17
2学期が始まった。
俺の前にから居なくなった杏子。
明科先生とは連絡が取れているから、俺は心配することを一旦やめようと思う。
佐藤先生が言っていたように、杏子への気持ちが教師としての枠を出ないものだったのか、本当に愛情なのか自分でハッキリと自覚できるまで、俺には会う資格などないのだ。
中途半端では再び傷つけてしまう。
それだけは出来ない。
だから今は、自分の教師という仕事を頑張るしかない。
2学期は行事が多く、追われているうちに年末になる。
今年は一緒にクリスマスケーキを食べようなどと言ってくれる生徒もいない。
こういう日に明科先生を誘うわけにもいかない。
年末年始の休暇も一人で過ごした。
実家には姉夫婦が帰省しているから大丈夫だ。
年賀状の中に杏子からのものがないかと思うけど、来ていなかった。
岡本からの年賀状は写真のもの。
自分で撮ったと書いてある。
ピースサインをしている影。
自分の影なのか?写真部の顧問と言いながら、写真の良し悪しはさっぱりわからない。
やることも行くところも無く、ボンヤリ過ごしている間に3学期が始まる。
4月に入学した生徒たちもすっかり高校生らしくなっている。
成長してるんだよなって感慨深くなる。
3学期は短いから、あっという間に卒業式がやってくる。
胸に花飾りをつけた卒業生たちが体育館に入場してくると、昨年のことを思い返さずにはいられない。
あの時、杏子はどんな思いで返事をしたのだろう。
俺は、杏子の名前を特別な思いで呼んだのを思い出す。
記憶に残したいと見つめたのだ。
杏子の姿を探して、あの木の下でクルリと回る姿を見つけたのだ。
偶然ではない。
俺はもう一度会いたかったのだ。
俺の思いなど関係なく粛々と式は進み、拍手とともに卒業生を送り出す。
最後のホームルームを終えた生徒たちはあちこちで記念写真を撮り、盛り上がっている。
職員室にも卒業生達が名残りを惜しんで押しかけてくる。
俺もテニス部の奴らに呼ばれる。
目を真っ赤にしているのは女子部の部長だった高見綾乃だ。
志望大学に合格したと報告してくれた。
「良かったな」
俺はそう声をかける。
「ありがとうございます」
笑顔で答える。
他の部員達も次々と進路を報告してくれる。
みんな希望に満ちた顔をしている。
充実した高校生活だったのだろう。
目の前に綾乃が再び立つ。
真っ直ぐに見つめられる。緊張感が伝わってくる。
「私、本当に先生のことが好きでした」
気が付くと、いつの間にか周りから人がいなくなっている。
彼女の本気が伝わってくる。
俺のどこが良いのかわからないけど。
俺も綾乃をしっかり見つめる。
やっぱり生徒としか思えない。
違うのだ。
「ありがとう。高見の気持ちは嬉しいけど、俺にとっては可愛い生徒の一人なんだ。君の気持ちに答えることはできない」
茶化さず答える。
「わかっていたけど、やっぱりショックだな。でも、ちゃんと答えてくれてありがとう。本当に楽しい高校生活だったよ。大学生になって、すっごく綺麗になって、先生に後悔させないとね」
綾乃はそう言って
「最後に二人で写真を撮ってください」
とお願いされた。
遠巻きに見ていた友達が寄ってくる。
「振られちゃった」
と、明るく言う綾乃を皆が優しく囲む。
「先生とツーショットの写真撮って!」
そうカメラを手渡して頼んでいる。
頼まれた子も、もっと近寄れとか、笑顔を見せろとか注文が多くて苦笑した。
何とか写真を撮り終わると
「先生も元気に頑張ってね」
と、綾乃たちは大きく手を振って俺から離れて行った。
杏子は今頃どうしているのだろう。
卒業式の日、
「先生、本当にお世話になりました」
と涙ぐんでくれた姿を思い出す。
明科先生が時々連絡を取り、元気そうだと教えてもらうことが、どれだけ励みになっていることか。
細くても糸がつながっていると思えるのだ。
俺のことを思い出すことはあるのだろうか。
卒業式の翌日、岡本有希から絵葉書が届く。
N県の地方都市の名がある。
「あんずの里」そう書かれている。
一見桜かと思うようなピンクの花。
あんずの花のようだ。
『元気です。頑張っています』
そして小さく『k』とサインがあった。
差出人は岡本なのに、ひょっとしたらと予感する。
杏子と連絡を取っているのだろうか?
旅行でもしたのか?
それとも……
金曜日の夜、明科先生から食事に誘われる。
よく行く居酒屋。
いつものようにビールで乾杯する。
たわいも無い話をして笑いあう。
スポーツの話の時は熱く語ることもある。
だけど、今日はなんだか、様子が違う。
「明科先生、今日は何か変ですよ」
「そう?」
明らかに動揺している。
「卒業式も終わって疲れが出たのかしらね」
なんてトボけている。
「ま、いっか」
深く追求しても良いかとはないと思う。
熱々の手作りピザが運ばれてくる。
和風仕立てなのにしっかりピザの雰囲気で、この店でのお気に入りだ。
「おお、ピザだピザだ」
喜んで手を伸ばす。
「東山先生、高見綾乃さんに告白されたんですって」
いきなりのパンチ。
ピザを一口食べて見たものの味がわからない。
「どうしたんですか、急に」
「小耳にはさんだから、何て答えたんだろうって気になったのよ」
口の中の物をゴクリと飲み込む。
「確かに告白のようなことはありました」
「やっぱり」
そんなに噂になっているのか?
ちょっと心配になる。
「あ、噂になっているわけじゃないのよ。彼女たち、卒業式の3日ぐらい前に保健室で密談してたのよ。私の存在を忘れて夢中になって話してるから、聞こえないふりしてたのよ」
カーテンで姿が見えないと安心するらしい。
頭隠して尻隠さずだ。
「それで、どうしたの?」
「どうしたのと言われても、生徒としか思えないって断りましたよ」
「ふ~ん。ちょっと良いかなって思わないの?」
「思わないですね」
即答すると、今度は明科先生が
「じゃあ、私では?」
あまりに意外な言葉に大きく咽た。
「な、なんで」
「そんなに狼狽えないでよ。別に意外でもないでしょう。二人で時々食事をする仲なんだから」
「え、でも、それは……」
しどろもどろになり、何と返答していいのか見当もつかない。
そんな俺の顔を見て明科先生が笑い出す。
「ごめん、嘘。ちょっとからかっただけ」
「もう勘弁してくださいよ」
俺の言葉に明科先生の顔に暗い表情が一瞬浮かんだように見えたけど、それは自惚れだ。
「東山先生、明日明後日と暇?」
突然、話題が変わる。
「えっ?明日、明後日って土日ですよね。部活もないし、特に用事もないと思うけど……」
用心しながら答える。
「じゃあ、さっきからかったお詫びに、この宿に宿泊しておいで」
そう言ってプリントアウトした紙を渡された。
「これは?」
プリントにはN県の温泉宿の情報と宿泊予約のところに俺の名があった。
『あんずの里』の文字に目が留まる。
心臓がドキドキしてきた。
顔をあげると明科先生がニコニコしている。
「行ってごらん。ちょっとは落ち着くんじゃない」
そう言う。
「でも……」
「ただし、向こうが嫌なら姿を見れないわよ」
『嫌なら』の言葉に狼狽える。
「行くのも行かないのも東山先生に任せるわ。じゃあね。悪いけど、今日は奢ってね」
動揺している俺を見捨てて、明科先生はさっさと帰って行った。
この宿に泊まっているのだろうか?それとも働いているのだろうか?
俺に会ってもいいと言ってくれたのか?
それとも俺が会いに行くことは知らないのか?
俺は
俺はどうしても杏子に会いたい。
どうしようもなく惹かれている。
そのことを伝えなければ。
そして、傷つけてごめんと言わなければ。
もういい加減な態度はしない。
だから会いに行こう。
続きは少々お時間をください。