9
4月。新入生を迎える。
真新しい制服に袖を通した1年生たちが緊張した面持ちでやってくる。
今年はまた1年生を受け持つことになった。
「先生、テニス部にたくさん勧誘してくださいよ」と、テニス部・部長の綾乃に言われた。
仕方が無い。ホームルームで自己紹介のついでにテニス部顧問だと強調する。
「明日からのスケジュールをよく見て間違えないように」
新入生たちは俺の説明に緊張した面持ちで頷く。
卒業した奴らとは3年の差があるから、子ども子どもした印象を受ける。
帰宅する姿を見送りながら、そう思っていた。
校門の桜に目が行く。今年はちょうど満開だ。
フワリと回った杏子の姿を思い出す。あれは彼女なりの喜びの表現だったのだろうか?
今日も頑張って働いているのだろう。
杏子がイキイキと働く姿を俺は知っている。
気になって休みに一度、店を訪ねたのだ。
アパレルショップに一人で行くのは気が引けたから姉を誘う。
別に姉貴でなくても誰でも良かったのだが、あいにく誘う相手を思いつかなかった。
「お昼は奢ってね」
電話口の姉貴から、いつものスーツじゃなくて、おしゃれして来なさいよと言い添えられた。
「何で?」
「馬鹿ね。カッコいい所、見せないと」
姉貴の意図に気が付いて慌てて否定する。
いろいろ事情がある生徒で気になるだけだとムキになって説明した。
「わかった、わかった。ムキにならなくてもいいわよ」
楽しそうに姉貴は言った。誘うのではなかったと俺は後悔したが、仕方がない。
待ち合わせの場所を決めて電話を切る。
面白がっている姉貴の顔が目に浮かび憂鬱な気分になった。
あんな姉貴と結婚した圭介って男はスゴイと思う。
「いい感じの店じゃない?センスいいわよ」
姉貴は店を値踏みする。接客をしていた杏子が俺達に気が付いたようだ。
「先生」
照れた笑みを浮かべてやってきた。
「来てくれたんですか?」
「どうだ、仕事には慣れたか?」
「まだまだです。毎日、いっぱいいっぱいですよ」
店長の計らいで昼休みを早めに取らせてもらえることになったので、一緒に昼飯を食べることにする。
「ここのランチが美味しいって評判なんです」
杏子が案内したのは、店のそばにあるイタリアン。手頃なランチメニューが並んでいる。
「今日は吾朗の奢りだからね。たくさん食べなさいね」
「吾朗?」
姉貴の言葉に杏子が不思議そうな顔をする。担任の名前まで覚えていないか。
「あ、先生の名前」
「そうゴローちゃんなのよ。学校で威張っていなかった?泣き虫でいつも泣くくせに威張りんぼうでね」
嬉々として俺の子ども時代を話そうとする姉貴を慌てて止める。
「姉貴、余計な事は言わなくていいから」
俺と姉貴のやり取りを見て、ニコニコと杏子が笑う。
「先生、威張ってなんかいませんでしたよ。親身になってくれて、とても嬉しかった」
今度は姉貴がニコニコしている。
三者面談に来て褒められた保護者のような顔だ。そうなると俺は生徒か?
「ゴローちゃんも教師を真面目にやっているのね」
「はい、いい先生です」
杏子がそう言ってくれた。
照れ隠しに俺は怒ったように言う。
「ほら早く注文しようぜ。里中の昼休みが終わってしまう」
「はいはい。じゃあ私はシェフお薦めランチコースで。里中さんも同じのにしなさいよ」
遠慮する杏子に俺も肯いて勧めた。
「では、それで」
注文を終えると今度は姉貴の話しになる。
「先生のお姉さんのお仕事はブライダルプランナーなんですね。素敵な仕事ですね」
姉貴から名刺をもらって杏子が言う。
「新たな人生のスタートをお手伝い出来るのは喜びもあるけど、緊張もするわ。大変なことも沢山あるし」
姉貴の話に真剣に耳を傾ける杏子。コースの料理を食べながら話が続く。
そのうち、圭介氏の話になる。
「年下だけど、とっても頼りがいがあるのよ。ゴローちゃんとは大違い。お花の先生でもあるの」
そんなにニコニコして話なんか聞いてやらなくてもいい!俺はこっそりそう思いながら杏子を見ていた。
自然な笑顔がいい。杏子が笑っていることが嬉しい。
「お花好き?」
「はい。時々、お花を買って飾っています」
「それは良いわね」
杏子は俺に少しだけ視線を向けた。
「先生がくれたの幸福の木って名前だったんですね」
会話についていけてなく自分に話が振られて慌てる。
そう言えば殺風景な部屋に何か贈ろうと思いついて偶然目に入ったのが『幸福の木』だった。
「ゴローちゃんが?幸福の木をプレゼントしたの?」
「悪いか?」
俺は再び機嫌の悪いフリをするが、姉貴には効き目がない。
「何も話さない植物だけど、部屋の中が暖かくなった気がして……。それで早番で帰りが早いと花屋さんに寄って帰るようになったんです。あんまりお金かけられないから1本とか2本なんですけどね」
「素敵なことね。綺麗だって感じたり、美しいと思う心はとても大切だと思うわ」
食事も美味しく、女二人の話しに耳を傾けながら俺はボンヤリ杏子を見ていた。
制服を着ていない彼女は、当たり前の事だけど生徒には見えなかった。