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第7話:全の章「祭の夜の秘密」


 『豊穣祭』の日は、朝から慌ただしかった。

 単家では朝食が済むと、ケイコおばさんとミサ姉ちゃんは祭のための料理作りを始めた。ユウマは水を井戸まで汲みに行ったり、薪を倉庫まで取りに行ったりして、村の中を何度も行き来した。中央の広場では、ハルじいさんが村の男たちと一緒に(やぐら)の点検をしていた。彼はユウマと目が合うとにこりと微笑み、手を振った。

 祭の料理は、単家ごとに何を準備するか決められる。ユウマの単家では豆を煮た料理を準備することになっていた。ユウマが水やら薪やらを持って家に戻るたびに、さやから外され下ごしらえを待つ豆の山が高くなっていった。お隣の単家は鶏料理の担当らしく、学校でユウマと同じ組の少年が何度も鶏小屋と家とを行ったり来たりしていた。


 昼を過ぎたころ、ユウマは集会場へ行った。本番の前に、実際に衣装を着けて最終の練習を行うことになっているのだ。集会場にはぞくぞくと村の子どもたちが集まって来ていた。ユウマはその中にチィ姉ちゃんとセイジ兄ちゃんの姿を見つけ、駆け寄った。

 二人は既に白い衣装に着替えていた。それはすっぽりと頭から被り膝下ぐらいの丈になる長い衣装で、腰のところで紐を結ぶ。男女ともほとんど同じ形だが、女性の方が少し裾が拡がっている。それは華奢な手足を持つチィ姉ちゃんにも、背の高いセイジ兄ちゃんにも、よく似合っていた。

「ユウマも早く着替えなよ」

 チィ姉ちゃんから手渡された衣装を、ユウマは手に取った。程なくして練習が始まろうとしているところだった。

「ねぇユウマ、さっきセイジ兄ちゃんと話していたんだけどね」

 彼女が少し落とした声で言った。その声にはわずかだがうきうきとした響きが含まれていた。

「今日の『(みつ)の祭』、こっそり覗かない?」

 耳打ちするように言ったチィ姉ちゃんの顔を、ユウマは驚いて見上げた。

「えっ、でも……『満の祭』は大人しか出られないって……子どもは家にいなきゃいけないっていう掟でしょう?」

 ユウマが戸惑いながら言うと、チィ姉ちゃんは片目を軽く瞑った。

「そんなの、こっそり見れば大丈夫。うまく隠れられる場所を見つけたの。ユウマだって『満の祭』がどんな祭なのか、気になるでしょう? ばれなければ大丈夫よ」

 ユウマは返事を躊躇った。もし掟を破ったことがばれてしまったら、どんな罰が与えられるのだろう。何しろ天主さまは、いつ、どんなときでも僕たちのことを見ているのだ。

「どうしても嫌なら、無理しなくていいんだぞ。チィのわがままみたいなもんだし」

 セイジ兄ちゃんが苦笑しながらそう言った。

 チィ姉ちゃんは「ひどーい」と言いながら、セイジ兄ちゃんの腕を掴んだ。彼女の表情は妙に甘く、大人っぽかった。ユウマの心の中で、ざわりと何かがさざめいた。また、あの感覚だ。

「……僕も行く」

 気づけばそう言っていた。

「やった! じゃあ『宵の祭』が終わったら、学校の日時計のところに集合ね」

 チィ姉ちゃんがとびきり嬉しそうな声で言った。ユウマの心には相変わらずばれたらどうしようという不安が横たわっていたが、チィ姉ちゃんが笑うので、ユウマはそれでいいんだと自分に言い聞かせた。



 夕日が山の稜線に消えるのと同時に、『宵の祭』は始まった。

 広場を取り囲むように立てられた松明には火が灯され、宵闇に融けゆく会場を照らし出した。茜色から濃い群青に塗り変えられていく空には、ぽっかりと丸い月が浮かんでいた。広場の四ヶ所に設置された大きな食卓には、所狭しといろいろなごちそうや酒が並べられている。食欲をそそる匂いに混ざって、会場の至るところで焚かれるあの香が香っていた。

 音楽隊の演奏に合わせて、白い衣装にマツムシソウの花冠を被った踊り手たちが入場してきた。櫓の上から和太鼓が打ち鳴らされ、会場全体の拍をとった。合いの手を入れる者、手拍子を打つ者、皆が一つになり、湿気をはらんだ初秋の大気を揺らし温めていった。

 ユウマは皆の演奏に遅れないように笛を吹きながら、櫓の周りをくるくると回る踊り手たちの中にチィ姉ちゃんの姿を探した。もともと三十人以上いる踊り手たちに飛び込みの大人たちも混ざり、櫓の周りは大勢の人で溢れていたが、彼女はすぐに見つかった。

 チィ姉ちゃんは、誰よりもきれいだった。

 華奢な手足が純白の衣装からすらりと伸び、身動きのたびにその裾がふわりふわりと舞い上がる。彼女の長い髪は松明の灯りに照らし出され、さらさらと大気に踊った。

 ひときわしなやかに舞うその少女が自分のことを可愛がってくれる人だと思うと、ユウマは誇らしくなり、またおへそのあたりがもぞりとした。


 全体での踊りの時間が終わると、歓談の時間になった。皆ごちそうを食べ、酒を飲み、笑い合った。灯りに照らされる人々の顔はどれも朗らかで、普段の禁欲的な生活から解放された喜びに満ち満ちていた。酒の勢いで自主的に踊り出す人もいたほどだ。

 ユウマはチィ姉ちゃんと一緒に、器にたっぷり盛ったごちそうをつついていた。既に料理は冷めかけていたが、それでもからっぽのお腹にはしみた。

「皆楽しそうね」

 ふふ、とチィ姉ちゃんが微笑んだ。

 ユウマが広場を見渡すと、普段かりかりした表情しか見たことのないミサ姉ちゃんが、村の若い男の人と一緒に笑い合っているのを見つけた。僕には意地悪な顔しかしないくせに、そんな顔もするのか。ユウマの中には、どうにもすっきりしないざわざわしたものがわだかまった。

 ふとチィ姉ちゃんを見上げると、彼女は会場の少し離れた場所に視線を向けていた。その先に誰がいるのか――ユウマにはわかっていた。セイジ兄ちゃんだ。

 彼は『教師』の隣に立ち、黒っぽい不思議な服を着た男の人と話をしているようだった。皆が白い衣装を着ている中で、その人の存在はとてつもなく浮いていた。

「毎年来てるのよね、あの人」

 チィ姉ちゃんがぽつりと言った。



「ねぇ、あの人は誰なの?」

 既に満月は天高く上っていた。『宵の祭』は終わり、子どもたちは家路についた。

 ユウマもその波にまぎれて家に帰るふりをして、約束していた学校の日時計のところまでやってきた。途中誰かに見つかるのではないかとどきどきしたが、考えてみたら大人は全員村の広場にいるのだ。

 待ち合わせ場所には、既にチィ姉ちゃんとセイジ兄ちゃんがいた。チィ姉ちゃんの案内で学校の裏手の森に分け入り、草の生い茂る地面を踏みしめながら進んでいく途中、チィ姉ちゃんがセイジ兄ちゃんに尋ねた。

「あの人って?」

「さっきセイジ兄ちゃんと一緒にいた、黒い変な服着た人よ」

「あぁ」

 セイジ兄ちゃんは心得たように頷いた。

 辺りの闇は濃く、遠くで祭の喧騒が聞こえる以外はひっそりとしていた。辛うじて月の灯りだけが彼らの行く道を照らし出している。今日が満月で良かったとユウマは思ったが、よく考えると当たり前だった。

「『協会』の関係の人らしいよ。俺もよく知らないけど」

「ふぅん……『協会』ってどこにあるんだろうね?」

 チィ姉ちゃんが呟いた言葉に、ユウマは驚いた。単家の分け方や人々の役割の分担は、全て『協会』が取り仕切っていた。ユウマは『天主さま』と『協会』をほとんど同じものと思っていたため、チィ姉ちゃんの疑問は彼にとって想定外だったのである。

「大人になったらわかるのかも」

「……そっか」

 セイジ兄ちゃんの返答に、チィ姉ちゃんはぽつりと言った。来年になればセイジ兄ちゃんも『大人』の仲間入りだ。彼女の声には、そんな寂しさが混ざっていた。


「ほら、着いたよ」

 学校の裏から続く緩やかな森の丘を上り切り、少し開けた場所に出た。そこはすぐ切り立った崖のようになっていた。そしてその真下には村の広場が見えた。

「気づかれないように、頭下げて」

 チィ姉ちゃんの指示で、三人は伏せた。広場の様子が見えるように、顔だけを少し持ち上げる。ざわざわとした喧騒が、耳を掠めていった。

「……何、してるんだろう」

 そこで彼らが目にした光景は、信じられないものだった。



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