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花咲く頃に  作者: 瓜葉
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3

朝、電話で起こすようになってから杏子は休まずに来ている。

だから卒業後の進路についての面談するために俺は杏子を進路指導室に呼び出した。


「みんな進路が決まってきているが、里中はどうするんだ?」


テーブルの向かい側に座る杏子に訊ねる。

顔を上げると目が会い、俺はどうしていいのかわからなく、慌てて手元の資料に目を落とす。


「就職します」


杏子からはすぐに以前と同じ答えが返ってくる。


「そうか。就職はもうかなり決まってきているから、本当に就職希望なら早くしないと」

「……はい。わかりました」


杏子の反応が鈍い。その様子から本当は進学したいのではないかと思う。


「本当は進学したいんじゃないのか?


思い切って訊ねる。

真っ直ぐ俺を見ていた視線が一瞬逸れて、小さな溜息と共に杏子が首を振る。


「就職します。心配してくれてありがとうございます」

「そっか。それなら良いが。これがまだ応募できそうな求人票だ」


求人票の束を渡すと、杏子は頷いて立ち上がった。


「希望の所が見つかったら早く言うんだぞ」


そう俺は声を掛けた。杏子は扉のところで振り向いてお辞儀をして出て行った。

無気力な状態に思える。教師としてはこれ以上、関われないのだろうか?



職員室に戻ってからも自分の席でしばらく杏子のことを思う。

その時、1年の担任をしている上田先生に声を掛けられた。


「ちょっとよろしいですか?」


手招きされ給湯室へ向かう。

何事かと緊張しながら付いていく。


「3年の里中さんって東山先生が担任でしたよね」

「ええ、そうですが」


杏子の名前が出て驚く。関わりがあるのか?


「昨日、私、見ちゃったんですよ」

「何を?」

「スナックから出てくるのを」

「お酒を飲んでた?」


上田先生は一段を声を低くした。


「アルバイトしているみたいなんです」


驚いて声も出ない。


届出さえすればアルバイトする事は校則違反ではないが、水商売では話が違う。

俺は上田先生から場所を聞きだした。そこは学校の最寄駅から二つほど先の駅前だった。

そんな近くでと心の中で呻く。


「上田先生、アルバイトは直ぐに止めさせるから、このことは内密にして下さい。よろしくお願いします」

と、俺は頭を下げ頼みこんだ。


「もちろんですよ。イタズラに事を大きくしても何も良いことはありませんから。でも、場所が近いですから、他の先生が見つけたら……」

「判っています。今日にでも話しますので」


俺はもう一度頭を下げた。



事実を確かめなければ。


その日、俺は聞いた店に行ってみた。

ドアを開けるとカウンターとボックス席が二つあるだけの小さな店だった。


「いらっしゃいませ」


ドアのほうに振り向いた杏子と行き成り目があった。

派手なスーツを着て化粧をしているから、知らなければとても18歳だとは思えない。

俺は何も言わないでカウンター席に腰を下ろす。


「コートお預りします」


杏子がスッと後にやってきた。

困った顔をしている。泣きそうな顔にも見えた。


「店が終わってから話そう」


小声でそう言い、水割りを頼んだ。

その夜、酒をいくら飲んでも酔わなかった。


杏子が俺を意識して緊張している事が手に取るようにわかる。

それでも客に酒を作り、タバコに火を点け、談笑している姿は、昼間とは別人だった。


店のママがやってきた。


「初めまして。春海です。宜しくお願いしますね。アンちゃんのお知り合いなの?」


そう聞かれ答えに詰まる。


「ごめんなさい、くだらない事訊いたわ。さっきからずっと彼女を見つめているので、そう思っただけなんです」


俺は何も言わないまま杏子に目をやる。


「綺麗な子でしょう」


探るような目で春海ママは俺を見つめた。


「そうだね」


本当に綺麗だった。

笑うのだ。その笑顔を学校で見たいと俺は思った。

例え営業用の笑顔でも俺にはとても眩しく映った。


店はそこそこ繁盛しているようで、なかなかお客が途切れない。

何時までバイトなのかも聞けなかった。

仕方なく12時に店を出て、店が見える場所で待つことにする。


一組の客が帰って、少しすると杏子が出てきた。



「先生、待ってたんですか」


杏子は驚いて言う。


「そう言っただろ」


店の中にいた時の明るい笑顔は消えて困った顔をしている。


「ガクヒ」


彼女が突然口にした単語。俺は意味を理解できなかった。


「学費も家賃も滞納しているから・・・・・・」


家までいつも歩いて帰っていると言う杏子に付き合って歩きながら話す。


「お父さんの会社、大変なのか?」


業績不振だと言う噂を思い出す。


「帰ってこないから」

「えっ?」

「女の人の家に転がり込んで家には居ないんです。借金の取立ての人が来るから・・・・・・」

「今は一人で暮らしているのか?」


コクンと頷く。

ポケットの携帯を取り出して着信を確かめるように画面を開き

「掛けてもなかなか出てくれない。お金の無心だと思われてるみたい」

と、言う。

望む着信やメールは無かったようで杏子はパタンと落とさせて携帯をたたんだ。


俺は怒りで頭が爆発しそうだった。

無責任な親に腹が立って仕方がなかった。


「笑っちゃうでしょう、先生。母親にも父親にも捨てられたの私」


涙を零す事もなく淡々と話す杏子がいじらしい。


「学費のことは学校と相談しよう。家賃はいくらなんだ?」

「12万円」


この当たりの相場としては少し高い気がする。


「駅前の新築マンションなんです。3LDKで12万円。見栄張って馬鹿みたいでしょ?今は私一人で暮らしているのに。引っ越したくてもパパやママの荷物をどうしたら良いのかわからない」

「お母さんには連絡できるのか?」


俺の問いに首を振る。


「お父さんの携帯を教えろ」

「えっ、でも・・・・・・」

「いいから」


杏子はポケットから携帯を取り出して、躊躇いながら番号を教えてくれる。

時計は深夜1時だ。

構うものか、非常識な親にはちょうどいい。


コールが十数回なってようやく繋がった。


「あんた、誰?」


電話口の父親はそう言った。


「私は豊台高校で杏子さんの担任をしている東山です」

「今、何時だと思っているんだ」

「もう1時になるところですね」

「迷惑だ」

「杏子さんは、あなたの無責任さで先ほどまでバイトしてました」


電話の向こうに暫し沈黙がある。

娘の現状を知って驚いたのかと思ったが違っていた。


「で?」


そう返されて今度は俺が言葉に詰まる。


「杏子さんはまだ未成年ですよ。バイトしていたのはスナックで客のお酒の相手をしていたんです」

「スナックのバイトがダメなら止めるよう言ってくれればいいですよ。未成年って言っても18だ。一人で生きていけるでしょ」

「一人で生きていけるかもしれないが、今はまだ高校生だ」

「水商売に入ったならちょうどいいじゃないか、高校なんて辞めて働けばいい。こんな時間に掛けてきて迷惑だ。杏子がそこにいるなら、荷物は近いうちに取りに行くからと伝えてくれ。後は引っ越すなり好きにすればいい。失礼する」


まくし立てる様に言われて俺は何も言えなかった。

多くの生徒の中にはいろいろな事情がある。

不幸もある。貧富の差だってある。親も選べない・・・・・・。


「先生」


腹を立て携帯を握り締めている俺を杏子が呼ぶ。


「ありがとう。大丈夫だから、私」

「何が大丈夫だ」

「でも、本当に大丈夫ですから、心配しないでください」


杏子はそう言って微笑んだ。どこか投げやりなふうに見える。


「里中、先生は頼りないかもしれないが、力になれることは何でもやってやるぞ」


一生懸命、言葉を捜す。でも正直なところ俺に何が出来るのかと思っていた。

そして杏子の住むマンションまでの道のりを黙ったまま歩く。

26年の人生、俺は恵まれていたと思う。

少なくともお金の心配はしなかった。

住む家が無くなるなんて不安を持った事も無い。


「あのマンションだから、ここで大丈夫です」


30分ほど歩いてようやく着いた。

店や学校とは路線が違うから電車で通うには不便な場所だが、特急も止まる大きな駅の直ぐ傍に建つ新しいマンション。

家賃が高い筈だ。


「先生、ありがとう。あの店でのバイトは辞めるから……」

「そのほうがいい。学校をちゃんと卒業して就職できるよう考えてやるから」


杏子はコクンと頷き、オートロックのマンションに入っていった。

俺は後ろ姿をじっと見送った。

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