけて、僕に指を指して。

 そんなことを言ってのける翔が浅ましく見えた。

 酷く、

 浅ましく。

 羨ましくも思えた。




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