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第三話 僕らは歩み寄った(上)


 変わらないものが多過ぎる。

 変わろうとするものが少な過ぎる。

 それで誰かに縋るなら、きっとそれは罪なのだろう。



 *



 そのときの僕は多分どうかしていたんだろう。

 この僕が。

 この僕が、だ。


「ありがとうございましたー!」


 明るい店員の声を後ろに、僕は店を出る。

 夏も真っ盛りの八月。夏休み。青空が眩しい。セミがうるさい。

 肩に背負っている大きな袋、ソフトケース。手にはアンプとかいう、よくわからない機械。

 もろもろしめて八万円。

 バイト代二ヶ月分が入っていた財布は空っケツになっていた。


「……あー……」


 なんていうか、泣きそうだ。


「……本当、どうかしてる……」


 僕が自分から何かを始めようだなんて……。

 そんな意欲的な男子になったつもりもないし、そんな向上心なんて小学校くらいのときにドブ川へ投げ捨てたつもりだったのだけれど……。


「買ってしまった……」


 ベースギターを。

 それも衝動的に。

 さらに言えば自分で選ぶこともせず、店員に流されるまま。

 以下回想――


『どのような物をお探しですか?』

『えっと……、初めてでよくわからないのですけど……ベース、が欲しいのですが……』

『あ! それだったら、これなんかいいと思いますよ!』

『そうなんですか。これですか。七万円ですか、割とすごく高いですね』

『ええ、安物買うより少し奮発したほうが後悔はしませんしー』

『そうなんですか?』

『そうなんですよー』

「そうなんですか』

『これにします?』

『え? あ、はい』


 ――回想終了。

 こんな感じで時間にして五分以下。

 我ながら良いお客さんだったと思う。


「……どうしようもなく馬鹿だな、僕は」


 財布の中身を見る限り、翔との映画の約束は果たせそうにない。

 ……まあ、もともと見たくなかったから、それはいいとしても、やはり高校生にとって八万円は痛い。痛すぎる。

 ふと――冷静になって考えてみた。

 八万円あれば何ができただろう、と。

 お菓子もたらふく買えるし、ゲームだってハードとソフトを四個買ってもお釣りがくる。親孝行って柄でもないけど、父親の好きな焼き鳥を御馳走することだって出来るし、家事に追われる母親に保湿クリームを買ってあげればきっと喜ぶだろう。というか、家族旅行にだって連れていけるかもしれない。八万円とは、それほどの大金だ。

 それを踏まえた上で、

 さらに冷静になって考えてみる。

 そもそも僕はお菓子なんて好きじゃないし、というか好きな食べ物自体がない。ゲームもしないし、欲しくもない。暇を持て余す時間を、暇で潰すという素晴らしい趣味が僕にはあるのだから――とはいっても流石にそれは無駄なので、こうやってバイトをしてお金を稼いでいるわけなのだけれど……。

 稼いだところで、僕に欲しいものなんてあるのか……?


「ない……かなあ」


 ううむ、どうしよう。

 これといった使用方法が思いつかない。

 親孝行も、それはいいだろうけれど、僕の父親のことだから、外食に出れば絶対に僕にはお金を出させないだろうし、母親にプレゼントなんてしたら、「いったいどうしたの? なにかやましいことでもしたの?」とか言われかねないし、例え違ったとしても、「そんなことに使うなら参考書でも買いなさい」とか、やはりその辺に落ち着くだろう。家族旅行は僕が行きたくない、という致命的な理由があるから、当然、無理だ。

 ……あれ?

 じゃあ、お金って何に使うんだ?

 だったら別に、惜しくなんてないな――と、財布の中身からあったはずの万札八枚が消えている事実に思い至る。諭吉か漱石かは忘れたけれど、八人の彼らは僕の財布を離れて、いまや楽器屋さんのレジの中だ。

 理論詰めていくと、そこにあったものが無くなったから、だから喪失感が僕をそう思わせるのだろう。

 自分が所有していたものを――得ていたものを、失う。

 けれど、代わりにいま、僕の手にはこれがある。

 ふっと視線を落とす。

 抱えたベース。

 奈々ちゃんと同じ、楽器。


「…………」


 思わずニヤけてしまう(無表情)。

 どうやら、僕は自分で思っている以上にまだまだ子供らしい。


「……さて」


 暇を暇で潰すという趣味を発揮したところで、僕は自転車のカゴにアンプを乗せ、ベースを担いでサドルにまたがる。帰路に着こうか――と思ったそのとき、ヴヴヴ……と、うるさいエンジン音を立て、バイクが僕の目の前に止まった。

 乗っていたのは金髪ロン毛の男。無駄に長い襟足。

 格好は見るからの作業服。ステッカーの貼られたヘルメットを首から下げて、耳元にはゴツイピアスがずらりと並んでいる。


「あっれ、何してんのお前?」


 面倒くせえ、と思った。

 現れたそいつはケースを指差し「それギターか? うっわ似合わねえー!」と笑った。

 違う、ベースだよ、その目は節穴だな、死ね、と思った。

 僕は僕のスイッチをオンにする。


「そんなこと言わないでよ、ひーちゃん。ていうか今日仕事は休み?」

「あ? ああ、やってらんねーから休んだ。ズル休みって奴だな」


 へっへっへ、と殴り殺したくなるような顔で笑うひーちゃん。

 僕はコイツが死ぬほど苦手だ。

 ひーちゃんは同じ《明越東高校》に通っていて、同学年で同じクラスだった。過去形なのはひーちゃんが先生を殴って、ガラスを割りまくって、校門にラクガキしまくって、あまつさえ止めに入った友達数人をボコボコにして退学になったからだ。


「お前ら学生はいいよなー夏休み。こんなクソ熱ちー中働いてらんねーよ、マジで。つっても、あんなクソみて―な場所にいるくれーなら死んだほうがマシだけどなー」

「仕事、大変そうだね」

「そうでもねーよ。親方は怖え―けどな。つーかお前、今日暇?」

「暇って言えば暇だね。……夜?」

「そ」

「なにするの?」

「ほら、メーコウ(明越高校の略)の裏っかわ。あそこに神社あんだろ?」

「あるね」

「賽銭ひっくり返しに行っから、お前も来いよ」

「……ん、何時集合?」

「そだなー適当に集まりゃいいだろ。リョウ呼んであるから、合流したら呼ぶわ」

「わかった」


 僕は無感情に聞き、頷き、答える。


「んじゃ俺、今から女んとこ行っから。ばっくれんなよ?」

「そんなことしないさ」


 僕は無感動に言った。

 ひーちゃんはアクセルを吹かし、どこかに行った。

 小さくなる後姿に、僕は「死ね」と呟いた。

 僕にとっては珍しい、“少し楽しいだった気分”は消え失せていた。

 どうやら、奈々ちゃんへの報告は明日になりそうだ。

 僕は溜息をついて家に帰った。



 夜十一時。

 僕の親は基本的に放任主義で、深夜を回ってから帰宅をしようが、言ってしまえば家に帰らなくたって怒られるということはまずない。

 だから僕は暇つぶしに深夜徘徊することが多くなったりして、奈々ちゃんと出会った廃ビルも、その延長で発見した場所だったりする。

 昼間買ったベースを眺め、弾くこともせず部屋でごろごろとしていると、携帯電話が鳴った。

 案の定。

 ひーちゃんだった。

 僕は呼び出されるまま、待ち合わせの場所である明倫高校の校門へと自転車を漕ぎ、十数分で到着した。

 いたのはひーちゃんともう一人。

 僕の良く知っている顔だ。


「よっ!」

「やあ、終業式以来だねリョウ」

「どーよ? 宿題やってっか?」

「全然」

「俺もだ」


 僕は笑った。

 リョウは僕の幼馴染だ。

 小中高と一緒な学校で、奇跡的にもずっと一緒なクラス。

 僕は内心ほっとする。


「おい、手袋持ってきたか?」


 ひーちゃんは僕に言った。


「あ……ごめん、持ってきてない」


 舌打ちされた。

 死ね、と思う。


「……だと思った。俺二つ持ってきたから。ほれ」


 リョウはそう言って、ポケットから軍手を取り出した。

 僕はそれを受け取り「ありがとう」と言ってしまう。

 帰る口実も、手を汚さない口実も失った僕は、やっぱり流されるがまま、その場の空気に合わせて、別に欲しくもないお金のために賽銭箱へと自転車を走らせた。



 ここから先は――語りたくもない話。

 僕は自分の犯罪歴を堂々と、さも悪ぶって話すほど馬鹿じゃないし、自分はこんなに悪いことやっちゃってますよアピールをするほど落ちぶれてもいない。

 なにより、ひーちゃんのようになりたくないから。

 だから。

 語らない。


 誰かが言う――やらずに後悔するなら、やって後悔しろ。


 そんなことは、戯れ言だ。

 僕は悪いことをいっぱいした。してきた。

 多分、きっと僕も馬鹿なのだろう。

 ひーちゃんのことは大嫌いだけど、悪いことをするのは、すごく楽しかった。



 *



 それから家に着いたのは午前四時を回った頃。

 ポケットの中には千円札数枚と、小銭がいっぱい入っている。絶賛金欠中だった僕にとってはありがたいことに、当面の遊ぶお金は確保出来たというわけだ。

 使い道なんて、ないのに。

 本当に、どうしようもない。

 僕はお金を机の上に放り投げ、ベットに倒れた。


「……奈々ちゃん、来てたのかな……」


 スタンドに立てかけてあるベースを見て、呟く。

 飾っただけで若干満足してしまっていた僕は、まだそれを弾いていない。

 思い立ったように起き上がり、ベースギターを持つ。

 あぐらをかいて、置く。太ももにずっしりとした重さを感じる。血が止まりそうだ。チューニングなんて知らない僕は、調整することもせず、とりあえず見よう見まねと奈々ちゃんの姿を思い出し、弾いてみようとした。


「……あう。プラスチックのアレ、買い忘れた……」


 フィンガーピッキング(指を使っての演奏法)なんて知らない僕だ。ピックがないとベースは駄目だと勝手に思っていて、少し悩んでからスタンドに戻した。アンプ、シールド(アンプと楽器を繋ぐ線)、チューナーの使い方は勿論、弦の張り方も何も知らない。

 全てに対して無知。

 独学で学ぼうという意欲は皆無と言っていい。


「……むぅ」


 僕は飾られたベースをにらみつけ「八万円のくせに」と、訳のわからない台詞を吐き捨て、見るのも飽きたので部屋の電気を消し、布団にもぐった。

 買った初日から投げ出すあたり、やはり僕は流石だと思う。


「明日……奈々ちゃんに教えてもらおう」


 他力本願。

 なんて素晴らしい言葉だろう。

 そんなことを思いつつ、僕は寝た。




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