雪月風花
空からゆっくりと『それ』は降りて来る、まるで雪のようにユラユラと揺れながら数える事が出来ないほどに、数えるのも諦めるほどに『それ』は降り続けた。雪の様であり雪とは異なるモノが空から降り続いている。
配給された物を奪われないようにコートの中に隠しながら通りを歩いていると人々の口から『それ』を灰色の雪と呼んでいる事を知ったのは最近の事だ。確かに雪のように空から降っており色は雪のように真っ白ではなく名前のように灰色のようなモノもあれば黒っぽいモノもある。そんな灰色の雪が降り積もって道はすっかり黒っぽく染まり、除雪と言って良いのだろうか? 公務員やボランティアの男性達が灰色の雪を道の両端に向けて投げ積み上げている。
私も帰ったら少しはやらないとかな、風香という名の少女は除雪作業をしている人達を見てから自分の家に降り積もっている灰色の雪を思い出すとそんな事を考えた。幸いというべきなのか灰色の雪は一日の降雪量がかなり少ないから玄関から道路に出るための道を作るために取り除く作業は自分自身でやっている。さすがに屋根の上に降り積もったのは自分では出来ないので行政か専門職の人にやってもらっているけど積もるスピードが遅いために今まで二回ほどしか頼んでいない。
もう……こうなってから数ヶ月も経つのに……。
何の前兆も無くて降り始めた灰色の雪、当初はテレビでいろいろな議論や政府の見解などが報道されていたが今では何も伝わってこない。耳から入る情報と言えば道を歩いている時に思い込みや勝手な根拠つけた人達が口に出す噂や独自の推論だけ、そうなったのもテレビや電灯などの電化製品がほとんど使えなくなったからだ。どうしてそうなったかは分らない、けど一般家庭の電化製品は全滅なのに水道管理施設や市街放送施設など大きな所は影響が出ていないらしい。だから未だに水だけは困っていない。けど灰色の雪は様々な所で影響を出していた。
真っ先に被害を受けたのは農作物、つまり食べ物だけどそれだけではなく植物全般に被害を出して今では植物が絶滅したとまでの噂を耳にするほど雑草すら見なくなった。
灰色の雪が降り始めてから空は薄い灰色の膜で覆われたように太陽光を遮ったのが一つの原因みたいだが最も問題視すべきなのが規模だ。一つの町とか県レベルじゃない、世界中が……というよりも地球が薄い膜に包まれたように世界中の空が青から薄い灰色へと変わった。そして灰色の雪が降り始めた。
一定以上……とは言っても未だにどのぐらいかは分ってはいないけど植物の葉に灰色の雪が附着すると葉は枯れてしまう、まるで灰色の雪が葉の命を奪うかのように葉は緑から茶色に変わってしまい火を近づけただけで燃え出しそうなほど本来とは違った硬さになって垂れ下がり、やがて地面に落ちると灰色の雪に覆われる。そんな状態だ……。
世界は土を失った、そんな言葉さえ囁かれる様な状況だ。アスファルトの道すらも本来の色とは少し違って黒味を増して歩けば靴が少し重くなる。本当の雪ほどではないにしろ灰色の雪も少しは粘着性があるようだ、おかげで普通に歩くのも少しだけ苦労するようになった。そんな道を歩いていた風香はやっと自分の家へと辿り着いた。
「ただいま……」
やっぱり少し雪掻きをして玄関への道を綺麗にしないと歩けなくなる、そんな事を思いながら風香は靴に附着したモノを落とすために爪先を玄関の床に軽く叩き付ける……帰りを告げる言葉を発しても誰も言葉を返してくれない事が当たり前になっている事に気づきたくないままに風香は灰色の雪を叩き落した靴を脱ぐと明かりが灯らない家の中へと歩みを進めるのだった。
灰色の雪の影響が出たのは植物だけではない、水生生物、そして動物へと影響が出始めていった。大量の死んだ水生生物が浜辺へと打ち上げられて動物園の動物達が次々と動きが鈍くなり、そして動く事を止めたモノから次々と止まって行った。そこで忘れてはいけないが人間も……動物だ。
症状は人それぞれだった、嘔吐や立てないほどの眩暈に痙攣から始まり部分麻痺となった者もいた。どんな症状だったとしても全ての最後は決まっていた、そして風香の両親と弟も同様の被害に遭った。だが風香の家族は入院どころか病院にすら行けなかった、いや、正確には病院の方が外来を拒否し始めたからだ。
野戦病院というのはこういうモノを言うのだろうかと風香が思ったほどだ。灰色の雪が降り始めてから一ヶ月も経たないうちに全ての病院が休日のショッピングモール以上に人で溢れている状態、そのうえ原因がまったく分らないままに応急処置的な対応が精一杯。治療すら出来ない状態なのに患者が次々とやってくるのだから小さな病院から次々と患者の受け入れ拒否を始めた。
原因も治療法もまったく分らないから患者数が減らずに増えるばかり、当然のようにベットの数が足りずに症状が軽い患者は床の上に寝かされてのが当然になっている入院状態だ。それでも一部の医師や研究者の努力が実り、体質によって発症する事が分ったのだが後は専門的な説明になっていたので風香には理解が出来なかった。そして……未だに治療どころか対処法すら確立をするまでには至らない。
灰色の雪……それが原因のようだが発症から最後に至るまでのメカニズムは解明されてはいないようだ。風香が知っているのはそれだけだ、始めは風香の弟が立てないほどの症状を訴えたので病院に連れて行ったのだが診察を拒否された。両親はなんとか食い下がって他の病院を紹介してもらい向かったが、そこでも診察を拒否された。その日は何件の病院を回ったか覚えていないほどの病院を回ったが一日という時間を無駄にしただけだった。そして最後に辿り着いたのが家から一番近い小さな病院だ。
病院というより診療所と言った所だろう、だから入院は受け付けていないが評判は良かったほどの医師だけに現状が分っていたのだろう。弟の症状と灰色の雪について説明してもらい、それから各病院がどのような対応をしているかを教えてもらった。
頭が真っ白になってほとんど覚えていない、なんて言われるが風香は自分もそうだと思い込もうとしていた。実際に医師の言葉で頭が真っ白になった事は事実だし、その後の話を思い出そうとしなくても不思議ではない。それだけ拒絶する事を風香は受け入れたのだ。
普段はウザイとまで思っていた弟だが病に苦しんでいる姿を目の当たりにすると皮肉の一言も出ない。それだけではなくて自分の最後が分っているかのように素直になって行く弟が少しずつ遠の行くのを感じていた。そんな風香に追い討ちを掛けるかのように両親も同時に灰色の雪がもたらす症状が出始めたのだが、それでも弟を大事にしているからこそ風香を大事に思っているからこそ動けなくなるまで弟の看病を続けた。そして風香が家族の看病を始めた時には……都市機能どころかかろうじて政府機関が動くだけの国になっていた。
家族の中で普段と変わらずに動けるのは自分だけ、そんな状況が自然と風香を飛躍的に成長させてすぐに世間の動き合わせられる社交性を身に付けて政府や行政からの話も積極的に聞きに行くようになっていた。確かに家族の介護は大変だが両親から『お父さんとお母さんはいいから自分を大事にしなさい』と言われており風香も両親の想いを大事にしたかった。
灰色の雪がもたらすモノはグレイスノー症候群と名づけられたが、そんな事はどうでもよかった。大事なのは発症した人達を助けられるかという点で既に大事な人を亡くした者や失いかけている者達がグレイスノー症候群について今後の展望を怒鳴り散らすかのように問いただし、質問を受け付ける政府や行政の答えは似たり寄ったりだった。
そんな光景を間近で目にすると逆に冷静になれるものだと風香は思うようになった。胸の内には自分も家族のために大声で全てを吐き出したいという想いがある。けど……家族を苦しめているのは灰色の雪でありグレイスノー症候群の説明をしている役人達には何の咎は無い。そんな人達に自分の不安や不満、怒りをぶつけて何が解決するのだろう? 風香はそんな風に考えるようになっていた。
「私って……自分で思っているより冷酷なのかな?」
役所の人に自分が抱えている爆弾を投げつける人達を見ていただけで自分はただ見ていただけの説明会。そこで何か思う事があったのだろう風香は深夜の寝室で静かに言葉を出してみた、何でそんな言葉を発したのか分らない……答えてくれる人なんて居ないと分っているのに……。
何かの塊が落ちるような音が突如として外から聞こえてきた。すぐに窓へと顔を向ける風香だがすぐに見開いた瞳が少し閉じていつもの瞳になる、それは音の正体については察しが付いているからだ。なにしろ近所の家では何度か起こっているが自分の家で起こったのは初めてだから驚きはしたものの取り乱す程ではない事が分っている。
ロウソクに明かりを付けないまま立ち上がった風香は音が聞こえてきた方の窓へ歩むとカーテンだけを開けて下を見下ろす。やっぱりね、確か……市役所の係りがあるから、そこに連絡をすれば良いんだったわよね。風香はほとんど見た事は無いが土混ざりの雪よりも全体が黒い塊を見て、役所の説明から受けていた対処の仕方を記憶の下から引っ張り出してくる。
屋根に積もった灰色の雪が重みで落ちてくるのは既に近所の家では数回ほど起こっている、今となってはまったく珍しくない事だ。ただそれだけの事と判断した風香はカーテンを閉めようとするがある事に気づいた。
……明るい?
時計を確認すると既に日付が変わっている時刻であり、灰色の雪によって街灯に明かりが灯る事は無い、家屋内にある電灯さえ明かりを灯さない状況だからこそ環境が厳しい外にある電灯が光を放つのは考えられないだろう。それでも今まで風香が見た事が無いぐらい外は……夜の明かりが煌めいていた。
すっかり見慣れた風景だと思っていたけど今現在、風香の目の前に広がっているのは別世界どころか想像すら出来ない光景だった。まるで菜の花が小さくとも鋭い光を放っては消える、イルミネーションにも似ているがそれほど派手ではなくても光がはっきりと分るほど煌いている。けど明るいと感じるのはそれだけが要因ではなかった。
よく見ると菜の花色のイルミネーションを引き立てるかのように夜の闇は月白色の光で薄らいでいた。夜の帳は月白色が混じり闇ではなくなり白み掛かっており、その中に小さな菜の花が光っては消えていた。そんな地上の光景にすっかり見入っていたのだが、ふと空を見上げると風香の瞳は更に光り輝く。
空には輪郭が少しぼやけた満月。邪魔をする叢雲どころか雲の一欠片すらない空、灰色の雪を降らせている膜があるはずなのに満月の静かな輝きがはっきりと見えた。それどころか満月の光は今までに見た事がないほど煌き、月光が地上に落ちようとしている灰色の雪に反射して満月の周りには小さくて数え切れないほどの煌きが満月を彩っている。月を引き立てるかのように月の周囲には菜の花が咲き誇り、光っては消える煌きが風に吹かれて揺れている花に見えた。
闇を薄くしてぼやけた月の周りを穏やかな風が吹いいるかのように周りに咲き誇っている花々を揺らしていると思うほどに点滅を繰り返す、それはまるで……森林限界を超えた岸壁の上にある頂に咲き乱れている……華。満月の夜にそんな事を思う風香だった。
数本の蝋燭に明かりを灯すとリビングの全貌がようやく見える、あまり道路に接するカーテンを開けたくないのか閉まったままだ。そんな中で風香は一人前の配給品を確認する。
満月の夜から二週間後には弟が、その一ヵ月後には両親が家から去って逝った。だから今現在、この家に住んでいるのは風香だけ、その事は市役所も知っているというか風香はしっかりと弟と両親の死亡届を出していた。遺体は火葬をしただけで葬儀は行っていない、というよりも出来なかったというべきだろう。
灰色の雪で病院の次に機能しなくなったのは葬儀屋だから、なにしろ次々と仕事が舞い込んでくるどころか自分達の従業員も灰色の雪によって居なくなり、仕事が回らなくなって行くと次は自分の番ではないのかと不安と心配も出てくるのは人として生きているからなのだろう。
仕事に誇りを持っているのか、それとも目の前で泣いている人が居るためか、はたまた政府から支援金が貰えるからかは葬儀屋を運営している者達は次第だが、葬儀と埋葬を省いて火葬という遺体処理の仕事だけは今でも続けている。そのおかげと言うべきなのだろうか風香の家族は別の部屋で未だに墓には入れずに役所から貰った簡易式の仏壇に居る。
骨壷という名の壷に入り、壷は白い布で包まれた箱の中で仏壇の上にならんでいる。箱の前にはそれぞれの写真が並べられて、どの写真も楽しげな笑顔の写真が飾られているから誰がどれなのかはすぐに分るようにしてあった。
写真を選んだのは風香なのだが、緑色の棒に火をつけて煙を上げると灰の中に挿してから写真を見ると笑顔なのに笑っていないように風香には見えた。錯覚、思い込み、どれもが思い当たるのを風香は理解している、それでも風香は独特の匂いが漂ってくる中で両手を合わせると瞳を閉じて何も考えないし思わない。
何か考えたり思ってしまったら自分の中から溢れ出てくるモノを止められない事を充分に分っているから。それだけではない、今の状況は風香に過去を振り返るだけの時間すらも与えてはくれない。社会体制、いや、文明すらも滅びるのではないのかと思える日々を生き残るために必要なのは生きようとする意志だ。けど風香の意思は細い紐でぶら下がっているようなものだ、何かの切っ掛けで切れてしまうかもしれない、だからこそ風香は探していた。
そこまで出来るのも風香の意思が深淵に落ちないのは両親が残してくれた言葉があるからだろう。この先に向けて生きていてもどうなるかは分らない。けど生きていれば何かが出来る、何かを成せるのだから……死者の意思を受け継いで。
風香が瞳を開けると仏壇の両側を交互に見た。本来なら両脇にある花瓶に花を添えるべきなのだろうが灰色の雪によって花屋はなくなり、かなり前から道端ですら見た事が無い。それでも風香は花瓶に花を添えたかった、仏壇の前にはかろうじて手に入った線香と線香立てのみ。死者に供える物は正者が必要としているものだ、当然ながら正者が優先されて今では店で買うどころか配給品として貰うのが精一杯だ。
それでも他人の配給品を奪ったり盗んだりする者が続発せずに必要な物を分け合っているのは自国の特徴とされる国民性なのだろう。まあ、中には耐えかねて強奪や窃盗に走る者も居るがほとんどの人が生き残るために分け合っている。風香もこんな状況になってから初めて近所の人達がどんな人なのかを知ったほどだ、だからこそ今まで……そしてこれからも何とか生きて行けると思えるようになった。それでも真っ先に地上から姿を消しつつある花を手に入れるのは無理だった。
「やっぱり、こっちが大事にされるよね」
仏壇から離れた風香は配給された物を確認するとほとんどが長期保存が出来るように加工された物ばかりだが毎回少しだけ野菜や肉や魚などの生物が配給される。やはり保存食だけだと不満が出てくるのだろう、悪辣な事に不満というモノは一定量貯まると爆発した怒りになって無意味に争いを生み出して取り返しが付かない事態に発展する。それを阻止するために生物が配給されているのだろうが日を追う毎に野菜の数が少なくなってくる。だから今回の配給品にも野菜は入っていたが二種類だけだった。
「大根とジャガイモか、根菜類ならやり方次第で未だに少しは取れるって誰かが言ってたっけ」
誰から聞いたかは思い出せない、何しろ今では人の入れ替わりが多い。特に役所関係の人なんてほとんど覚えていない、なにしろ灰色の雪によって居なくなった人の代わりに人が他から移ってくるほどだ。役所も人手が余っているところはどんどんと他に出しているようだ、最も本人の希望を重視しているようだ。
それにボランティアの人々、自分自身の今後さえどうなるのか分らないというのに誰かのために何かをしてくれる人達が居る。だけどこちらも灰色の雪によって居なくなる人が多発しているために顔を覚える前に居なくなる場合がほとんどだ。けど今では善意だけではボランティアは出来ない状況になってしまった。
ボランティア活動をしていると油断させての窃盗、中には強盗すら発生したからだ。だから今ではボランティア活動をするのにも役所から許可を貰って腕章を付けなければいけないのだが、役所や警察も今では人手不足に悩まされてわざわざボランティア活動の人員を調べたりはしていない。ボランティアの許可などは形だけ、本当に信じられるのは顔を知っている者達ぐらいになっている。
人の善意が本物かどうかすらも分らないほどの社会だ、こんな社会ではボランティアという言葉ですら信用や信頼を得る事が出来なくなっているのが現状。人の善意すらも疑わないといけないのだから荒んでいる、だから今ではボランティア活動という言葉すらも聞かなくなったほど人の行動を疑わないといけない。
見知らない人は簡単に信用しないのが常識になってきた中で風香は見知らぬ役所の人から受け取った配給品を仕舞い込んでいると玄関から風香を呼ぶ聞きなれた声が聞こえてきた。その声に風香は作業を中断させると玄関へと急ぐ、見知らぬ人は疑わないといけないが知り合った仲では理由も要らずに信じる事が出来るようになった。ついこの間までは考えられないぐらい信頼が置けるようになっていた。
玄関を開けると初老というには失礼だと思われる年代に見える女性、けど実際には見た目の年齢以上なのだから最初は風香も驚いた、それよりも注目させられるのが痩せているが微笑から優しさを感じさせるモノを持ち合わせているからこそ風香は自然と微笑を浮かべて挨拶をする。
「近藤さん、こんにちは」
風香は近藤を家に招き入れようとするが顔を見に来ただけだからと傘を玄関の外に立てかけると近藤は玄関まで入ってそのまま風香に向かって微笑みながら言葉を流してきた。
「突然ごめんね、風香ちゃんの配給日が今日だった事を思い出したから大丈夫かと思って来てみたのよ」
「心配させるような事は何も無いですよ」
風香も笑顔で受け答えをするが近藤の言っている事に嘘が混じっている事には気づいていた、嘘とは言っても悪い意味は含まれえていない優しい嘘だ。近藤は風香の配給日について思い出したと言ったが実は昨日ぐらいからずっと気に掛けていたのだろう。だから風香の家に微かな明かりが見えるとゆっくりと身支度を整えてやってきたのだろう。だからこそ何事も無い事を風香は真っ先に伝えたのだ。
風香の言葉を聞くだけではなく暗い中でも顔色を見極めたのだろう、近藤は息を吐き出すと身体中から余計な力が抜けた。その様子を見ていた風香が軽く笑いながらお喋りを続ける。
「数百年前なら既に結婚して家庭を持っててもおかしくない歳ですよ、それに私はそんなに世間知らずじゃありませんから」
「それもそうね、ウチの子も風香ちゃんぐらいしっかりしてたら安心が出来るんだけどね。歳は風香ちゃんの倍ぐらい取ってるのにどうしてあんなに頼りないんだか」
「そんな事を言ってたらまた愚痴り出しますよ、それに旦那さんはしっかりしてるんだし」
「まあ、あの子にしては良い人と結ばれたわね。それはそうと玄関に来る時に思ったんだけど」
「あ~、やっぱりそろそろ雪掻きをしないとですね」
「なんだったら、またウチの人をこき使っても良いのよ。仕事がなくなったんだもの、他の所でどんどんとこき使った方が役に立つし、家に居ても邪魔なだけなのよ」
「あははっ、じゃあ腰を痛めない程度に頼りますね」
「そうしてちょうだい、お互いにその方が良いのかもね」
「…………」
近藤の言葉に返す言葉が見付からずに黙り込む風香は近藤の顔に少しだけ陰りを見たような気がした。だからこそ余計に言葉が見付からず、何て言って良いのか分らなくなった。近藤も風香と同じように家族を亡くしている、しかも一番大事な初孫という存在をだ。だからこそ近藤一家は自分を気に掛けていると風香は思っているようだ。
本当にそうなのかは分らない、なにしろ風香は近藤の孫というには大きすぎる、どちらかと言えば歳の離れた娘と言った方が近いだろう。なにしろ灰色の雪が降らなければ風香は普通に高校へと通っている歳なのだから。だが異常な事態というモノは人との距離感を狂わせる場合があるみたいだ。だからこそ風香は尚更に分らないが……何かを感じていたし、根拠に近いモノもある。
風香が家族を失ったのと近藤一家が孫を失った時期が近い。失った孫を無理矢理に自分に重ねていると思っても不思議はないぐらいだ、だから風香は近藤が自分に対してどう思っているのか気になって遠回しに聞き出そうとしたが……いつもはぐらかされてしまっている。だから近藤の気持ちは未だに分らないが自分をそんな風に思っている、と。
実際に風香は少しだけそんな風に考えてみたが、すぐに考える事を止めたくなるほど気持ち悪くなった。けど……どんな風に思っていようと近藤一家が風香を気に掛けている事だけは誰にでも分る真実だから風香と近藤一家の仲は一気に良くなって、今ではすっかり仲の良しのご近所さんだ。だから風香は自分の事で心配を掛けたくないという気持ちと辛い事を思い出させたくないという気持ちが存在していた。けど、こうやって近藤の口から辛い事を連想させる言葉が発せられると風香は言葉に詰まり、頭の中にある言葉の辞書を猛スピードでめくり続ける。
「ふふっ」
言葉に困っていた風香だが近藤が軽く笑う声にが耳に入ってくると思考を止めて近藤に目を向ける。その時には近藤の手が風香の頭を撫でていた。
「こういう時こそ笑いなさい、それにこんな時は無責任な事を言っちゃって良いのよ。確かに辛い事はあるけど昨日の事、後ろにある事をいつまでも心の重石にしていたら沈むだけ、だから笑って重石から踏み石に変えるのよ。それにこんな状況じゃなくても明日の事なんて誰にも分らないわ、そしてこんな状況だからこそ明日の事は適当で無責任な事を言って笑い飛ばすのよ。ついでだから家中の雪をどっかに不法投棄して来てください、とかね」
風香は軽く声を上げながら笑い出して心底思った、やっぱりこの人には敵わないな、と。
確かに誰かと会話をするだけでも昨今の暗い状況から少しだけ心が抜け出せる。けど近藤と話している時はいつの間にか全部忘れるほど雲の上にまで行ったような、あの満月の夜みたいな場所にまで心が出掛ける。それほどまでに先程まで心の中にあった激流が今は鏡湖みたいに収まる。水は透き通るほどの見えなくて風が無いから水面がまったく揺れずに月夜を映し出す、そんな場所に……。
心がお出かけして未だに笑顔を浮かべている風香を見ていて一緒に笑っていた近藤がいきなり手を叩いた。何事かと風香の表情が笑顔から驚きに、そして眉が八の字になりそうな前に近藤が口を開いた。
「そうそう、すっかり忘れてたわ」
どうやら手を叩いたのは何かを思い出したからだろう、何かを思い出すと手を鳴らすのが近藤の癖だという事を風香が気づいたのは最近になってからだ。今まで挨拶を……交わしていたかも分らなかった程度のご近所付き合いだったのだから癖なんて細かいところまで知っている仲ではなかったのだから当然の事だ。だから風香は微笑みながら近藤が放つ次の言葉を待つ。
「風香ちゃんが探していた『あれ』が手に入ったわよ」
「本当ですかっ!」
予想外の言葉に風香は驚きながらも笑顔を抑えきれない、いや、抑える事すらしない必要が無い言葉を聞いたのだから。風香の笑顔を見た近藤は左腕に下げていたバックの中を探って目的の物を見つけ出すと風香に見せた、布の袋に包まれていて中身は分らないが宝物以上に神聖な物を受け取るかのように風香は手を伸ばすと布の袋は手の平に置かれた。
受け取った物を見つめる風香……それから自分の想いを全て込めるかのように胸に抱きしめるように受け取ると近藤に満面の笑みを浮かべて、弾き出そうな興奮を抑えながら一礼した。
「ありがとうございますっ!」
「別にお礼なんていいわよ、今だとそれは一銭の価値すらない物よ」
「けど手に入るなんて思ってはいなかったですよ、どんな手品を使ったんですか?」
「手品じゃないわよ、偶然にも昔の教え子が大学の教授をやってて、偶然にも倉庫に保管してあった事を知ったから頼んでみたら、偶然にもタダで譲ってくれたのよ」
「偶然だけで埋蔵金が掘り出せそうな強運ですね」
「今月のうお座は千年に一回ぐらいの幸運に恵まれるらしいわよ、何の雑誌で見たかは忘れたけどね」
玄関に立っている二人の笑い声が静寂の中を踊り狂う、陽気な祭りで踊られる陽気な踊りのように。
今ではどんな経路で近藤が『これ』を手に入れたか風香には想像が付いていた。近藤は小学校の教員をしていたのは聞いている、こうして話すようになってから気づいたが親からは信頼を、生徒達からは好感を得ていた事は確かだと風香は思っている。なにしろ……風香自身が自分もこんな先生に教わっていたらと、とっくに小学校を卒業した風香が思うぐらいだから。それに、こうしてご近所付き合いが深くなって行く度に風香は近藤からいろいろと教えてもらっているのだから。
今でも、特に近藤の影響を受けた生徒は今でも近藤を慕っているのだろう。それに近藤も手の掛かった生徒や気に掛けた生徒に自分を慕ってくれた生徒を大事にしていた、それは小学校を卒業しても関係が無かった。
教師なんて第二の親みたいなモノ、近藤はそんな風に教師という職業を認識していた。学校に在籍している間は自分がしっかりと教え、卒業したら見守って必要なら手を貸す。そうして成長して行った生徒は次々と近藤から離れていくが手を貸す必要が無い程に成長した生徒には無いもしないし何も言わない。自分の元から完全に飛び立った者に対して出来る事は……心に留めておく事だけしかないと知っていたから。
受け持った全ての生徒に対してそんな事が出来たワケではない、けど近藤は定年まで教師を続けていた。長かった教師としての道で近藤が残してきたモノは未だに存在し続けている。親なんて歳負えば子に頼るもの、最初から頼ろうとは思ってはいないが歳を取れば出来ることなんて限られてくる。だから近藤は第二の親として子を頼り、新たなる子の為に自分が出来る事をしただけに過ぎないのだ。そんな近藤が第二の親としての顔を少し出しながら風香の抱えている物について聞いてきた。
「手に入れたのは良いけど、それをどうするの?」
「もちろん、本来の使い方をしますよ」
「でも……」
そんな事が出来るのかと近藤は思っている、滅多に人に不安を湧き上がらせる表情しない近藤だが今では風香の目の前でそんな表情をしている。風香は一度だけ小さくて軽い笑い声を出すと近藤の横を通り過ぎて玄関のドアを開けた。それが何を意味しているのか近藤には分らないが風香が何かを伝えたい事は分ったようだ、だから今は風香を見詰める。
玄関のドアを開けても玄関ポーチにはかなり広めな庇が付いているから灰色の雪が入ってくることは無い。それどころか庇の下は人が歩いた場所にしか灰色の雪は存在していなかった、それに気付いたからこそ風香は『それ』を欲したのだが近藤には未だに何を意味しているのかが分ってはいないようだ。そんな近藤に対して風香は自分の感じた事を話し出す。
「風が……たぶんですけど、灰色の雪が降り出してからは風が吹いていないと思うんです」
「……その答えに至った経緯は?」
「一つは雪掻きです、いつも同じ場所でしかしていない。それに除雪した雪の置き場所はいつも同じです、私の所だけではなく……たぶん他も同じだと思います。雪掻きをしていて分ったんですけど、雪掻きは無意識のうちに雪の少ない場所に雪を集める。考えてみれば当然な事です、雪をどけて置く場所にわざわざ雪が多くある場所なんて選びません」
「無意識下にある心理ね、一つって事は二つ目もあるのよね、ぜひ聞きたいわ」
まるで論文試験を口頭でしているみたい、そんな事を感じながら風香は真面目な顔で続きを話し始める。
「二つ目には雪の積もり方です。もし風があれば、正確には空気の流れがあれば雪の積もり方に乱れが生じるはずです。けど灰色の雪はどこも均等に積もってる、その証拠としてウチの玄関が挙げられます。玄関の……なんだっけ? とにかく玄関の屋根の下にはまったく灰色の雪が入り込みません、これだけも空から落ちてきたら一直線にゆっくりと下りて来る証拠になります。それに建物の隙間にも均等に灰色の雪が降り注いでました。今ではすっかり除雪した雪の廃棄場所になってますが雪を押し込めない間隔の狭い建物の隙間でも灰色の雪は均等に積もってました、こちらはビル風がまったく発生していない証拠になります。この二つから今ではまったく風が吹いていないという結論を出しました」
一気に話した所為か、それとも近藤の目の前で自分の考えを語った為か、風香は話し終えるとまるでテストが終わったかのような安心感と脱力感を感じていた。それを表すかのように風香は大きく息を吐くと近藤から拍手が聞こえてきたから風香は近藤に顔を向けると微笑を浮かべた。
「驚いたわ、まさかこんな近くに、こんなに優秀な灰色の雪の研究者が居たなんてね」
「たまたま気付いただけですよ」
「たまたまでも気付けるだけで凄いのよ、しっかりした場所に行けばもっといろいろな事が分るかもしれないわよ」
「遠慮しておきます」
近藤の言葉に即答で返事をする風香。まさかここまで早く断られる、というよりも近藤もつい先程思った事を口に出しただけなのに拒絶の言葉が返ってくるとは思うどころか想像も出来なかったようだ。だから近藤は動く事を忘れたかのように立ち尽くしていると風香は再び視線を外に戻してまた口を開いた。
「私でも気付ける事ですから専門機関の人でも気付いている人は居ると思います。それに……風が吹いていない事に気付いてから実感したんですけど、風を感じられないと……いつまでも心の中に溜まり続けて、まったく飛んで行かないんですよね」
「…………それで?」
長いような短いな沈黙の後で放たれた短い質問。風香は近藤から受け取って抱いている物に顔を近づける、何に使っていたかは分らないがいろいろな匂いが入り混じっていて何の匂いかなんて分らなかった……けどっ!
「私が家族の介護が出来たのも、失ってから今まで来れたのもあれを見たからなんです」
「月の……華々」
「はいっ!」
自然と大きくてはっきりと返事をした風香は自分の中にあるモノを思いっきり弾き飛ばしながら近藤の方へと振り向いた。風香の表情を見て近藤の顔は自然と微笑みに変わった、自信や確証があるわけじゃない、数字や可能性なんて関係無い。ただ……信じているだけだと分ったから、ここまで至った者は何もかもが関係無いと。
「そう……」
近藤も短く言葉を返すだけだった。今はもう言葉は不要、近藤も自分がやるべき事を決めたのだから。だからこそ安心したような表情をしながらも瞳にはしっかりとした輝きを煌かせつつ風香の横を通り過ぎるとそのまま立てかけていた傘を手に取った。
「渡すものも渡したし、私はそろそろ帰るわね」
「はい、ありがとうございました」
「お礼を言うのはこっちかもしれないわね。良い事が聞けたし、今後の楽しみも出来たわ」
「灰色の雪に関してですか?」
「違うわよ、風香ちゃんの事。手伝える事や悩んだのならいつでも来てね、なにしろ目の前に住んでるんだもの、こうした事も手伝いたいわ」
「ふふっ、その時は遠慮無く甘えさせてもらいますね。でも……出来るだけ一人でやってみたいんです。どこまで出来るかわからないけど、これは私の我侭だから」
「そう……分ったわ。それじゃあね」
「はい、気をつけて」
「十メートルぐらいしか歩かないのに怪我をするほど衰えてはいないわよ」
そんな言葉を残してから近藤は傘を開くとすぐに灰色の雪が降り積もる中へと足を踏み入れて数メートル先の自宅へと向けて歩みを進める。そんな近藤の後姿を途中まで見送ると風香は玄関のドアを閉じた。玄関には静寂と暗闇が戻り、明かりはロウソクの弱い光が一つ。けど……風香の中にはどんな明かりとも比べモノにならない、比べる必要が無い煌きが大きくなり続けていた。だからこそ瞳をしっかりと輝かせて顔には決意が表情になって現れていた。
「さて、それじゃあ……始めましょう」
始めないと……行動を起こさないと何も起こらないのだから。
数ヵ月後。
「凄いじゃない……」
続く言葉が出ない近藤、いや、それ以上の言葉なんて必要がないのかもしれない。瞳に写った光景がそうさせているようだ。それに近藤だけじゃない、近藤一家の全員はもちろん風香はご近所で懇意にしている人達に声を掛けて来れる人を全員自分の家に招いたのだから。その全員が風香の家にある小さな庭に出来上がったモノを見ると驚きの声を上げたが、近藤と同じく最初の一声だけが出ただけで口は開くが言葉なんて出さずに庭にあるモノから視線を逸らす事が出来なかった。
静かに庭へと出る窓を開けた風香は軒下に用意していた傘立てから一本の傘を手にすると開いた。一度だけ招いた人達の方へ顔を向けた風香はすぐに庭に作ったモノへと続く道に従って歩き出した。近藤は風香の表情をしっかりと眼にした、微笑んでいるようにも見えたが瞳には鋭いほどの強さが宿っており、口元には未来の暗闇をあざ笑うかのように両端が上がっていた。だからこそ近藤は風香の後に続いて庭に出て、他に何人かも続いた。
庭にはしっかりと道が出来ていた。なにしろ小さな一軒家の庭だから灰色の雪が降り始めてから一度たりとも雪掻きなんてしてはいない、その証拠に道以外の部分には三十センチ程も灰色の雪が積もっていた。そんな庭に数メートルとはいえ人が行き交えるほどの幅がある道を作ったのだから、それだけでも重労働で風香の努力が伺える。けど、それ以上に風香が心血を注いだモノが道の先にあった。
「黄色い……菜の花」
「はい、そうですっ!」
誰かが呟いた言葉に返事をした風香の声には灰色の雪から生まれ、明日を生きていく為のモノがはっきりと分るほどに輝いていた。そして『それ』は風香の声からではなく、目の前に咲き誇る菜の花からもしっかりと感じ取る事が出来た。
慣れない雪掻きで全身が筋肉痛になろうとも、今までやった事が無い組み立て作業に何度失敗しても止めなかった。いつ自分の命を奪うかもしれない灰色の雪が降り続ける中で決して諦める事無く風香が作り上げたのが、この菜の花が咲き誇る花壇だ。
小さな庭にしては少し大きな花壇を囲うかのように支柱が立てられており、支柱同士を繋ぐように細い梁があるためにしっかりとした作りになっている。そんな花壇の上には透明なビニールシートが覆い被さっていて灰色の雪が花壇に入らないようになっており、念のためか透明なビニールシートは少しだけ支柱から少し垂れ下がっている。そのビニールシートに小さな切れ目を入れて紐を通す事で支柱に結び付けられるからビニールシートがしっかりと固定されている。けど、それ以上に苦労したと思われるのが花壇の周りだ。
この花壇は土をいじりやすくするために少し高めにレンガが積まれていた、けど今ではその段差を少なくするかのように花壇の周りにもレンガが敷き詰められていた。風香が自分の手で行ったのだろう、レンガの色はまちまちで外周はデコボコになっているけどレンガ同士の隙間がまったくと言って良いほど無い。
風香は素人だし知識があるわけでも無いのだから花壇の周りにレンガを置いて敷き詰めたようだ。それでもまったく隙間が無いレンガの上を歩いても違和感が無い事から灰色の雪を完璧に排除して土の上に直接置いてから踏み固めたようだ。素人で、しかも年代としては高校生の少女がここまでやったのだから、これだけでも凄いと言えるだろう。けど、やはり信じられないのは花壇に菜の花が咲いている事だ。
灰色の雪は植物を枯らす、大地は死んだと言われていた程だから花なんて咲くはずが無いと誰もが思っていた。けど風香が作った現実はそんな常識を砕くかのように鈍くなった太陽の光を浴びて黄色い花弁が放つ煌きが心の一部を切り裂く。花壇にまで来た人の何人かが一筋の涙を流したのを風香は見ると自然とよかったと思い微笑が出てきた。だからこそ風香は菜の花が咲いたら言いたい事を口に出す。
「よろしかったら何本でも良いので持って行ってください」
風香の言葉に花壇にまで来た人達が一斉に驚きの表情を風香に向ける。確かに花では腹は膨れないが他の飢えが満たされる、それは誰もが望んでいた事かもしれない。それを与えてくれる花を風香は簡単に差し上げると言ったのだから驚いても不思議は無いどころか驚かない方がどうかしている。だから誰もが風香の言葉に戸惑っていると近藤が口を開いてきた。
「風香ちゃんは良いの?」
「えぇ、ウチの……私の家族にはもうあげましたから。それにこの花壇を作ったのは私の我侭です、私が花を家族にあげたかったから作ったんです。そして私の我侭は叶いましたから、他はついでみたいなモノとしておきます」
「そう……でも、また咲くとは限らないモノを頂く訳にはいかないわ」
「咲きますよ……何度でも」
自信、いや、確信に満ちている風香を見てから近藤はやっぱりと思って軽く笑うと核心へと話を進める。
「ならカラクリを教えてもらわないと貰えないわ、死をもたらすと言われる灰色の雪が降り注いでいる中で誰も生まれないと思っていた命が生まれた理由を、ね」
微笑みながら質問に近い言葉を放ってきた近藤の言葉に込められた真意に気付いている風香は同じく微笑を浮かべて答えようとする。近藤の言葉が人が持っている『それ』の扉を少しだけ開けたのだから扉を完全に開けるために。
「今、私達の上から降ってきている灰色の雪は本当の雪とはまったく異なる性質を持っているんです」
「異なる性質?」
「えぇ、本当の雪は氷の結晶で氷は水が固体になった状態です。だから気温が上がれば液体になりますから地面へと浸透します、つまり土の中に入り込むんです。けど灰色の雪は違う、例えるのなら、そうですね……火山灰に似ているんです。だから土の中に浸透せずに土の上に積もるだけなんです」
「そうなると雪というよりも土に近いわね、新たな地層を作るかのように灰色の雪が降っているみたいだわ。そして灰色の雪は命を奪う、けど……そのほとんどの要因が灰色の雪と接触、または間接的に取り入れた事に由来していると言われてるわね。それらを総合して考えてみて、この答えを出したのね」
「はい、液体である海や湖、そして川は液体ですから固体を取り入れます。それとこれは推測ですが灰色の雪は水より重いからこそ沈んで水生生物に害を与えている。けど大地は違う、土と同じような性質を持っているからこそ侵食も浸透せずに上に堆積するだけです。だから灰色の雪の下にある土は死んでない、土は……大地は今でも生きてるんですっ! 土を掘り返している時にミミズが居ましたから土の中には微生物が生きているし養分もある、だから種を撒いて水を与えれば植物は芽を出すんです」
「後は最大の問題をクリアするだけ、だから花壇の上はビニールシートがあって周囲には取り除いた灰色の雪と土が混じらないようにレンガを敷き詰めたのね。それだけじゃなくて下に敷かれたレンガの近くにある灰色の雪も出来るだけ取り除かれている訳ね。これなら箒でビニールシートに積もった灰色の雪を下に落とした後に花壇の近くにある土に触れさせること無く、遠くまで掃き出す事が出来るわ。それにしても……よく考えたわね」
「偶然ですよ、それにビニールハウスを思い出して参考にしただけですから。後は、近藤さんには話した事がありますけど風が無くなっている事には気付いてましたから、横風で灰色の雪が花壇に入る事は無いから上だけにビニールシートを張っただけです。それに全部ビニールシートで囲っちゃうと」
「中の気温が上がって植物が熱で枯れてしまうものね。それにこの方法を応用すれば野菜だって育てられるわ、そして野菜が育てば植物を餌としている動物を飼育する事が出来る」
「さすがにそこまで考えたワケじゃないんですけど。私は、ただ……」
「分ってるわよ、それでも……本当に偉いわね」
小さくて少しシワがある手が風香の頭を髪に沿って撫でる、話をしているうちに自然と風香の隣に移動してきた近藤の手だ。小学校の教員をしていただけに頭の撫で方が上手いのか、それとも近藤の心なのかは分らないが子供のように頭を撫でられている風香は悪い気持ちはしなかった。それどころか安心したかのように心が静まっていく、その証拠が風香の顔に出ているのだった……。
それから風香にお礼を言ってから近所の人達が花壇の菜の花を手折って行く。途中で近藤が灰色の雪に菜の花が触れると枯れると注意を促したからか、花壇に居た一人がビニール袋を持ってくると言って走って行った。こうして風香が育てた菜の花は近所の人達に配られて行き感謝の言葉を残していく、今までに無いほど感謝の言葉を受け取った風香は戸惑うばかりだが仕方ないだろう。なにしろ全ての言葉に言葉だけでは足りない程の想いが込められており、中には涙を流す者まで居たのだから。
菜の花を受け取った近所の人達が次々と自宅への帰路に付き、静かになると風香は花壇の方へと振り返る。既に菜の花は一本も残っておらずに土と折られた茎しか残っていない、だから風香は微笑を浮かべながら次を考えるのだった。
「次は何にしようかな」
次を考えられる限りは何も終わってはいないのだから。
「何故かしらね、今はこの光景が綺麗だと思えるわ」
菜の花を配った日の夜に近藤がお礼だと言って配給品で作った煮物を持参してきた。それ自体は珍しい事ではないのだが、今の時勢では夜の明かりはロウソクのか細い光しかない。それなのに夜に訪れる事が珍しい、それでもせっかく来てくれたのだからと風香は近藤を家に招き入れると暗い中を二人して自然に歩く。
勝手知ったる他人の我が家というべきなのか、近藤一家は風香を気に掛けているからこそ近藤は風香の家だけどどこに何があるか完璧に把握するほど風香の家に数えるのを忘れるほど上がっていた。それから近藤が持ってきた煮物を容器ごと受け取った風香は涼しい保管場所にしまいこむと庭を眺める近藤の姿が瞳に映った。
庭を眺める近藤の姿は何かしら不思議だった。外は相変わらず灰色の雪が降り続けている、灰色の雪は風香達から普通になっていた生活を奪い、大切な存在を奪ったモノ。その灰色の雪が降り続けている庭を眺めている近藤の姿は絵になっているように風香には思えた。それが理由なのかは分らないが風香が意識する事無くて足が近藤の方へと動き出すと近藤の隣に立って同じように庭を眺めると近藤がさっきの言葉を口から出した。
言葉を聞いた風香は視線を近藤へと変えたら近藤の口が再び動き出す。
「今までは一人で灰色の雪を見てると胸が苦しくなって泣きそうになってたのよ。それでも娘夫婦の前では弱い部分は出せなかったし、ウチの人が一緒に辛さを味わってくれた。だから私は風香ちゃんを気に掛ける事が出来たし、灰色の雪に対しても仕方が無い事だと諦める事が出来た……いえ、諦めようとしていたのね。だから、いつの間にか灰色の雪を見る事も無くなったわ」
「…………」
「けど、今日……風香ちゃんから菜の花を貰って、それを仏壇の花瓶に挿したわ。そうしたら……いつの間にか泣いてたわ、やっと供養が出来たって、あの子を笑顔にする事が出来たんじゃないかって思えたわ。あの子も花や虫に興味を出し始める頃だったからね、さすがにお墓には入れてあげられないけど安らかに眠らせてあげられた。そう思ったらどうしてもお礼、これは口実ね、風香ちゃんに会いたくなったから来たのよ。そうしたら……いつの間にか見蕩れてたわ」
「何となく分ります。全てが始まったのも私が始めたのも……全ての切っ掛けは灰色の雪ですから」
そう……全ての切っ掛けを作ったのは灰色の雪。そしてあれも……灰色の雪があってこそのモノだから。風香は視線を外に戻すと庭ではなくて空へと向けた、視界の端に風香の姿が映ったのだろうか近藤も空を見上げた。今夜の月は満月ではなくて十三夜月、満月から三日月分だけ引いた様な独特の美しさを持っている月だ。
そんな月明かりを受けて少しずつ振ってくる灰色の雪が気まぐれに光を灯す。そんな夜空を見上げて風香は満月の夜を思い出しながら話し出す。
「あの夜は、月の華々が咲き誇る夜はもっと綺麗でした。その後でいろいろと調べたら雲が発生していないという事実に辿り着きました。そこから必死にいろいろと考えているうちに風が無い事を発見したんです。そして……あの夜は……灰色の雪が降っているからこそ見れた光景だという結論に辿り着きました。だから私は灰色の雪の所為で家族を失いましたが灰色の雪のおかげで生きる意志が保てたんです」
「……それほど心を動かす何かがあったのね」
「えぇ、今でもあの夜に輝いた月と月光を受けて煌いた月の華々を鮮明に思い出せます。それほどまで美しい光景になったのは灰色の雪を降らせている膜の層が月明かりを広く分散させているからだそうです。月明かりは少し弱まっていて灰色の雪を降らせている膜の層があるからこそ月の輪郭がぼやける、そして弱まったとはいえ満月の光なら多くの灰色の雪が光を反射して夜の闇を薄くする。それらが重なって私の中では決して忘れれない光景になりましたから……月の華々を作りたいと思えたんです」
「皮肉なもの、と言って良いのかしらね」
「違うと思います、私が勝手にその光景に生きる意志を貰ったんです。あの時の私は心身共に疲れきってましたから、私に必要なモノがその光景の中にあったから手にする事が出来た。今でも何を手にしたのかは分りません、けど……それは確かに……」
少しだけ顔を伏せて瞳を閉じた風香は右手を胸の前で握り締める。顔には明日を心配する事が無い事を表し、握り締めている手は力強くても大きな安心を感じさせていた。風香の言葉が途切れた事により近藤の視線は風香へと向いていた。近藤の瞳に写った風香の姿に少しだけ驚きを顔に出すのと同時にしっかりと見えた……風香の周りに浮かぶ黄色い綿毛のような花が風で遊ぶかのように踊り浮かんでいるのを。
不思議な光景に近藤は瞬きをするのを忘れたかのように風香を見入る。けど突如として風香の周りに浮かんでいたモノが消えてしまった、消えてしまった理由が瞬きによるものだという事に近藤は気が付くと自分が不思議な体験をした事に気付いた。なにしろ何秒なのか何分なのか分らないほど風香を見詰めていたし、先程の光景も幻覚かもしれない。ただ……分ったのは一つだけ。
それは確かに……
「ここにあるんです」
力強いが優しさの光が見える瞳を開いた風香が近藤を見詰めながらはっきりとそう言葉にして出した。
「そうね……今なら、私にも分るかもしれないわ。風香ちゃんが手にしたモノ、そして何でこの光景を綺麗だと思えるのかもね」
近藤の言葉に風香は小さくて短い声を上げてから質問をしたい生徒のように近藤を見詰めるが微笑だけを返されただけで近藤は視線を窓の外に戻してしまった。そのために風香は話し出す事が出来ずに仕方なく近藤と同じく窓の外に目を向ける。
相変わらず灰色の雪はゆっくりと少なく振り続けている。たぶん明日も灰色の雪は降り続けるだろう、だから明日もやる事は変わらないけど風香は灰色の雪を見ていてふと少し昔の事を思い出した。
そう、全ての始まりは灰色の雪。降り始めた当初は誰も気にしなかったが灰色の雪がもたらしたモノは大きくて人類と一緒に地球上の全てが死滅するとまで言われた。誰もが人類絶滅を信じたかもしれない、その中で必死に足掻いていた人達が居ただろう。誰しもが何をして良いのか分らない時もあったかもしれない、それでも自然と目の前の事に一生懸命になっていた。
それでも……灰色の雪は降り続けた、そして灰色の雪がもたらす災害も続いた。そんな雪が降り続ける中で風香はあの夜を見付けた、雪を引き立たせるかのようにぼやけて煌く月と月光を受けながら降り落ちる雪はそよ風に吹かれてなびく花のようだった。そんな月の華々が夜空に花園になったあの夜を風香は目にしたのだ。
雪が月をより輝かせて、月の煌きを受けつつ降る雪は風に揺れる花になった。雪が降り、月の明かりが見える風を作り出し、花が咲き誇った。そんな月の華々を見たからこそ風香は花壇がいっぱいになるほどの花を咲かせた。そして今日……その花を少なくても人に受け取ってもらえた。けど、言い換えれば……ただそれだけだ。
現状は何一つとして変わってはいない。灰色の雪は未だに降り続けているのが風香の瞳にもしっかりと写っている。そして灰色の雪は未だに命を奪っており、政府も研究機関も諸外国と連携して国というシステムを維持しようとしている。けれども灰色の雪がもたらす厄災が終わる気配は未だにない、明日も明後日も灰色の雪が降り続ける中で人々は営みを続ける。いつ……灰色の雪が自分の命を奪うのか分らないままに……。
恐怖や不安は人の心を不安定にする、今の時点では起こっていないが他の国では人々の心が爆発している。白昼堂々と人の物を奪うのなんて当たり前だし、店なんて物はとっくに存在意義を失っているだろう。そして……この国もいつそうなるかなんてわかったものではない、いや、いつそうなっても不思議ではない。
けど……灰色の雪が降り続ける庭を見続ける風香と近藤の顔には陰りなんてない。もしかしたら風香から花を受け取った人達も同じような顔をしているのかもしれないと風香には思えた。なにしろ……それは確かにあるのだから。灰色の雪から生まれた……世の中に充満しているモノとは正反対のモノ。
だからこそ風香は降り続く灰色の雪を見ながらはっきりと言葉にして思える。
私は……今ここに生きてる、と。
はい、そんな訳でお久しぶりな方はお久しぶりです、初めましての方は初めまして~。まあ、二年近く活動休止をしてましたからね~……すっかり忘れられたかな? ん~、まあ、何にしても、また少しずつ活動をして行きたいと思っている次第でございます。
さてさて、復帰一発目の作品になりますからね~、いろいろと成長しているのが作品に出ていたら良いな~、とか思っちゃってます。内容としては暗い感じがするかもしれませんが、だからこそ引き立つモノがある考えたから少し暗い感じにしてみたんですが……まあ、暗くなり過ぎて重くなるのも嫌だったので最終的にはこうなりました~。
……というか……復帰一発目の短編だから短くても良いから書こうと思えたからこそ書き始めたんですが……なんか長くなったっ!! 当初の予定ならこの十分の一ぐらいの長さに収めるつもりだったのにっ!! 何故長くなったっ!! ……まあ、プロット無しの直書きですからね~、言い換えれば……何の予定も立てずに書き始めたのだから長くなっても不思議は無いっ!! って事になりますね~(笑)
まあ、何にしても出来上がって一安心です。さあ、次は……と言いたいところですが今後の活動予定なんて何も決めてませんからね~、次なんて何も決めていないのですよ、これが(笑)
けど何も考えていないワケじゃないんですよね~、大まかな予定としては短編をもう何本か書いてから、また連載作品が書けたらな~、とか思っております。まあ、まずは物語を書ける状態に戻る事が最優先ですね~、とまあそんな感じで活動してきます。
と今後の事も記した? のでそろそろ締めましょうか。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。気が向いたらで良いので今後もよろしくお願いします。
以上、お久しぶりの方が私のペンネームが変わっている事に気付いているのだろうか? というか……以前のように遊ぶネタが浮かばね~、とか思っている葵嵐雪でした。