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花咲く頃に  作者: 瓜葉
19/28

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部屋に設けられた露店風呂に入ってみた。


外はまだ冷たい空気に支配されているが、お湯に入れば丁度いい感じだ。

これならのぼせることはないだろう。


景色を眺める。


杏子は半年の間、この景色を見ていたのだ。

リハビリと言っていた。


親に振り回され、男にも殴られ、裏切られもした。望まない妊娠と流産にだってどれほど傷ついたことか。

笑顔を見たい、彼女を守りたいと思いながら、俺は何を気にしていたのだ。


世間の目から自分を守ったのだ。

今更ながら情けないと思うけど、もう迷わない。



旅館の浴衣を着る。

帯はいつも適当にしか結べない。


テレビを掛けてみても落ち着かない。


杏子の仕事が終わったら話す時間があるのだろうか?



「失礼します。お食事の用意ができましたがお持ちしてよろしいでしょうか?」


部屋の扉が開き、そう聞かれた。

時計を見ると6時半だ。


「お願いします」


他人行儀に話してることに耐えきれず爆笑してしまう。


「もう笑わないでください。仕事なんです」

ちょっと膨れて杏子が言う。


「ごめん、お腹空いたから、用意してくれるか?」


ニッコリ笑って杏子は部屋を出て行く。

少し待つと失礼しますと杏子が料理を持って戻ってきた。

座卓の上に手際良く料理を並べてくれる。


すごく幸せな気持ちになる。

ビールで乾杯をし、もっとも杏子は仕事中だからお酌だけしてくれたのだが、一気に飲み干す。

旨い!


「先生、喉が渇いていたんですか?」


驚いた顔して杏子に聞かれた。


「長風呂したからな」

「いいお湯でしょ?」

「ああ、本当に気持ちが良い湯だった。景色も良いし、静かだし」

「静かですよ。時間もゆっくり進む気がします。それに旅館の仕事って思っている以上に体力勝負なんので余計なことに囚われずにいられるんです」

「そうか、それがリハビリだったのか?」


杏子はハイと頷く。


「お料理食べてくださいね。今、天麩羅を持ってきます。こちらの陶板にも火を入れますから、消えたら食べてください」


立ち上がり掛けて杏子がちょっと困った顔する。


「どうした?」

「先生、浴衣の袷が逆です」

「えーっ?」


自分の浴衣を見ると確かに変な気がする。


「ちょっと立ってもらっても良いですか?」


杏子に言われるまま立ち上がると帯を緩められ、さっと袷を逆にされた。

帯を丁寧に結んでくれる。いつも適当に結んでいたのに、キチンとした感じで良い。


でも、このシチュエーションは危ない。

顔が赤くなっている気がする。

チラリと見た杏子も赤くなっているようにみえる。


「失礼しました」

と、慌てて部屋を出て行ってしまう。


気持ちを落ちつけようとビールを飲む。

料理に箸をつけ、再びビールを口にする。


あんまりアルコールに強い性質ではないから、自制しないといけない。

そう思いながらも、飲み続けてしまう。


扉の向こうから声がかかり再び杏子が入ってきた。

揚げたての天麩羅と天つゆを置いてくれる。


「山菜の季節には少し早いので、種類がまだそろわないのですが、美味しいから熱いうちに食べてくださいね」

「うん、うまそうだな…これはひょっとして蕗の薹?」

「そうです。美味しいですよ。私、こっちに来て初めて食べたんです」

「大人の味だろ?」

「大人の味って・・・先生、なんかイヤらしい」

そう言って杏子が笑う。


「笑うな。そうだ、ビールをもう1本追加で持ってきて」

「先生、お酒、強いんですね」

「そうでもないけど、飲みたい気分なんだ」


俺から追加注文を受け、杏子は部屋を出ていき、直ぐにビールを持ってきてくれた。

手酌で飲むつもりだったのに、杏子が注いでくれる。


「他の宿泊客にも注いだりするのか?」

「最初の1杯は注ぐこともありますけど、ご家族とか友人同士でいらっしゃる方がほとんどなので、そんなには」

「そっか。じゃあ酔っ払いに絡まれて嫌な思いをすることはない?」

「ほとんど。ここの女将さん、酔っぱらった人のあしらいがとっても上手なので、危なそうなときは先に変わってくれるんです」


杏子が横に居てくれると食が進む。

美味しいと言うと笑顔を返してくれる。

コップが空になればビールを注いでくれて、俺はだんだん気持ちが良くなっていた。


食事の締めにご飯とみそ汁が運ばれてくる頃には俺はすっかり出来上がっていた。


「片付けを終えたら、伺っても良いですか?」


杏子の聞かれる。嫌な訳がない。


「待ってる」

「では、これを下げてきますから。先生、寝ないで待っててくださいね」



扉の向こうに消えた杏子の姿を追う。


寝ないでと言われたのに眠くて仕方がない。

杏子はまだ仕事中なのに、俺一人が……




「先生、風邪ひきますよ。お布団、敷きましたから」


ぼんやりしたまま目を開けると杏子がいた。


「ごめん、寝ちゃってたな」


杏子はさっきまでの着物姿ではなく、ジーンズにニットのセーターを着ている。


「仕事、終わったのか?」

「はい、もう自由時間です」


酔っ払った身体は俺の思うよにならず寝っ転がったままだ。

髪をほどいて軽く耳に掛けている姿は俺の好みのど真ん中だと思う。


「いい顔してる。綺麗だ」

「先生、酔っぱらってます」

「うん、そうだな。すごくいい気分だ」


杏子は大の字で寝ている俺を困ったように見つめている。


「風邪ひきます。とにかく起きてください」


手を引っ張られたから引っ張り返すと杏子が俺の上に倒れてきた。

重いけど暖かい。柔らかな杏子の体をギュッと抱きしめる。


「少しだけ、このままでいて」


杏子が微かに肯いたのを感じる。

アルコールのためか俺はとても幸せな気持ちだった。

ふんわりと鼻腔をくすぐる杏子の匂い。



クシュンと杏子がくしゃみをして俺は慌てて起き上がった。


「悪い、風邪引かすところだったな」

「大丈夫です。先生こそちゃんと布団で寝てください」

「ああ、そうだな」


俺が立ち上がると杏子も一緒に立ったから、もう一度抱きしめた。


「酔ってるから言うわけじゃない」

「えっ?」

「俺はおまえのことが好きだ」


杏子が息を飲み体が強張らせた。


「ずっと前からだと思う。生徒のころから気になって仕方がなかった」

「でも、私……」

「俺のこと嫌いじゃなければ今は良い。ゆっくり口説くから」


泣きそうな顔で俺のことを見上げている杏子。

まずい。


「私……ずっと先生のことを考えてました。あの時、先生から拒まれたと思ったけど違ったんですよね?」

「拒んでなんてない」


コクンと杏子が頷く。


「今はそう思えます。でも、私、そういう人としか付き合ってなかったんです。私の身体だけ……」

「もういい。言わなくていい」


杏子の自虐的な言葉を遮る。

そんな事を言わせたくない。


「先生、ありがとう。頑張って名前で呼べるようになるから、だから、もう少し待てって」

「わかった」


杏子の気持ちを大切にしたい。

言い寄られて好きになることばかりではない。


ゆっくり二人の思いを育てたい。


「明日も仕事だろ?」


俺の言葉に肯く。


「俺も布団に入って寝るから、もう部屋に戻った方がいい」

「はい、おやすみなさい」


素直に受け入れてくれる杏子をもう一度ギュッと抱きしめ、額にそっとキスをする。


「おやすみ」


名残惜しいが腕の力を緩め、杏子を送り出した。

温もりを思い出し、頬を緩めた途端、俺は盛大なクシャミをした。


いい夢が見れそうだと思いながら布団に入った。


おやすみ、杏子。

























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