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第24話:一の章「過去、腕環、決意」



 佐伯に腕の拘束を解いてもらった後、一ノ瀬はふらつく足で『懲罰房』の外に出る。久々に吸う外気は冷たく肺を満たし、くぐもった思考に芯を入れる。どうやら一ノ瀬は日が昇ってから落ちるまでの間、まるまる蔵の中で意識を失っていたらしい。

 この『村』で過ごした記憶は、『懲罰房』の暗闇の中で途切れていた。その次の記憶が自治区の孤児院だった。つまり私は――あの『懲罰房』から助け出され、『村』の外に出されたのだ。

「ねぇ、あなたとユウマが、あの時私を助けてくれたのね?」

「あぁ、そうだ」

 記憶の中の、セイジ兄ちゃんとユウマ。

 ――ユウマ。

「ねぇ、私たぶん、ユウマに会った」

「……あぁ」

 佐伯が硬い表情で頷くのを、一ノ瀬はそっと見上げる。

「知里ちゃんの『お兄ちゃん』は、ユウマなのね?」

「そうだ」

 ユウマは『協会』に対してテロを起こそうとしている。『村』の体制に怒りを抱いている。その歪みの原因を作ってしまったのは恐らく――。

「……私のせい、だね」

 佐伯は驚いて一ノ瀬の顔を見、彼女の両肩を掴む。

「違う、君のせいじゃない。俺が中途半端だったのがいけないんだ。覚悟が全然、足りていなかった」

 一ノ瀬は佐伯を見つめる。月明かりに照らされた彼の瞳は、深い後悔の色に染まっている。

「ねぇ、一体何があったの?」

 ユウマ。あれは確かにユウマだった。

 一ノ瀬の記憶にあるユウマは、素直で気の弱い、やさしい少年だった。

 しかし先ほど見た若者はひどく冷徹な表情をして、言い知れぬ怖ろしさを感じた。

 一体何が、ユウマをあんなふうに変えてしまったのだろう。

 佐伯が眉根をわずかに寄せながら、落ち着いた声で言う。

「君を『外』に逃がした後、俺はユウマに『村を変える』と約束した。『教師』になって、その後『協会』の一員にもなった。だけど俺は、なかなか『約束』を果たせずにいた。そうこうしているうちに、ユウマが可愛がっていたあの子――チサトが、『みつの祭』に巻き込まれた。去年のことだ」

 巻き込まれた、とはつまり――。

 一ノ瀬は言葉を失って、佐伯の目を凝視する。佐伯は続ける。

「にも関わらず、掟を破ったとして彼女は『懲罰房』に入れられた。ユウマはそれに怒り、村の運営に一太刀浴びせようと今日のテロを企てた」

 佐伯の説明は簡潔だったが、ようやく一ノ瀬の中で話が繋がった。自分が失っていた記憶の続きが、こんなことになっていたなんて。

「ユウマとは、話はできたの?」

「いや……拘束しようとしたら逆に殴り倒されて、ついさっきまで縛られてた。仲間がいたみたいでな。祭が始まってから監視が甘くなったんで、自力で縄を解いて監視を倒して逃げてきた。『懲罰房』の鍵は監視役の一人が持ってたんだ」

「へぇ……」

「かっこ悪いとこばっかだな、俺」

「そんなことないよと言いたいところだけど、まったくもってそのとおり」

 佐伯は軽く吹き出す。

「厳しいな」

「前々から思ってたけど、佐伯はちょっと甘いとこあるよね」

 佐伯、と敢えてそう呼ぶ。几帳面なくせにどこか詰めが甘く、優柔不断な同僚。

「……そうだな。俺は『村』を変えようと思っていたけど、それは生半可なことじゃなかった。『外』へ出て実感した。何もかも甘かったんだ。だから、俺のせいだよ」

 佐伯の声からは、やりきれない想いがにじみ出ている。恐らくそれは、言葉にできる以上の重みがある。

「ユウマは何をするつもりなの?」

「櫓に爆弾を仕掛けて、『満の祭』を壊す気だ。変えられなくとも、壊すことはできるとでも思ったんだろう」

「そう……」

 一ノ瀬はこめかみを押さえ、眉根を寄せる。

 今起こりつつあることは全て、自分がかつて蒔いた種のせいだ。その気持ちは、ゴム風船のようにどんどん膨れ上がってきている。頭全体が脈打ちながら締め付けられるように痛む。ひどい眩暈がして、世界がぐるぐると回る。

 佐伯は心配そうに一ノ瀬の顔を覗き込み、そっと彼女の肩に手を置く。

「大丈夫か? 脱水症状かもしれないな……一度、おじさんの小屋に戻ろう」

 一刻も早くユウマと話を――と言おうにも、情けないことに神経と体力を摩耗し過ぎていた。



「……そうか、記憶が戻ったのか」

 『追放者』の小屋で木の椅子に腰かけ、一ノ瀬は束の間の息をついていた。先ほどもらったとんでもなく苦い煎じ薬のお陰で、頭痛は嘘のようにすっきり消えている。

 一ノ瀬の記憶にあるよりも頭髪に白いものが増えた『追放者』は、彼女を見つめながらしみじみとした口調でそう言った。

 彼女は少し目を伏せる。

「おじさんにも、いろいろ迷惑を掛けました。私のせいで、とんでもない迷惑を。ユウマを早く、止めないと」

 佐伯がそれに対して何か言いかけるが、結局口を閉ざし、視線を下に落とす。

 一ノ瀬の隣に座る知里が、彼女の袖を掴む。

「お兄ちゃんを……助けてください。お願いします」

 自分を見上げる知里の瞳を覗きながら、一ノ瀬は頷く。

 それはここへ来る前にも聞いた言葉だったが、今度は全く違ったものとして一ノ瀬の中に反響を作り出す。知里のためだけではなく一ノ瀬自身を取り巻く全てのもののために、どうにかしてユウマを止めなくてはならない。それは不安に似た色をして、彼女の中に渦を巻いていく。

 ユウマと知里。一ノ瀬は直接二人の関係を知っている訳ではないが、これまで見てきた知里の様子から、ユウマが彼女をとても大切に思っていることが想像できる。

 ユウマはやさしい子だ。知里が傷ついたことに対して怒り、そのやり切れない想いをどこかにぶつけたかったのだろう。

 そこでふと思い出す。

「……ねぇそう言えば、知里ちゃんが持ってた鍵って何だったの?」

 一ノ瀬は知里と、正面で渋い表情をしている佐伯の顔を交互に見ながら尋ねる。

 佐伯はあぁ、と思い出したようにポケットから例の鍵を取り出す。そして少し離れたところに立つ『追放者』を見やる。『追放者』は壁際の棚から一つの箱を取ってきて、一ノ瀬の目の前に置く。

 それは工具入れほどの大きさの、飾り気のない木製の箱だった。蓋の合わせに南京錠が取り付けられている。佐伯は南京錠の鍵穴に鍵を差し込み、解錠する。

「これは君のだろう」

 蓋の開いた箱に納められているものを見て、一ノ瀬ははっとする。心臓が射抜かれたように、一つ大きくどくんと脈を打つ。

 そこにあったのは、シンプルな形をした木の腕環だった。

「これ、私がいつもしてた腕環……」

 佐伯は静かに言う。

「君を『外』に逃がした日、君の荷物はそれを除いて全て燃やした。ユウマはそれをこの箱に入れて鍵を掛け、おじさんに預けた。『鍵』の方はユウマがずっと肌身離さず持っていたんだ」

 この『村』の葬式の慣例は、一ノ瀬も覚えている。『村』の中で自分は死んだことになっているということだ。彼らはこの『村』から一ノ瀬を葬り去る偽装をしながらも、恐らくこれだけはどうしても燃やせなかったのだろう。彼女がこの世に生きている証として。

 一ノ瀬は腕環を手に取り、両手で包む。

 私が存在している証。それを封印した『鍵』。彼ら二人にとっては、恐らく命に代えても守るべき秘密。

 『鍵』を知里に渡して外に逃がしたユウマは、一体どんな心境だったのだろう。どんな覚悟だったのだろう。みぞおちのあたりが、ぐっと締め付けられる。

 ――ユウマを止めるだけでは、駄目だ。それでは何もかもが無駄になってしまう。

 ひたむきに真実を求め、抑えきれない炎を心に宿していた幼き日の自分が、今の自分をじっと見つめている。

 一ノ瀬は顔を上げる。

「ねぇ佐伯。佐伯はこの村をどうするか、ちゃんと考えてるの? つまり『協会』の立場で、どうするべきなのか……」

 まっすぐ佐伯を見据えると、迷いのない視線が返ってくる。

「考えてるよ。俺はもう迷わない」

「……わかった、じゃあ私も迷わない」

 一ノ瀬は頷き、腕環を左手首に嵌める。そして立ち上がり、玄関へと向かう。

「おい、一体どうするつもりなんだ?」

 佐伯の問いかけに一ノ瀬は振り返り、にこりと微笑みを作る。

「決まってるじゃない。祭をぶっ潰すのよ」



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