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第22話:一の章「暗闇、真実、再生」



 彼女は暗闇の中にいた。

 あまりに完璧な暗闇なので、目を開けているのか閉じているのかすら判別できないほどだ。

 試しに目玉を動かしてみるが、眼球にわずかな筋肉の収縮を感じただけだった。恐る恐る前に手を伸ばしてみるが、虚しく空をきった。唯一感触のある足の裏は、ひやりとした土の地面を捉えていた。耳をつんざくような静寂に脳幹が痺れた。彼女自身の鼓動すら、息をひそめているようだった。

 彼女は知っていた。この闇から一歩外へ出たら、周りは敵だらけなのだと。

 自分をここへ閉じ込めた大人たちや村の風習を、彼女は憎んだ。『追放者』のおじさんの話を聞く限り、この村はひどく歪んでいる。『外』がどんなところなのか具体的な像は浮かんでこなかったが、とにかくこの村がおかしいということだけはわかった。

 あの『みつの祭』は、その最たるものだった。なぜ誰も疑問を持たないのか、そのことに怒りを覚えた。

 なぜ、大人たちは真実を隠すのか。

 なぜ、真実を知りたいと思うことすら許されないのか。

 なぜ、ただそれだけで異端とされてしまうのか。

 なぜ、なぜ、なぜ――。

 無数の『なぜ』が、闇から闇へと生まれては消えた。

 それらの問いかけは無情なほどに答えがなく、彼女の中にただ降り積もっていった。

 皆と同じでなければ、疑問など持たずに従わなければ、この村では生きる価値もない。

 彼女の存在価値は、理不尽に否定されつつあった。

 ――歪んでいるのは、皆のほうなのに。

 しかし、一日一回この蔵に水を運んでくる男が焚いていくあの甘い香の匂いを嗅いでいると、怒りだとか哀しみだとか疑念だとかの感情はどろどろと融け、雲の上に浮かんでいるような気分になった。

 それこそがこの村の歪みだと気づいたのは、『三日目』の夜だった。


 意識を手放してはいけない。意思を放棄してはならない。

 屈してはいけない。挫けてはいけない。強くいなくてはならない。

 自分を、自我を、持ち続けなければならない。

 ――何としてでも、ここから出る訳にはいかなくなった。


 この意志を貫くなら、最後まで一人でやり通さねばならない。

 自分の大切な人たちを巻き込むようなことは、決してあってはならない。

 ひどく孤独な戦いだった。


 あの子は泣いていないだろうか――とか、彼は怒ってないだろうか――と考えた。そのどちらも普段だったら彼女を少し憂鬱にさせるものだったが、暗闇の中で彼らの姿を思い浮かべると、この冷たい場所も決して寒くはなかった。

 そうだ。

 思えば、この場所は全てのことにおいて完結していた。どんな色も、形も、音も、匂いも、全て闇の中に融けて存在しているのだ。様々な概念がこの闇から生まれ、また還ってきた。全てのものが彼女を取り囲み、通過し、そして彼女に収束した。

 私は闇に護られている。そう思った。



 夢なのか、現なのか。

 こめかみの辺りがひどく軋む。その痛みは収縮し、うねり、波となって一ノ瀬を襲う。絶え間ない頭痛の波が闇に砂嵐を発生させ、今度は鮮やかな像を次々と浮かび上がらせる。

 ――私はこの暗闇を知っている。

 紛れもない確信は今、古い記憶と共にこんこんと湧き上がっている。

 この十三年間、脳の奥深い所にきっちりと隠されていた記憶は、少しも色褪せることなく再生した。

 ――私はこの暗闇を知っている。

 あぁ、そうか。ここに全てがあったんだ。

 

 この『村』は、紛れもなく私の生まれ故郷だ。

 かつて皆から『チィ』と呼ばれていた私は、自らの名前以外の全ての記憶を失った状態で『村』から出た。自分で封じ込めたものなのか、防衛本能によるものなのかはわからない。

 『外』――辿り着いた先で、私は『一ノ瀬 千幸チユキ』となった。

 以来、名もなき村の『チユキ』という少女は、『一ノ瀬 千幸』の中に堅く封印された。

 それはきっと、『私』自身を護っていた。

 ――同時にいつしか、私の大切な誰かから護られていた。



「一ノ瀬!」

 鉄の扉が軋んだ音を立てて開かれる。その隙間から洩れる色は、哀しく透き通った群青。

「無事か、しっかりしろ!」

 掛け寄って来た彼が、土の地面に横たわる彼女の身体を抱き起こす。

「すまない……こんな目に遭わせて」

 彼女ははっきりしない目で彼を見上げる。宵闇に紛れた彼の表情はよく見えない。彼女はわずかに唇を開けて言葉を紡ごうとするが、声がうまく出ない。

「……ごめん、怖かったよな」

 彼が大きな手で彼女の頬を包み、そのまま胸に掻き抱く。

 跳ねるような心音が聴こえる。力強い腕があたたかい。髪を撫でる手が、やさしい。

 私はその手を知っている。

 その手の持ち主を、知っている。

 彼は。

 彼の名は。

「……セイジ、兄ちゃん……」

 彼ははっとしたように身体を離し、彼女の顔をじっと見下ろす。

「……思い出したのか、チィ」



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