13
翌日の夕方、俺は杏子に連絡をした。
「大丈夫か?」
俺の問いに
「首になっちゃった」
と、答えが返ってきた。
「どういうことだ!」
「いかがわしい雑誌に売り込んで店の信用を落としたって」
「なんだ、それ。被害者はおまえだろうが。何処まで腐った奴なんだ」
怒りのあまり手が震える。ただじゃおかないのはこっちだ!!!
「社長にキチンと説明してやる」
息巻く俺に
「もう良いんです」
と、杏子は言う。
あの男は店長とも付き合っていたらしく、二人で話が作り上げられていたそうだ。
社長からは息子をたぶらかす悪女と言われ、情をかけて採用したのが間違いだったと怒鳴られたらしい。
「やっぱり騙されて遊ばれたんですね」
と杏子は溜息交じり言う。
「あんまり馬鹿馬鹿しくなっちゃって、私、涙も出ませんでした」
諦めた声が耳に響く。
あの男がにやけている様子が目に浮かぶ。
どんな調子で杏子を罵ったのだ。
そんな息子を育てて恥ずかしくないのか!俺は会ったことのない社長への怒りも沸いて来る。
「先生、大丈夫だから……」
俺の怒りを鎮めようと杏子が言う。
自分が我慢すれば良いからと諦めているのだ。
そういう扱いをされても仕方がないと。
「大丈夫のわけが無い!」
俺は携帯電話に向かって叫んだ。
「今から行くから」
そう口から言葉が出ている。
「えっ?でも……」
「俺は里中のことが心配だから、これからのこと相談しよう」
そう杏子に伝えて電話を切った。
バイクで向かう途中、俺は腹が減っている事に気が付いた。
元気付けるには美味しいものを食べさせるのがいいだろう。
スーパーの車庫にバイクを止めて店に入る。
自炊生活の長い俺だが作れる料理は限られていた。
カレーかチャーハンかすき焼きか鍋だ。
ちょうど精肉コーナーで、すき焼きのタレの実演販売をやっていた。
これしかないと俺は大量の肉と野菜と玉子を買った。実演販売のオバサンに勧められたタレも籠に入れる。
たくさんの買い物をするとバイクは不便だ。
何とか工夫をして荷物を持ち、杏子のアパートへ向かう。
ドアをノックすると杏子がすぐに開けてくれた。
「先生、ごめんなさい」
謝られイライラする。
「おまえが謝ることはない!俺が怒っているのは馬鹿親子のほうだ」
「でも……」
「とにかく、上手いもの食べて元気出せ」
俺は手にしていたレジ袋を掲げる。
「すき焼き食べよう。材料、買って来たから」
「先生が?」
「そうだ。お腹減っただろう?作ってやるから座っていろ」
偉そうに杏子に言ったが、結局はやってもらう事になる。
すき焼き鍋も無かったからフライパンで代用した。
二人で食べるには多すぎる量だったようで、
「私、こんなに大食いじゃないですよ」
と、杏子に笑いながら抗議される。
小さな流しの前で二人ですき焼きを用意した。
出来上がったフライパンを前にして一緒にいただきますと手を合わせる。
「美味しい……」
そう言ったままポトンと杏子の目から涙が落ちた。
俺は気が付かないフリをして肉を頬張り野菜を口にする。
一生懸命働いていたじゃないか。
騙されて傷つけられたのは杏子なのに、こんな理不尽なことがあるものか!
俺のすき焼きもやけにしょっぱい気がする。
そんな会社、こっちから願い下げだ。俺がもっといい勤め先を探してやる。
杏子も俺も饒舌なほうではない。それでもこの夜はよく話した。
俺はバイクで来ていたし、杏子は未成年だからアルコールは入ってないのだが、酔っ払ったように陽気に怒った。
理不尽な者たちへの怒りを吐き出して心を軽くしたいと思った。
もうたくさんだ。もう杏子を傷つけないでくれ……。
気が付いたら朝だった。
二人で肩を寄せ合って眠っていたのだ。
ここ何日かは杏子のことを心配して良く眠れていなかった為だろうが、いつの間にか睡魔に襲われ眠っていたようだ。
壁にもたれるように眠っていた俺にタオルケットがかけてある。
そして隣で眠る杏子の手が俺のシャツを掴んでいることに気が付いた。
偶然なのだろうか?俺は杏子の寝顔を覗き込み、顔にかかる前髪をそっとかき上げる。
『愛しい』
自分の中に湧き上がる思いに戸惑う。
理性を呼び起こし、杏子を起こさないよう身体を動かして時計を探す。
朝の6時だ。
今日は研修があり早く出かけなければならなかったことを思い出す。
杏子も目を覚ました。
「ごめん。いつの間にか寝てしまったようだ」
「起こそうと思ったんですけど、先生、疲れてたみたいで……」
「お陰で良く眠ったよ」
嘘ではなかった。姿勢はともあれ熟睡していたのは確かだ。
「朝ごはんを」
「いや、いい。今日は早いんだ。もう行かないと」
「そうなんですか」
杏子は少し残念そうに言う。
「また様子を見に来るから。仕事も心あたりに聞いてみるよ」
「先生、ありがとう。心配してくれて嬉しかった」
もう杏子の顔を見れなかった。見たら俺の残りわずかな理性が飛びそうだ。
手をあげ杏子に背を向けて階段を降りた。
バイクのエンジンを掛けて、我慢できずに振り返る。
杏子が大きく手を振ってくれた。
「夜、来るから!」
俺の口からはそう言葉が飛び出していた。
微かに杏子が肯いた気がする。