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4月15日
俺の誕生日は朝から晴れていた。
珍しく目覚ましが鳴るより前に目が覚める。
「おはよう!」
と。携帯の待ち受け画面に向かって言う。
これは最近の日課だ。
洗面台の前で顔を洗い、ジャバジャバと頭にお湯を掛けた。
タオルでゴシゴシと拭く。
こうしないと寝癖が直らない。
軽くドライヤーを当てて乾かしたら、今度は朝食。
トースト焼いてコーヒーを飲むぐらいのことしかしない。
育ち盛りなのか食べていかないと授業中にお腹が鳴るんだよな。
今日は午後から休みをもらうために授業の振り替えを頼んである。
だから午前中は4時間とも授業だ。下準備もバッチリ。
今年は2年生が担当だから、まだ少し余裕がある。今は基本をしっかり身につかせる時期だ。
「先生、なんか良いことあるんですか?」
生徒から言われる。そんなに浮かれているのだろうか?
トイレの鏡の前で引き締まった表情をしてみる。
「何やってるんだ?」
タイミング悪く学年主任と会った。
「気合をいれてたんです」
「そうか、何でもないといいな」
主任の言った意味が一瞬飲み込めなかったが、母親の検査結果を一緒に聞きに行くからと午後から休みを取ったんだった。
許せ母。
「大丈夫だと思うんですけどね。一人じゃ心細いと言うので、すみません」
「親孝行は思いついた時にしておかないと後悔するから。一緒に行ってあげなさい」
「ありがとうございます」
いろんな意味で俺は頭を下げた。
午後になり俺は待ち合わせの駅に向かう。
今日はバイクではなく電車で動くことにしている。
駅にはだいぶ早く着く。
予定では杏子が到着するのはもう少し後になるはずだ。
時計を気にしつつ、街をゆく人を眺める。
平日の昼下がり、もっとまったりしているかと思ったが、意外にも人は慌ただしく動いている。
子どもを連れた母親も多い。
そう言えば同級生の奴ができちゃった結婚をしたと噂で聞いた。
そんな年齢なんだよな。
未来のことが頭に浮かぶ。
大学時代の恋人とは一度も考えたことがない二人で歩む未来。
それを今、俺は思い浮かべている。
慌てるなと、もう一人の俺が言う。
わかっているけど一度浮かんだ思いは消えない。
ぼんやり改札を見つめる俺の目に杏子の姿が飛び込んでくる。
春らしい色のスーツが良く似合う。
俺に気が付き手を小さく手を振って近づいてくる。
「お疲れさん、電車、混んでいなかったか?」
「はい、大丈夫でした」
杏子の荷物をひょといと取り上げる。
「えっ?あ、ありがとうございます。でも軽いから自分で持てます」
俺の行動に狼狽える。
「ばーか。こういう時は男に持ってもらえば良いの。俺が持ちたいんだから、持たせろ」
約束の時間が迫り俺は杏子の手を取り駅前の商店街を歩き出す。
圭介さんの実家である『澤田生花』はこの商店街の中になる。
現在、圭介さんはフラワーアレンジの会社を別に持っていて、ブライダルやホテル関係の仕事はそちらの名前でやっているらしい。
結構なイケメンの彼が開く生け花やアレンジ教室は空きを待つ人が列をなすとか。
綺麗な人も可愛い人も周りにたくさんいると思うのに、なぜあの姉なのか?
どこが良いのか、何度聞いても理解できない。
「真由美さんの可愛いらしさは犯罪です」
って意味わからない。
あっという間に店に到着する。
店先はとてもおしゃれで街の花屋さんの域を出ていると思う。
センスの良さを感じさせる店。手軽な値段でオシャレな花束が幾つも置いてある。
これなら急いでいても直ぐに買うことができる。
俺たちの姿に気付いた姉と圭介さんの母親の志津子さんが顔を出す。
「いらっしゃいませ」
にこやかな笑顔に迎えられ、店の入り口にあるしゃれたテーブルへと案内された。
「狭くてゴメンね。自宅でも良いけど、店の雰囲気をわかってもらった方が良いと思うから……」
そう言ってバックヤードに消えた。
姉はちゃっかり椅子に座っている。嫁の自覚はないのか?
「お義母さん自慢のハーブティをご馳走になりましょう。私がいれるのでは悔しいけど味が違うのよね。特別なことはしてないって言うんだけど」
志津子さんは下準備をしていたらしく直ぐにティーカップを持って現れた。
「改めまして、この店の店主である澤田志津子です。私と吾朗君の関係は聞いているわね」
「はい。初めまして。里中杏子です。今日はよろしくお願いいたします」
志津子さんは経営者らしく杏子にいろいろ質問し、杏子はハキハキと受け答える。
「圭介の会社が忙しくなり過ぎて、ここまで手が回らなくなってるのよ。募集をしようと思っていたから杏子ちゃんさえ良ければ、直ぐにでもきて欲しいわ」
旅館の方も産休だった人が復帰し、今月末に辞めて東京に戻っても大丈夫と言われたらしい。
ゴールデンウイークは旅館が忙しいと気にする杏子に
「繁忙期は助っ人をお願いしているから、杏子ちゃんは気にすることはないのよ」
と、にこやかに女将は言うらしい。
「それにゴールデンウイークなら引っ越しも手伝ってもらえるでしょ?」
とも言われたそうだ。
杏子のことを本当に考えてくれるのがわかる。
優しい人達に出会えてよかったな。
志津子さんは杏子の住むことになる部屋に案内してくれた。
「お風呂がないから、お風呂はうちで入ってちょうだい」
台所とトイレはついている部屋。
大きな押入もある。
元は和室だったらしいが何年か前にフローリングにしたそうだ。
その後、姉が商店街にあるインテリアショップに連れて行ってくれる。
遠慮する杏子にカーテンを買ってくれた。
やわらかなオレンジ色のカーテンを窓に掛けると、グッと女の子の部屋らしくなる。
夜になり圭介さんも合流して夕食を一緒に食べた。
いつの間にか、とっても居心地の良い雰囲気になっている。
世話好きで賑やかな志津子さんと話ながら杏子は楽しそうに笑っている。
良かった。
嬉しくて、俺はつい飲み過ぎ、杏子に抱えられるように家に帰った。
ベットに服のままゴロンと転がる。
杏子が水と濡らしたタオルを持ってきてくれた。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと飲み過ぎた。杏子が良い笑顔で笑っていて嬉しかったんだ」
ベットの横に座る杏子越しにチェストの上に置いた包みが目に入る。
失敗。忘れるところだった。
酔っぱらった体をよいしょと起こし、俺は包みを手に取った。
そして杏子にハイと渡す。
「これ、私に?」
「ああ、一日遅れのプレゼント」
「開けても良いですか?」
「もちろん」
気に入ってくれるか心配で俺はドキドキしながら見守る。
杏子は丁寧に包装紙を取り、ケースを開けた。
小さいけれど本物のダイヤモンドのネックレス。
4月の誕生石だと教えられた。
デザインはハート型。
恥ずかしかったけれど、喜ばれますよと勧められて選んだのだ。
「素敵です。これ、ダイヤモンドですよね?」
「本物だけど、小さくてゴメン」
「小さくなんてないです。可愛い。ありがとうございます」
ネックレスを手に取り、杏子の首につけてやる。
恥ずかしそうに笑うから俺まで照れて、でもドサクサに紛れてキスを掠め取る。
ギュッと抱きしめると
「ありがとう。ゴローさん」
と、本当に恥ずかしそうに言ってくれた。
『先生』じゃなくて名前で呼ばれることがこんなに嬉しいものかと感動する。
「もう1回呼んで」
俺のリクエストに杏子は素直に応じてくれた。
「吾朗さん」
と、今度ははっきり呼ばれる。
「好きです」
俺の胸に顔を埋めたまま杏子が口にした言葉。
愛しい。
俺は手に入れた宝物をそっと抱えてベットに横たえた。
春の夜は恋人達を包み、優しく更けて行く。




