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第18話:一の章「村へ・後」



「この『村』は、日本政府のプロジェクトの一環で極秘に作られた集落です」

 簡素な木のテーブルを挟んで腰掛け、男性はそのように話を始める。

「三十五年前、日本政府は破綻しました。それ以来『国としての政府』はなくなり、今や地方自治体が国民の暮らしの礎となっています。しかし『国としての政府』は、実は秘密裏に地下組織として存在しているのです。政府は滅んだのではありません。既存の社会体制を棄ててまったく新しい社会体制を確立することで、未来永劫繁栄する国造りを目指し、決して表舞台には出ない裏の組織として存続しています。そして政府の目指す新しい国のサンプルケースとして三十年前に作られたのが、この『村』です」

 男性は一旦言葉を切る。そこまでの内容が一ノ瀬の頭に浸透するかしないかの間の後、彼は再び口を開く。

「全国各地に、同様の『村』があります――それぞれ少しずつ形態は違うのですが。私はこの『村』を作る最初の指導者――『教師』として、政府からここへ派遣されました。私は元々『外』で大学教授をしていました。最初の『教師』は、学校の先生だとか科学者といった人々の中から選出されたのです」

 男性の話を、一ノ瀬は信じられない気持ちで聞いていた。日本政府が地下組織として生き残っていたなんて、思いも寄らないことである。

 確かに地方自治に委ねられた今の暮らしは綻びが多く、犯罪は増える一方で、日本全体が緩やかに死に向かっていると言っても過言ではない。男性の話を信じるのであれば、今の地方自治社会は政府に見捨てられた社会ということになるのだろう。

「そもそも政府が財政破綻した一番の原因は、極端な少子化にありました。毎年子どもの数は減り、逆に非労働人口である老人の割合は膨れ上がりました。出生率が劇的に上がらないことには、この問題は到底解決できません。しかし出生率の上昇どころか、結婚せず独り身で居続ける者も多い。悪循環です」

 一瞬、部屋が静寂に包まれる。男性は続ける。

「だから日本政府は、婚姻制度の存在しない社会を、実験的に作りました。結婚、家庭という枠組みにとらわれず、生まれた子どもを社会全体で育てる『村』。生活に必要な生産性が、全てその社会の中で完結する『村』。しかしそれを実現するためには、既存の概念をすっかり棄て去る必要がありました。婚姻制度は古くから当然の社会通念として存在しているものですから。だから政府は、『村』を一般社会から隔離した場所に作りました。地図にも載せず、村人が『村』から出ることも、『外』の者が『村』へ入ることも基本的にはできないようにして」

「婚姻制度のない社会……」

 一ノ瀬は口元に手をあてる。ということはつまり、知里の『お兄ちゃん』は血縁のある兄弟ではないということだろうか。そんな社会はひどく不自然に思えるが、よくよく考えれば一ノ瀬自身も『家族』という感覚は実際よくわからないのだ。

「違和感があるでしょう。実際、婚姻制度なしに子を産み育てる社会を維持しようとするには、いろいろな制約が必要でした。それは人々の生活や人格形成に歪みを生みました。私は『村人』となって十年目の年に、『村』の在り方を見直そうと他の『教師』に提言しました。しかしその結果、危険思想と見なされてこの村外れの森に『追放』されてしまいました。既に『村』全体がすっかり歪んだ状態で定着してしまっていたんです」

 『追放者』の口元が自嘲気味に歪む。

「ともかく、この『村』はそういうところです。この体制が崩れないように、日本政府に管理されているのです」

 一ノ瀬がはす向かいに座る佐伯をちらりと見やった後、正面の男性に尋ねる。

「じゃあつまり、この『村』を管理する『キョウカイ』とは、政府のことなんですか?」

「お察しの通りです」

 軽くため息をついてから、一ノ瀬は佐伯に向き直る。

「佐伯は、政府の関係者なの?」

「……あぁ、そうだよ」

 佐伯は少し目を伏せる。それについて男性が口を開こうとするのを、佐伯が遮る。

「『村』の付近に異変がないかを見張るために、治安警備局にいたんだ」

 一ノ瀬は佐伯の目をじっと見据える。佐伯の表情はかたく強張っている。

「それを、どうして急に辞めたの?」

「彼女から『村』の危機を聞いて、どうしても俺は『村』に行く必要があった。もう『外』には戻らないつもりだった。本来であればちゃんとした手続きを踏んで退職すべきだったが、いかんせん時間がなかった。だからちょっと強行だったが、ああいう形で辞表を出した」

 一ノ瀬は、佐伯が姿を消す前日の夜のことを思い出す。だから少し、様子がおかしかったのか。

「知里ちゃんがこの『村』の出身だってわかってたのね。どうして知里ちゃんを置いていったの?」

「俺一人が当直の状況で彼女を連れて消えたら、完全に誘拐犯扱いだろう。それはさすがにまずい。とりあえず騒動がひと段落着くまで彼女を君に預けて、頃合いを見て迎えに行くつもりだった。彼女にはそう言い含めたつもりだったんだが」

「一言くらい、あっても良かったんじゃないの?」

「言ったら納得したか?」

 ……ふざけるな。

 一ノ瀬は一瞬眉をぴくりと動かし、佐伯を睨む。佐伯の表情は変わらない。彼女は小さく肩をすくめ、また一つ小さく息をつく。


「……それで一体、何が起こってるの?」

 佐伯に対して言いたいことはたくさんあるのだが、どれも今言うべきことではないような気がする。結局一ノ瀬は、目の前に落とされた問題について言及する。

 佐伯は少し躊躇うように視線を動かした後、再びゆっくりと話し始める。

「――実は、『村』の内部でテロが起ころうとしている。その首謀者が、彼女だけは巻き込むまいと『外』に逃がした。ごく簡潔に言えばそういうことだ」

「なるほど。じゃあその首謀者というのが、知里ちゃんのいう『お兄ちゃん』という訳ね?」

 一ノ瀬は自分の隣に座る知里に尋ねる。少女はこくりと頷く。

「それでそのお兄ちゃんは、具体的に何をしようとしているの?」

 佐伯と『追放者』が顔を見合わせる。二人は一瞬じっと視線を交わし、小さく頷き合う。まるで共犯者のようだ、と一ノ瀬はふと思う。そもそも、立場の違うこの二人が一緒にいる理由がよくわからない。

 しばしの沈黙の後、佐伯が静かに口を開く。

「明日の夜、『村』で祭があるんだ。『村』にとっては――この『村』のシステムが成立するためには、なくてはならない年に一度の重要な祭だ。彼はそれをぶち壊すことで、『協会』側に不満をぶつけようとしている」

 祭と聞いて、知里が口にした『ホウジョウサイ』のことを思い出す。佐伯は知っていたのだ、その祭のことを。

「そう……どうするつもりなの?」

「今日、彼と話をした。でも残念ながらまだ説得はできていない。俺はこれからもう一度、彼に話をしに行く。それでも無理なら、彼を拘束する他ない。閉鎖的なこの『村』でそういう措置を取ったら、恐らく二度と普通の暮らしはできなくなるだろう。だけどもし彼が事を起こしてしまったら『協会』――日本政府は、彼を然るべき方法で処分することになる。それだけは避けたいんだ」

 無表情な口調とは対照的に、佐伯の眉間には苦渋が刻まれている。それが『村』のシステムとしての難しさに拠るものなのか、佐伯個人の感情の問題なのか、一ノ瀬には判別できない。

「ねぇ、私は事情をよく知らないからわからないんだけど、知里ちゃんの『お兄ちゃん』が政府に不満を持っているのなら、佐伯よりおじさんの方がうまく説得できるんじゃないの?」

 一ノ瀬が『追放者』に目を向けると、彼はまた自嘲気味に笑う。

「いや、例えこの社会に対して彼と私が同じ不満を抱いていたとしても、重要なのはその表出方法です。彼にとっては、不満や疑問を抱きながらもここで『追放者』としてひっそり暮らすしかない私の在り方が、どうにも理解できないらしい」

 一ノ瀬はようやく気づく。先ほど佐伯が「二度と普通の暮らしができなくなる」と言ったのは、すなわちこの男性のように『追放者』となるということなのではないか。恐らくそうなれば、知里が『お兄ちゃん』と暮らすことはできなくなるだろう。

「……私もお兄ちゃんのところへ行く。お兄ちゃんと話をする」

 それまで口を閉ざしていた知里が、静かな、しかししっかりとした口調で言う。それに対し、佐伯がかたい口調で応える。

「駄目だ。彼が一旦逃がした君を、俺が連れていったりしたら却って逆効果だ」

「じゃあ私が一人で行きます。元はと言えば、私が掟を破ったせいでお兄ちゃんを巻き込んだようなものだもの」

 また――あの感覚だ。何かが一ノ瀬の頭の中を暴れ回っている。徐々に酷くなる頭痛がノイズとなり、それが像を結ぶのを阻害している。何かを――思い出せそうな気がするのに。

「駄目だ。どちらにしろ同じことだ。それに君に、あいつを説得できるのか? もう時間がないんだ。説得できなければ、拘束する他ない」

 知里は俯き、きゅっと唇を噛む。佐伯は一ノ瀬のほうを見ずに言う。

「一ノ瀬、事情は大体わかっただろう。こちらのことはこちらで解決する。だからもう帰ってくれ。この村のことは、くれぐれも他言しないでほしい」

 一ノ瀬はひどく混乱していた。ここまでの話だとは思っていなかったというのが、正直なところだ。

 一方で、一ノ瀬の中には説明しがたい違和感が渦巻いていた。何かを――私は重大な何かを、見落としている気がする。その違和感の正体に注目しようとしても、霧に紛れるように見えなくなってしまう。

 ここに留まって真実を突き止めたいと思う反面、佐伯に反論するほどの理由を彼女は何一つ持っていなかった。

 割り切れない気持ちと正体不明の胸騒ぎを抱えながら、おずおずと立ち上がる。

 その手を、知里が握る。彼女の瞳が縋るように、一ノ瀬に強い気持ちを訴えかけている。お願い、行かないで。お兄ちゃんを助けて。

 それに引き摺られるように、一ノ瀬は再びすとんと腰を下ろす。振動で頭痛もぴょんと跳び跳ねるが、知里の存在になぜか救われたような気持ちになる。

 一ノ瀬は小さく、独り言のように言う。

「……知里ちゃんが落ち着くまで、私ここにいるよ」



 物音がしなくなったのを見計らい、一ノ瀬は目蓋を開ける。そして木の床に敷かれた薄い布団からゆっくりと這い出し、辺りを伺う。

 佐伯は『お兄ちゃん』の説得のため随分前に出かけた。知里は一ノ瀬の布団のすぐ隣のベッドで静かな寝息を立てている。『追放者』の男性は椅子に腰かけているが、テーブルに頬杖をついてうたた寝をしているようだ。

 一ノ瀬は簡単に髪をまとめ、携帯端末をポケットにねじ込み、懐中電灯を手に持つ。そして音を立てないようにそっと扉を開け、外へ出る。


 煌々と夜空に輝く月明かりと懐中電灯に頼りながら、一ノ瀬は森の道を歩く。

 ずっとかすかに匂っている甘い香りは、森を進むにつれ濃くなっていく。こめかみの辺りがずきずきと痛む。その痛みはまるで警鐘のように、がんがんと頭の中に鳴り響く。遠いカラスの鳴き声が、痛みに呼応する。

 小路は雑草で覆われている。それなりに踏まれている道なのか、壁の外側に拡がる森とは違って歩きやすい。がさがさという自分の足音が、まったくの一人きりであることを必要以上に意識させる。

 やがて開けた場所に出る。広場のような場所だった。小学校の校庭くらいの広さがある。

 その広場の中央に背の高い何かが建っている。盆踊りの時のやぐらみたいだ、と一ノ瀬は思う。彼女は月明かりに照らし出されるそれを見上げる。頭痛はますますひどくなり、鼓動は速度を上げる。

 この『村』の中に足を踏み入れたころから、何だか胸騒ぎがしていた。

 知里に出会ってから、たびたび心に引っかかることがあった。佐伯やあの男性の様子にも、どこか言い知れぬ違和感があった。そしてその二つの違和感を辿っていった先は、根っこの部分で繋がっているような気がしてならないのだ。一ノ瀬の知らないところで、でも本当はどこかで関わっているかも知れないところで、何かが進行している。その正体を見極めたいと、一ノ瀬は思う。



「おい、あんた何者だ」

 ふいに声を掛けられる。

 気がつくと、一ノ瀬の周りを二人の若い男が取り囲んでいる。いずれもやはり生成りの服を着ているので、恐らくそれがこの『村』での普段着なのだろう。

「見かけない女だな」

 一ノ瀬は櫓を背にし、身構える。

「えぇっと、私は――」

 何と言えばいいだろう。『外』から来ました。これはまずい。治安警備局の者です。これも意味が通じるかわからない。知里ちゃんを保護した者です。それがベストに思えたが、この男たちがどういう立場の者かわからない以上、余計なことは言わない方が良いだろう。

「怪しいな。『協会』の手の者か?」

「え?」

 一ノ瀬が口ごもっている間に、男たちが間近に迫っている。

「あんた、この櫓を見てただろう」

「違います、私は――」

「とぼけるな! あんた全然見かけない顔だし、変な服着てるし、どう言い訳したって怪しいぜ。拘束して、彼に報告しよう」

 一人の男が乱暴に一ノ瀬の腕を掴む。

 一ノ瀬は反射的に男の腕を取り、脚を引っ掛ける。まさか抵抗されると思っていなかったのか、男はバランスを崩して仰向けに倒れる。彼女も男の上に乗る形で倒れ込むが、即座に身を起こして駆け出す。

 が、すぐにもう一人の男に行く手を阻まれ、抱きすくめられるように捕えられてしまう。その腕から必死に逃れようとするも、一ノ瀬はそのままうつ伏せに押し倒される。

「暴れるなよ。あんたみたいに細っこい女、どうにだってできるんだからな」

 彼は一ノ瀬の腕を後ろ手に捻り上げる。みしりと音を立てた肩に何とも言えない痛みが走り、一ノ瀬は小さく声を漏らす。一人目の男を倒した時に落とした懐中電灯が、地面にへばりつく彼女の姿を照らしている。

 しまった。もっと慎重に行動すべきだった。

 普段であればそれなりの武器も携帯しているため犯人にも太刀打ちできるが、さすがにこんなふうに相手に拘束された状況ではどうにも振り解けそうにない。

 一ノ瀬は男たちに腕を抱えられて立たされ、半ば引き摺られるように広場から出る。どこに連れて行かれるのだろう。正体不明の『村』で正体不明の村人に捕えられ、進む先は真っ暗闇だ。

 辺りは不気味なほどに静かだ。カラスの鳴き声すら、今や聴こえない。あぁ、私は一体どうなってしまうのだろうか。ただ満月に近い大きな月だけが、声もなく彼女を見下ろしていた。



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