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終章(序章) 僕の終わり


 ばいばい、僕。



 *



 似合わないことをしている、ってのはわかっていた。

 僕が。

 この僕がだ。

 感情的に、衝動的に、いてもたってもいられなくなって――僕は深夜零時をまわったばかりの街を、全力で走っていた。

 息が苦しい。胸が張り裂けそうだ。

 横っ腹が痛い。慣れないことはするんじゃない、って身体が全力で訴えかけてくる。

 それでも、走り出したら愉しくて愉しくて、そして悲しくて仕方がなかった。

 泣きながら笑いながら、無様にも転んで、すぐに立ち上がって向かう先は翔の家だ。


「ご、ごめんください! こんばんわ! 翔ッ! 翔ッ!! 出てきてくれッ!!」


 迷惑を顧みず、僕は叫びながら玄関のドアを叩く。

 なにしてんだろうなーだなんて、ちっとも思わなかった。

 一心不乱に、情けないくらい惨めな声をあげて僕は叫ぶ。

 叫び続ける。


 僕は奈々ちゃんのことをなにも知らない。

 知ろうとしなかった。

 深入りしないように、奈々ちゃんが僕にとって大切にならないように、僕はいつだって一定の距離を置いてきた。僕は逃げていたんだ。

 奈々ちゃんは、いつだって僕を満たしてくれていたっていうのに。

 僕は馬鹿だ。


「――うるっせえぞ、大馬鹿野郎ッ!! いま何時だと思ってんだッ!?」


 いきなり開いたドアから巨漢の男が現れた。

 噂に聞く和製アーノルド・シュワルツェネッガー。翔の親父さんだ。

 親父さんは僕を見るなり、遺憾を顕わに怒号を撒き散らす。


「ふざけんじゃねえぞ! てめえのせいで、俺がかーちゃんに怒られただろうが! ……あん?」


 と、親父さんは眉をしかめる。


「お前、よく見りゃ翔のダチ公の……」

「夜分遅くにすいません! 翔は、翔はいますか?」

「なんだ、穏やかじゃねえな。急用か?」

「はい! いますぐに翔に聞きたいことがあって――」

「聞きたいこと?」


 翔の親父さんは僕をギロリとにらんで、


「……なあ、坊主。それってーのは、こんな馬鹿みてえな時間に、余所様の家に押し掛けるくらい大事なことなのか?」


 鋭い眼光に、思わずたじろいでしまう。

 けれど、僕はそれを見返して、力強く頷いた。

 目は逸らさない。


「……チッ」


 舌打ちされた。

 翔の親父さんは警察官なのだけれど、その顔はどちらかと言えば暴力団のそれに近い。

 怖い、と思う。

 威圧もそうだったけど、警察官なら僕の悪行も知っている可能性が高い。むしろ、知っていてしかるべきだ。だったら、息子の悪友が夜中に押し掛けてきた――という事態に、親なら追い返すのは当然だし、あるいは、「もう二度と息子に近づくな」と拒絶されても仕方ない。

 そんな想像に怯えつつ、僕はにらみ返しながらも恐怖した。

 ちょっとの間があって、


「……わかった。ちょいと待ってろ」


 そう言って、親父さんは般若みたいな表情を和らげた。

 なにを汲んでくれたのか、僕にはわからない。


「――翔ッ!!」


 と。

 親父さんは、耳がキンキンするくらい馬鹿でかい声を張り上げた。

 どっちが近所迷惑かわかったもんじゃない。少なくとも、僕の叫び声より五倍は大きいものだった。遠くで犬が遠吠えを始め、ご近所さん数件の部屋の明かりが灯る。


「てめーにお客だ」


 やがて、家の奥からパジャマ姿の翔が出てきた。

 夢の中にいたのか、目蓋は半開き。状況が理解出来ない、といった具合に当惑している。


「……なにしてんのお前。こんな時間にどうした?」

「僕は奈々ちゃんに会いたい!」

「……は?」

「僕は奈々ちゃんにちゃんと言いたいんだ! 謝りたいんだ!」

「はあ?」

「だから翔、彼女の家を教えてくれっ!」


 なんていうか。

 僕はもう無我夢中だった。

 荒唐無稽にも程がある――そんな僕の心境をどうやって察したのかは知らないけれど、翔は眠たそうな顔を一転して、二カッと笑って見せる。


「そうだよ、それだよ! 男はぐちゃぐちゃ考えるより、ど真ん中どストレートにぶちかましたほうがいいに決まってる!」


 任せろ、いますぐ七瀬んとこまで案内してやる。

 そう言って翔は、パジャマ姿のまま玄関先に置いてあったマウンテンバイクにまたがる。


「乗れ! 二ケツだ!」


 僕は迷わず後ろにまたがる。


「あっ、コラ! てめーら! 二人乗りは違反だろうが!」

「悪ぃ親父。後でしこったま怒られてやるから、いまだけは見逃してくれ!」


 ターミネーターの怒声を後ろに、僕たちを乗せたマウンテンバイクは走り出した。

 僕は、胸の中に熱さを感じた。

 どくん、どくんと鼓動が高鳴る。

 溜め込んでいた感情が、いまにも弾けそうだった。


「よう、吹っ切れたのか?」


 全力でペダルを踏みならが、翔が言った。

 僕は翔の背中に抱きつきながら、うなずく。


「ありがとう、翔」

「よせよ。俺はなんもしてねえって」

「だとしても、ちゃんとお礼を言っておきたいんだ。お前に」

「はっ、だったら俺に綺麗な年上のお姉さんを紹介してくれよ」

「……綿アメじゃ、だめかな?」


 そうやって、

 どんな道順で、どれだけ走ったか、覚えていない。

 夜の街を駆け抜けて、気がつけば僕は奈々ちゃんの家の前にいた。

 マウンテンバイクから降りて、僕は光の落ちた家に向かって叫んだ。

 並んでいる翔は目を丸くする。

 けれど、すぐに頷いて親指を立てた。

 僕は大きく息を吸い、声の限り叫んだ。


「奈々ちゃんッ!!」


 僕は生きていた。

 きみのおかげで生きていたんだ、と。

 親愛なる奈々ちゃんに、ありったけの感情をこめて。

 そうやって叫び続けていると、二階の部屋の電気がついた。

 やべ、と隠れようとする翔。

 僕はそれでも構わず叫ぶ。

 部屋の窓が横に開く。


「……ご、ご近所迷惑だよっ!」


 パジャマ姿の奈々ちゃんがそこにいた。




完結させてから一年越しの次話投稿。

リテイクしていないので少し雑ですが、物語を解り易く終わらせようと思います。

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