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花咲く頃に  作者: 瓜葉
12/28

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その予感が現実となったのは1週間後のことだった。


『六本木○○ビル4階』


杏子の携帯から送られて来た短いメール。

その1通のメールが来ただけで、俺がどうしたと訊ねても返信がない。


ビル名が書かれているだけのメールに俺は焦る。

何かが起きているのだ。時計は午後9時を差していた。


バイクのキーを掴み、出かけ際に予備のヘルメットも持った。


モデルをしていた母親の影響でファッションに興味があると話していた杏子。

スタイルも良いし美少女と言われる顔立ちをしている。


本当にモデルにスカウトされたのかもしれないが、その時はその時だ。


俺が撮影現場を見たいと言ったから呼んでくれただけなのか?


いや、違う。あのメールは違うと俺は思った。


バイクのスピードを上げる。

都内へ向かう道は空いていたが、距離があるから直ぐには着けない。

気持ちだけ焦る。


漠然と示されたビル名を手がかりに場所を探すのも大変だった。

何件もの交番を尋ね、ようやくそれらしき場所を見つけた。


親身になってくれた警察官が一緒に現場へ来てくれた。


「最近、この辺りで悪質なスカウトが横行しているんですよ」


道々そう言われて不安が募る。

問題のビルは小さな雑居ビルだ。ちゃんとした撮影スタジオなどありそうには見えない。

エレベータで4階に上がり、ドアの前に立つと中から物音と悲鳴が微かに聞こえてきた。

チャイムを鳴らす。警察官の顔も俄かに緊張し、無線連絡を始めた。


「里中!居るんだろう?里中!」


俺は夢中でドアを叩き、杏子の名前を呼ぶ。


「警察です。悲鳴が聞こえたようですが大丈夫ですか?」


俺を下がらせ警察官がドアの前に立つ。

しばらくしてドアが細く開く。


「大丈夫ですか?何かありましたか?」


警察官が穏やかに言うとドアを開けた男は何もないと嘯き、ドアを閉めようとするが足で阻まれる。

その後から杏子が飛び出してきた。

スリップドレスというのだろうか、下着に見えるほど薄い生地で丈の短いドレスを着ている。


「里中」


声を掛けた俺の顔を見てしがみついてきた。

ガタガタと震えながら、声を殺して泣いている。俺は大丈夫だと言いながら抱きしめる事しか出来なかった。


「どうされましたか?」


警察官から質問をされるが、杏子は

「何でもありません。大丈夫です」

と繰り返すばかりだ。

何もないと言われてしまえば警察は手出しできないのだろう。

それでも簡単に名前などを聞かれる。男たちとも何か話している。


男たちも何もないと言い張っているようだ。

そのうち杏子の荷物を手に警察官がやってくる。


「これはあなたの荷物ですか?撮影のトラブルだったようですが、本当に大丈夫ですか?無理やり何かされたんでは無いですか?」


再度、尋ねられるが杏子は違いますと首を振る。


「心配な事がありましたら、いつでも相談に来てください」


そう言って警察官は名刺を渡して去っていった。俺は何度も頭を下げた。


そのビルにいるのは怖かったから近くの公園に移動した。

ビルの谷間の公園は人通りも多い。杏子の姿が刺激的過ぎることにようやく気が付いた。

慌てて荷物の中に入っていたジーンズを履かせる。

足が隠れただけでも少しは違う。

上に着るものはバックの中には見当たらないから俺のシャツを羽織らせる。

センスの欠片もないが仕方が無い。

俺はTシャツ1枚だ。


ベンチに座り、そのまま杏子が落ち着くのを待つ。

震えは止まっても唇を噛みしめたまま俯いている。


俺は何も聞けなかった。もっと強く止めてやっていたらと後悔ばかりが浮かぶ。




しばらくすると酔っ払いに絡まれそうになり、俺は咄嗟に杏子の手を引いてバイクを止めた所まで連れて行く。

杏子にヘルメットをかぶせて後に座らせた。


「乗ったことあるか?」


俺の問いに杏子は弱々しく首を振る。


「しっかり掴まっていろ」


それだけ言って俺はバイクを走らせた。

背中に杏子の体温を感じる。


蒸し暑い空気がスピードを増すにつれ心地よくなる。

肌の横を過ぎる空気が生きていることを実感させるのだ。


杏子のアパートが見えてきた時に掴まっていた手に力が入れられた気がした。

それだけの事が俺は嬉しかった。

言葉より雄弁に杏子の気持ちを伝えてくれた気がする。


バイクを止めると、杏子はヘルメットを脱いで

「ありがとうございました」

と、深々と頭を下げた。


「気にするな」

と、杏子の頭をポンポンと叩き、杏子の荷物を持った。

そして部屋まで送って俺はそのまま帰るつもりだった――杏子の携帯が鳴り出すまでは。

呼び出し音が鳴ると弾かれたように携帯を開く杏子。


杏子は小さな声で何度も謝っているが、離れている俺のところまで罵声が聞こえてきた。

『顔をつぶした』『恩知らず』『何様だ』『いい気になるな』『ただじゃおかない!!!』・・・


あまりの酷さに俺は杏子から携帯を取り上げて通話を切った。

俺は深い溜息と吐く。


「コーヒーでも飲ませてくれるか?」


そう言う俺に杏子は黙ったまま頷いた。



先日来た時と同様に綺麗に片付いた部屋。

小さな流し台の前に立ち、お湯を沸かしてコーヒーを入れてくれる杏子の姿を見つめる。

何を思っているのだろう。

幸せそうに微笑んでいた杏子の姿を思い出す。


小さなテーブルに湯気の立つコーヒーが置かれた。

二人ともまだ何も話してはいない。


「騙されてたのかな」


ポツリと呟く杏子の声。俺は何も言えない。


「モデルをして欲しいと頼まれる前からおかしいと思うこと、有ったんです。でも信じたかった。楽しかったから……。私を本当に好きになってくれたんだと思いたかった。でも、違ったみたい。

あのカメラマンの人からギャラは彼に前払いしたって。ヌードもオッケーだからって。私、そんなこと聞いていないのに…」


はぁと大きな溜息を吐き

「男運ないんですね、私」

と、杏子は自嘲する。


「そんなことはない。たまたま続いただけだ。里中の人生はこれからなんだから」


俺の言葉に力なく微笑む。


「それより仕事は大丈夫か?やりにくくないか?」

「……たぶん大丈夫」


オーナーの息子だという男が仕事にどれだけ影響力を持っているかは判らないのから不安だ。

杏子は頼れる親もいないから、仕事を失うことは生活の基盤が崩れることになる。


「もし何かあったら相談しろよ」

「はい」


卒業前と変わらないやりとりに生活指導のようだと思う。

寂しさを埋めるため男と付き合うな、誰でも良いからなんて思うな――そんな言葉は口に出来なかった。


杏子は一人で頑張ろうとしていると思う。怨んで憎んで自分を哀れむことをせず健気に生きているように俺には見える。

どうして、そんな子を騙せるのだろう?苦しませるのだろう?

幸せにしてやりたいと思わないのか?俺は……。


「先生、もう大丈夫だから。明日も学校なんでしょ?」


杏子の声に我に帰る。


「部活で朝早いのにごめんなさい」

「ばーか、そんなこと気にするな。無事でよかったよ」


俺の言葉にコクリと肯く。


「来てくれて嬉しかった」


見つめられ俺は慌てて視線を外す。細い身体を抱きしめてしまいたくなる。

でも、それは杏子を傷つける気がした。俺は教師だ。


杏子を愛しいと思う気持ちを抑えられない。

このままここに居られない。


教師と生徒なのだ。

それは変えられない。


俺はどうしたらいいのだ。

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