21
杏子と再開し、自分の気持ちを伝えた俺は後ろ髪を引かれる思いで東京に戻った。
帰る前に
「春休みになったら絶対に来るから」
と何度も言うと、
「無理しないでください」と笑われる。
「先生が忙しいことわかっていますから……」
「そんな聞き分けの良いこと言うな。俺が会いたいんだ」
回りを気にしながら、バイクの横でもう一度抱擁して言う。
東京に戻り、杏子の就職の先を探すのに、まず姉に相談した。
大手結婚式場になら一人ぐらい入り込めないかと思ったのだ。
「杏子ちゃんと付き合うことになったの?」
「え、いや、まぁそんな感じなんで……」
「そっかそっか。大切にしないと私が絞めるよ」
なんて怖いことを言うのだろう。
「就職先か……うちの職場だとアルバイトならあるけど。あっ!ねえ、お花に興味あるかしら?」
「花?」
「そう、お花。圭介がフラワーアレンジメントの方が忙しくなって、最近、お店はお義母さん一人なのよね。ちょっと相談してみるから時間をちょうだい」
そう言っていた姉からは、その夜に電話が掛かってきた。
「圭介とお義母さんと話したのよ。そしたらね、彼女が良ければ住み込みでも来てもらえると嬉しいって」
「住み込み?」
「住み込みって言っても、お店のビルの上にあるアパートの部屋が1室空いてるのよ。お風呂のない部屋なので今は賃貸には出してないんだけどね。そこに住んでくれたらどうかって。あんたの家からもそんなに遠くないしどうかな?」
姉のお姑さんは、穏やかな人だという印象がある。
嫌味のない話しぶりと暖かい笑顔で姉と圭介さんの結婚を本当に喜んでくれていた。
同居の申し出も離れている方が互いに優しく出来るからと断られたと聞く。
お風呂がないと言うのは気になるけど、あの人になら杏子を託せる気がした。
今後のことが何となく決まりかけ、俺は杏子と会うために再び信州へ向かう。
約束通り春休みの平日。
休暇を取って出掛ける。
杏子も休みの日だから、麓の町で待ち合わせた。
2度目の道は近く感じる。
天気にも恵まれ穏やかな春の日差しの中、待ち合わせの場所は道の駅。
あんずの里と大きく書いてある。
予定時間より早く着いた俺はバイクを止めてベンチに座る。
「先生」
後から声を掛けられ振り返ると、杏子が立っていた。
「早かったな」
「お客様を麓まで送る車に便乗させてもらったの」
「そっか、よかったな」
ハイと頷きニコリと笑う。
その笑顔が綺麗だと思う。化粧も一時期のようなバッチリしたものではなくなり、とても自然だ。
俺の好みなんだよなと心の中で思う。
ベンチから立ち上がった俺は当然のように杏子と手をつなぐ。
顔を覗き込むと、恥ずかしそうに見上げられる。
その様子に身体中で反応している俺には、年上という余裕などない。
午前中の明るい陽射しの中でも理性を保つのがやっとだ。
繋いだ手に力を入れると、杏子も優しく握り返してくれる。
道の駅から続く散策道をゆっくり歩き出す。
道はなだらかに登っている。
しばらく手をつないで歩くと眼下に樹木園が見えてきた。
「先生、あれがあんずの木です。あと10日もすると満開になるらしいです」
そう教えてくれる。ところどころ咲いて、桜より少し濃いピンク色をしているようだ。
あと10日ぐらいならちょうど杏子の誕生日頃だ。
「おまえの誕生日の頃だな」
「知ってたんですか?」
「当たり前だ。担任だったんだぞ」
4月14日が杏子の誕生日。はっきり覚えているは俺のたんが4月15日だからだ。
「でも覚えてくれるなて、嬉しいです」
あんまり感激してもらうと居心地が悪く、覚えていたカラクリを白状する。
「まあな。実は俺の誕生日は4月15日だ」
「え、そうなんですか?じゃあ先生と私は同じ牡羊座なんですね。私も覚えました」
俺の顔を見てそう言いながら微笑んだ。
誰もいないことをいいことに俺は杏子を抱きしめた。
「先生……」
杏子の髪に顔を埋める。
「いい匂いだ」
自分の熱を逃がそうとしたのに逆効果だ。
「軽蔑するなよ」
「何をですか?」
「欲しくてたまらない」
耳元に囁いた。
「……生理なんです」
思いがけない返答だけど、拒否の言葉ではなくホッとする。
そうじゃ無ければ良いってことか?
「そっか」
男の俺にには分からないけど、痛みで寝込む奴もいる。
保健室の利用の何割かは生理痛だと明科先生から聞いたことがある。
「ごめんなさい」
「なんで謝るんだ?」
「だって……」
杏子の脳裏に過去の男が蘇って不安にさせてると思う。
「バカ、生理なのはしょうがないだろ?」
そう言ってキスを掠め取る。
俺の背中に回された杏子の手に力が入り、今度は彼女からキスをされた。
柔らかな感触が、だんだん艶めかしくなる。
マズイ。
「今日は休みなんだろう?少し散歩しよう」
熱くなったものを冷まそうと少し距離をおいて歩く。
春の息吹を感じる遊歩道。
「先生ってちょっと癖っ毛なんですね」
俺を見上げて杏子が言う。
「そうなんだよな。だから朝は憂鬱なんだ」
「私は癖っ毛って憧れでした」
「そういうものか?綺麗な髪をしているのに……」
俺はそっと手で杏子の髪を梳く。
サラサラと指の間を滑る。
「あっ、先生ちょっと待って」
立ち止まった杏子が道端の黄色い花を指差した。
「福寿草です。ちょっと写真を撮っても良いですか?」
バックの中からデジカメを取り出すと楽しそうに写しだした。
「先生も撮っていいですか?」
「俺なんて撮ってもしょうがないだろう」
「そんなことないです」
微笑みながら俺にカメラを向けられた。
そんなことをされると恥ずかしくなる。
「俺はいいから、お前を撮ってやるよ」
「このカメラ、自分で買ったんです。山も川も空も綺麗なんだって思えて、ちょっとはまってるんです。旅館の人もみんな撮ったんですから、先生の写真も撮らせてください」
再びカメラを構える杏子に俺は照れ笑いを浮かべるしかない。
シャッターの音がする。
フィルムの時代は現像しないと写真の確認が出来なかったが、今は直ぐに見ることができる。
「良い顔で写っていますよ」
杏子が差し出してくれたカメラをのぞきこむ。
にやけた顔をした俺がいた。
「俺にも撮らせろ」
携帯を取り出して杏子に向ける。
「ほら笑って」
俺が言うと杏子はニコリと微笑んだ。
思わずシャッターを押す。
カシャリと間の抜けた音がする。
画面には杏子の微笑んだ顔。
待ち受け決定だなと心の中でつぶやいた。




