15
次の日、俺は朝から部活の指導で忙しい事を言い訳に杏子に連絡しなかった。
その翌日も、もう少し時間を置こうと思い何もしなかった。
一日一日理由を付けて杏子を避けていたのだ。
1週間後、携帯に電話をしたがつながらなかった。
あんな態度を取ったのだから嫌われただろうか
10日後、つながらない携帯に不安を覚えアパートを訪ねた。
インターホンを鳴らし、ドアを叩くが留守のようだ。
就職活動をしているのかもしれないと思った。
諦めて階段を降り掛けると、下から中年の女性が上がってきた。
体を少し横にずらして行き過ぎようとすると声を掛けられた。
「そこの部屋の人なら引っ越したみたいよ。トラックに荷物を積み込んでいたから」
「そうなんですか。どこに引っ越したかわかりませんか?」
「さぁね。最近の若い人は隣近所に挨拶することなんて無いから。若い女の子が住んでいたのは知っていたけど名前も知らないわよ」
表札も出していなかったアパートのドアが脳裏に浮かぶ。
「知り合いだったの?」
「ええ、まぁ」
「表通りの酒屋さんがこのアパートの大家さんだから、何か知っているかもね」
俺が余程気落ちした顔をしていたのか、中年の女性は大家の家を教えてくれた。
礼もそこそこに俺は酒屋を訪ねる。
レジにいた女性に尋ねると
「お母さん」
と奥に声を掛ける。
「どうかした?」
店の奥の扉から体格の良い女が顔を出す。
「この間、アパートを出た人の引越し先、知っているかって?」
「ああ、あの子。知らないね。綺麗に部屋を使っていたようだし、敷金の返金も要らないって言うからね聞かなかったわ」
「誰か一緒にここに来ましたか?」
「一人だったわよ。何人も男が訪ねて来ていたようだけどね。あんたもその一人?高校生の一人暮らしだから、本当は嫌だったのよね。でもこの子の友達に頼み込まれて仕方なく入れたのよ」
レジにいる茶髪の娘に視線を送る。
「そん時はアイツと付き合っていたんじゃない?別れたって言っていたけどさ。その後、ベンツに乗った奴に何度か送られてきてさ」
「ああ、アレね。顔は良さそうだったけど、アレは駄目だ。性質が悪そうだ」
「金有りますって露骨過ぎだよね。あ、ごめん。ひょっとしてあの子の彼氏?騙されていたとか?」
俺と杏子の関係を好奇心いっぱいの顔で知りたがる酒屋の親子にへきへきして逃げるように店を後にした。
何処へ行ったのだろう。
同級生の中で特に親しくしていたのは誰だ?
クラス委員だった岡本有希の顔が浮かぶ。
友達ですと言っていた。
図書館で楽しそうに話しているのを見かけたこともある。
あいつとなら連絡を取り合っていてもおかしくないと思う。
でも結局、電話をすることは出来なかった。
何て言ったらいいのかわからないのだ。
無責任な父親の携帯には一度だけ電話したが、連絡を取っていないから判らないとけんもほろろな態度だった。
心配ではないのだろうか?
まだ未成年なのに……。
俺は何ができるのだろうか?
俺は、どうしたいのだろう。
俺は――。
杏子は俺の前から消えたのだ。
それは全て俺が蒔いた種だ。
傷に塩を塗るようなことをしたのだ。
俺がいい加減な責任感で行動した結果は、杏子を更に傷つけただけなのだ。
携帯に何度も掛けたが繋がらない。
メールを送ってもアドレスを変えたようで送れない。
俺は自分を殴りたいほど腹を立てていた。
情けない様子に明科先生が気がついた。
「東山先生、何かあったんですか?」
そう聞かれた。
しどろもどろの俺の様子はますます怪しいものだったのだろう。
「今夜、飲みに行きましょう!」
俺の意思など関係なく決められていた。
それは、ある意味良かったと思う。
聞いて欲しかったのだ。
夜、約束通り明科先生と飲みに来ている。
ワイワイガヤガヤした賑やかな居酒屋。
取り敢えずビールで乾杯する。
喉が乾いていたのに、ビールが美味しく苦いだけだった。
「で、何があったのかな?」
喉が潤ったところで、そう訊ねられた。
何から話したら良いのだろう。
杏子の身に起こった出来事を話す。
「里中さんの中に寂しくて誰かに依存したい部分があるのよね、きっと」
明科先生の言葉が痛い。
そんな杏子の思いを利用したんだ。
「東山先生、まだ何かあるよね。と言うより、そっちの方が落ち込みの原因?」
鋭い観察力に脱帽だ。
「なんでわかるんですか?」
「判るわよ。怒りと落ち込みは全然違う感情なの。里中さんに降りかかった災難には怒りは覚えても落ち込むことはないわ」
確かにそうだ。
あのバカ息子やバカ社長への怒りなど自分の失態からしたらなんてことは気がしてくる。
「俺のせいで里中が居なくなったんだ……」
「えっ?居なくなった?家出ってこと?」
俺は力なく首を振る。
「家出じゃない。アパートを引き払って何処かに行ってしまったんです」
頼る人などいないはずだ。なのに、どこに行ったのだ。
「きちんと引っ越しの手順を踏んだのなら、彼女の意思で居なくなったのね」
認めたくないけど、その通りだ。
俺は頷くしかない。
「で、その原因は自分にあると思っているのね」
そう言われて、俺はあの夜のことを打ち明ける。
明科先生は頭を抱えている。
「もう卒業してるんだから、そんな状況で急に教師の倫理観なんてこと持ち出したって理解できないわよ。全部、背負うぐらいの覚悟は無かったの?」
「全部、背負ってやりたかったけど、弱みに付け込んでいるようで……」
明科先生は俺の言葉に溜息をつく。
そして携帯を取り出した。
誰かに電話を掛けたようだ。