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第25話:全の章「全てを焼き尽くす炎」



 ユウマはやぐらから下り、人々に紛れながら中央広場の様子を観察していた。

 会場には大人だけでなく子どもも残っており、食卓の片付けや地面の掃除をしながらも皆まだまだ『宵の祭』の余韻に浸っていた。

 月はもう随分高くなっているが、『みつの祭』が始まるまでは少し間があった。視界に黒いものが映ったので目をやると、『協会』関係者の男――つまりセイジ兄ちゃんの養父にあたる男が、『教師』一人ひとりに声を掛けて回っているところだった。

 ユウマはこれまでに何度も繰り返し想像した情景を、もう一度再生した。

 会場じゅうを充満する甘い香の匂い。朦朧と、恍惚とした人の群れ。投げ込まれる松明。燃え上がる櫓。一瞬遅れて起こる大爆発――。

 その後のことは、何も考えていなかった。『協会』から処分されるくらいなら、自分が仕掛けた爆弾の爆発に巻き込まれて死のう。そう思っていた。

 仲間に引き込んだ二人には、祭が終わった後は好きにしろと言ってあった。元よりこの村にちょっとした不満があっただけで、何かのはずみで事件でも起きたら面白い、くらいにしか考えていない者たちだった。恐らくユウマに協力した事実は伏せ、今後も何食わぬ顔をしてこの村で生活を続けるのだろう。それで良いと思った。

 心配なのはチサトのことだったが、恐らくセイジ兄ちゃんがどうにかしてくれるだろうと思っていた。最後の最後で彼を頼りにしている自分の甘さは、見ないことにした。


 会場からは徐々に子どもたちの姿が消え、大人たちが集まりつつあった。『協会』の男が『教師』に付き添われてその場から去っていくのが見えた。中央広場の空間が広く取られ、人々は櫓を中心に集っていく。甘い香りに混ざって、儀式に臨む人々の汗の匂いが会場を包んでいた。

 ――もうすぐだ。

 高まる鼓動。ユウマの緊張は頂点に達していた。

 ――もうすぐだ。もうすぐ全てが終わる。



 しかし、その時だった。

 一人の女が叫び声を上げながら、中央広場へ乱入してきたのだ。

 女は広場の入り口付近に設置されていた松明を手に取り、それを振り回しながら中心へ向かって突き進んできた。人々は炎を避けるようにして道を開け、やがて女は櫓の前に辿り着いた。

「みなさん、ごきげんよう!」

 その女は群衆に向き直ると、聞き覚えのあるよく通る声で朗々と言い放った。

「また、性懲りもなくあの忌々しい儀式を始めようというのね」

 ユウマは目を見張った。女が高く松明を掲げた左腕に、見覚えのある木の腕環が嵌っていたのだ。

 村人の一人が強張った声を出した。

「あ、あんた誰だ……?」

 女は、形の良い唇の端を上げた。

「私はチユキ。この中に、私のことを覚えている人はいるかしら」

「チユキ……? まさか、あんた……!」

 櫓の近くにいた『教師』の一人が声を上げた。彼女は楽しそうに笑った。

「あぁ、あなたの顔は覚えているわ。あの時はよくも殴ってくれたわね」

 彼女は松明の炎を『教師』の方へ突き出した。『教師』はびくりと身を震わせて飛び退いた。

 中央広場は水を打ったような静寂に包まれた。松明の炎が風に揺れる音だけが、空気の流れを教えていた。その場にいる誰もが風変わりな服を着た彼女に注目し、次の言葉を待っていた。ユウマはあまりの突飛な出来事に、身動きが取れずにいた。

「私は十三年前、この村で死んだ。『懲罰房』に閉じ込められたまま、ね。だから復讐のために、化けて戻ってきたのよ」

 女が高らかに笑う声が、空へ吸い込まれるように上っていった。

 しばらくは皆魔術にかかったように動けずにいたが、どうにか呪縛を解いた村人の一人が突然、彼女に向かって石を投げた。

 彼女はその石を避けようともせず、まともに左のこめかみで受けた。こめかみは切れ、流れ出した血が彼女の頬と着ている白い服を汚した。

「化けて戻ってきただなんて、嘘だろ! あんた一体何者だ!」

 石を投げた男が叫んだ。それを皮切りにして、それまで沈黙を守っていた村人たちがそうだそうだと口々に言い募った。

 彼女は流れる血もそのままに、にたりと底冷えするような笑みを作った。炎に照らされたその表情はどこか狂気をたたえていて、息を飲むほど美しかった。

 彼女は松明を櫓に向けた。

「騒がないで! この櫓に爆弾を仕掛けた。今年の『満の祭』は中止よ。少しでもおかしな動きをしたら、櫓に火を放つわ」

 ざわり、と空気が動いた。

「そんなハッタリ――」

 彼女は一層笑みを深くした。

「ハッタリだと思う? 何なら試してみてもいいのよ? きっと後悔する暇もないでしょうけど」

 遠くでカラスの鳴く声がした。それは彼女を助長しているようにも、何もできない村人たちを嘲笑っているようにも聞こえた。

 ――一体、何が起こっているのだ?

「『協会』の代表者と話がしたい。それ以外の人は、家に帰って。さもなくば、問答無用で櫓に火を放つ」

 その言葉を合図に、半数ほどの村人が中央広場から逃げ出した。

「さぁ早く! 脅しじゃないのよ」

 彼女は再び松明を振り回した。先ほど動かなかった村人は、『教師』たちに促されて中央広場の外へ出され、それぞれの家に戻っていった。

 人の波が会場から引いていく流れの中でも、ユウマは川の中央に鎮座する岩のように動かなかった。正確に言えば、動けなかったのだ。一年間練り上げた計画が、花開く直前のつぼみを摘まれるかのように、『彼女』にもぎ取られてしまった。そのあまりに想定外の衝撃が、今も彼の足を地面に縫い付けていた。

 ――どうして僕の足は、いつも肝心な時に動かないんだ。

 その時、ぽんと肩を叩かれた。

 顔を向けると、セイジ兄ちゃんが渋い表情で立っていた。


 今や中央広場には、『彼女』と、二人の『教師』と、櫓から少し離れた場所にいるユウマとセイジ兄ちゃんを残すのみになっていた。

「さぁ早く、『協会』の代表者を連れてきなさいよ。そんなに吹き飛びたいの?」

 彼女は再び松明を櫓に向けた。『教師』たちは慌てさざめいた。

「ま、待て、話せばわかる――」

「話せばわかる、ですって? 私の言うことなんて、何も聞いてくれなかったくせに。自分たちと違うものを、決して認めようとしなかったくせに!」

 しん、と夜の闇が響いた。怒りに震える彼女の心を映すかのように、松明の炎は勢いを落とすことなく燃え続けていた。

「違いを認めず、変化を受け入れなければ、そこには滅びの道しかない。全てがこの『村』の中で完結していると言いながら、その実内側からゆっくり腐っていってるだけじゃない」

 彼女の鋭い眼光に貫かれ立ちすくんでいた『教師』の一人が、ようやく口を開いた。

「――だから壊すのか?」

 その問いを受けて彼女は、次の瞬間には慈母のような微笑みを浮かべていた。

「そう、だから壊すのよ。そのために私は、戻ってきたの」

 誰も、動けなかった。

「……違う」

 ただ一人、ユウマを除いては。

「違う違う違う違う違う! 一体何を言ってるんだよ、チィ姉ちゃんは! これは僕の計画だ!」

 『教師』たちは今初めてユウマに気づいたように、ぎょっとして彼を見た。

 ユウマは大股で彼女の方へと距離を詰めた。

「それを何だよ、急にしゃしゃり出てきてさ! チィ姉ちゃんのお陰で全部台無しだよ、一体どうして――」


 ばちんという大きな破裂音と、脳天に突き刺さるような衝撃が最初だった。

 続いて聞こえたどさりという音が、自分の身体が崩れた音だと気づくのに一瞬を要した。

 更に数瞬遅れて、左頬に痺れるような痛みが来た。

 ちかちかする視界が捉えたのは、つい先ほど自分の頬を打ったらしい右手の握り拳を震わせて立ち、自分を見下ろす彼女の姿だった。

「バッカじゃないの!」

 チィ姉ちゃんは大きな目をしっかり開いて、ユウマを射抜いた。煌々と燃える松明の火が、彼女の瞳の中で揺れていた。

「バッカじゃないの、ユウマ!」

 辺りを再び、静寂が支配した。ただ彼女の呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえた。

「あんたね、大事な人を不幸にしてまで、一体何をしようとしてたのよ!」

「違う、僕は――」

「何が違うって言うのよ! あんたがやろうとしてたことはね、あんたの一番大事な知里ちゃんが、一番哀しむことなのよ!」

 チィ姉ちゃんの右目から、一筋の涙が伝った。ユウマはそれを、呆気に取られて見ていた。

 誰も動かなかった。『教師』たちですらも、その場に立ち尽くしていた。飽和状態の丸い月は今、天の一番高い所に座を据えて、彼らの姿を余すところなく照らし出した。


 沈黙を破ったのは、意外な人物だった。

「お兄ちゃん!」

 全力で駆けてきたらしいその少女は、倒れ込むユウマを庇うように彼女との間に立ち塞がった。

「やめて! お兄ちゃんを苛めないで!」

「チサト……?」

「お願い、お兄ちゃんは、何も悪くないの……」

 チサトの声がどんどんと涙声になっていった。

 少女の細い肩越しに見えるチィ姉ちゃんは、最初驚いたような表情をしていたが、しばらくしてふっと息を吐き、口元を押さえくつくつと笑いだした。――いや、泣いているのかもしれない。

 それまでぴんと張り詰めていた糸が、にわかに緩んだような気がした。


 空気が緩んだのは、しかしほんの一瞬だった。

 チィ姉ちゃんが見せたわずかな隙を見計らって、『教師』のうちの若いほうが彼女に飛びかかったのだ。彼女は咄嗟に反応できず、松明を持つ左手を掴まれた。若い『教師』とチィ姉ちゃんは揉み合いになり、彼女のほうが先に体勢を崩し倒れかけた。

 そこへ突然、セイジ兄ちゃんが駆け込んできた。ユウマの挑発にも動じなかった彼の表情は今や、必死の形相だった。セイジ兄ちゃんは彼女に圧し掛かる男を引き剥がそうとするも、別の中年の『教師』によって後ろから羽交い締めにされ、それを阻まれてしまう。

 どうにか立ち上がったユウマは、揉み合う人々からチサトを庇うように後じさった。しかしその場から立ち去ることもできず、少しの距離を取ってただ呆然と彼らの様子を見ていた。

 ようやく中年の『教師』を振り解いたセイジ兄ちゃんは、チィ姉ちゃんを組み敷く男を引き剥がし、殴り飛ばした。そして彼女を助け起こし、そのまま抱き締めた。

 しかし、その時だった。

 若い『教師』の手に移っていた松明が、空中に投げ出されたのは。

 炎は円を描きながら暗闇に緩やかな放物線を浮かび上がらせ、櫓のすぐ足元に着地した。

 あ、――と思った時には既に遅かった。

 火は、木で出来た櫓の脚に、呆気なく燃え移っていた。

「――早く、逃げろ――!」

 その言葉が、自分に似た声で発せられるのを、ユウマは聞いた。

 ユウマは無我夢中でチサトの手を取り、地面を蹴った。

 それを皮切りに、他の人々もそれぞれ弾かれたように走り出した。

 炎は瞬く間に櫓を駆け上がっていった。

 『豊穣祭』の――『満の祭』の象徴だった櫓は、今宵も燃え盛る炎に包まれ、満ちた月を抱く天を焼き、そして――。


 空間が、暴発した。


 鼓膜を突き抜ける轟音。

 背中から叩きつける突風。

 全身を包み込むような熱波。


 身体ごと吹き飛ばされる瞬間に、チサトの身体を掻き抱いた。

 彼女を抱え込んだまま、ユウマは地面に捩じ伏せられた。

 熱は彼の背中を一撫でした後、さっと引いていった。

 数十秒待って恐る恐る顔を上げ振り返ると、遠くで櫓が火柱となって燃え上がっていた。

 すぐ近くではセイジ兄ちゃんとチィ姉ちゃんが互いに抱き合うような恰好で座り込み、天に届く炎を見つめていた。

 『教師』たちも、それぞれ無事のようだった。

 ユウマが正面に顔を戻すと、目の前に二人の人物が立っていた。『追放者』と、もう一人――。

「……サエキさん」

 中年の『教師』が、その名を呟いた。

 サエキと呼ばれた人物は、セイジ兄ちゃんを見据えて固い声で言った。

「これはどういうことだ、聖司」

「お父、さん……」

 セイジ兄ちゃんは、擦れた声でそう紡いだ。



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