第九話 もう一人の狼女
夜の帳が薄れていき、東の空が白み始める頃、窓から朝日が差し込んできた。
今日も無事に、喫茶「ヴァンピール」は朝を迎えられそうだ。
私はカウンター席に座るシノさんとエルゼの会話を聞き流しながら、黙々とコーヒーカップを拭いていた。
テーブル席では、ブルートさんと鬼の姉弟が話している。
なんでも新メニュー開発のために、常連の意見を聞いているらしい。
現在青梅には、調理の担当を任せている。
彼女の腕は私よりも上なので、とても助かっているのは確かだ。
そんな青梅の作る料理を長年食べているせいか、赤椰は舌が肥えている。
あの姉弟に任せておけば、まず間違いはないだろう。
ちなみに青梅と赤椰はこの喫茶店の二階と三階に住んでいる。
二階はエルゼと青梅、三階は私と赤椰というように、男女別で分かれているのだ。
「みんなー! ただいまー!」
和やかな雰囲気が突如破られ、扉が勢いよく開け放たれる。
同時に、店内には汗と野生の獣が混じりあったような、むせ返るにおいが漂ってきた。
このにおい……まさか彼女が帰ってきたのか?
扉のほうに目をやると、全身をデニムに身を包み、お団子ポニーテールの茶髪を揺らす、黒縁眼鏡の女性が立っていた。
彼女の名前はモニカ、純血の狼女だ。
ここの常連の一人でもある。
「まあ、モニカちゃんじゃないか。今回の旅はずいぶんと長かったねぇ」
「シノは相変わらず元気そうだね。おっ、ブルートもいるじゃないか。元気してる?」
「いつもどおりです。あなたもお変わりなさそうですね、モニカさん」
「うん、あたしはいつでも元気いっぱいさ!」
モニカは両手で大きくガッツポーズをした。
控えめなポニーテールがまた少しだけ揺れる。
「おかえり、モニカ」
「おー、アデル。あたしがいなくて寂しくなかったかい?」
「いや、別に……」
「なんだよー、つれないなぁ。……あれ、きみたちはいったい誰なんだい?」
モニカは首をかしげながら、私の新しい眷属について尋ねてきた。
一方、エルゼはなぜか不服そうな顔をしている。
「人に尋ねる前に、まずは自分から名乗れよ」
「そういえば、そうだった。ごめんごめん」
「フンッ……」
「あたしはモニカ。ここの常連さ」
「……アタシはエルゼだ」
「うちは青梅じゃよ」
「僕は赤椰といいます」
「この三人は私の新しい眷属だ」
「一気に三人も……? こりゃ賑やかになりそうだ。みんなよろしくねー」
「……で? あんたはアデルとどういう関係なんだ?」
「え? だから、常連だって……。あ、あーそっかそっか、そういうこと?」
モニカはこちらに振り向くと、ウインクをする。
そして、何か含みのある笑顔を浮かべながら口を開いた。
「あたしはね、アデルのお尻にほくろがあることを知ってるんだ」
モニカはいきなり爆弾発言を投下した。
店内の空気が少しだけピリつくのを感じ取れる。
「……は?」
「うちの主人はずいぶん気が多いようじゃのぅ」
「ア、アデルさん……?」
エルゼと青梅の表情と目つきが怖い。
赤椰はそんな二人のその様子を見て、怯えているようだった。
「おい、アデル! いったいどういうことだよ!?」
「ち、違う! 彼女とはそんな関係ではない!」
「ほくろの件は正しいのか?」
「ま、間違いではない! だが、彼女はただの友人なんだ!」
「本当に友達なんですか?」
「し、信じてくれ!」
「ぷぷっ、なんかきみたち面白いねぇ」
「モニカちゃん、あんまりふざけちゃいけないよ」
「ごめんごめん、なんか面白くてつい……。安心してくれたまえ、あたしとアデルは本当にただの友人さ」
エルゼと青梅、赤椰までもが疑惑の目で私を刺してくる。
これはあとでちゃんと弁解しなければいけないな……。
「あはは、大変そうだねぇ、アデル。じゃあ、あたしはもう行くよ。早く帰ってシャワーを浴びたいしね」
「あ、ああ……」
「そういえば、例の件だけど……」
「今その話はよしてくれ。あとで連絡する」
「わかった。んじゃ、またねー」
モニカは飄々とした態度で、店から去っていった。
しかし、いまだに刺すような視線が私に集まっているのを感じ取れる。
すると、ブルートさんがボソッと呟く。
「まるで嵐のような女性でしたね。まあ、いつもどおりなんですが」
「おい、アデル。なんだあのくせぇ女は? ちゃんと説明しろ」
「妻に隠し事はなしじゃぞ?」
「アデルさん、僕は信じてますよ」
……まずは誤解を解くことが先決のようだ。
午前十一時頃、私は一人でモニカの家へと向かっていた。
これから彼女の家で、私のもう一つの仕事があるからだ。
街中から出て住宅エリアを三十分ほど歩くと、彼女の家に到着した。
赤い三角屋根に、レンガ造りの白い外壁といった、シンプルな外装の二階建て住宅だ。
家の周りは伸びきった芝生に囲まれていて、見苦しいことこの上ない。
彼女はここで一人暮らしをしている。
「へぇ、ここがあの女の家か……」
後ろを振り向くと、そこにはエルゼがいた。
どうやら尾行されていたようだ。
「……エルゼ? なぜ君が……?」
「どうしたんだよ、アデル。いつもならこの程度の尾行には気づくよな? やっぱり何か後ろめたいことでもあるのか?」
「……ちょうどいい。君にも知っていてほしいと思っていたんだ。一緒にモニカと会ってくれるか?」
「……ああ、いいぜ」
インターホンを鳴らそうとした瞬間、ドアが開き、モニカが顔を覗かせる。
さっきの服装とは違い、Tシャツとハーフパンツの上から白衣を纏っていた。
彼女は不思議そうな顔をしながら口を開く。
「あれ? 二人とも家の前でどうしたの? もしかして、痴話喧嘩でもしてた?」
「んなわけねぇだろ」
「モニカ。エルゼにも私たちの関係を知っておいてほしいんだ」
「へー、それはまた珍しい……。まあ、立ち話もなんだし、とりあえず二人とも入りなよ」
「よろしく頼む」
「邪魔するぜ」
家に入り奥へ進むと、カーテンで隠されている、鉄でできた重たげな扉が姿を現した。
モニカは、ぎい、と鈍い音を立てながら扉を開けたあと、中へと入っていく。
その途中、こちらに振り向き手招きをした。
「ここが、アデルのもう一つの仕事場だよ。アデル以外が入るのは久しぶりだね」
「もう一つの……仕事場……?」
「説明はあとだ。とりあえず、中へ入ろう」
「お、おう……」
こうして私たちは、秘密の仕事場に足を踏み入れることになった。
エルゼには、私の裏の顔も知ってほしい。
これは私なりの好意の表れでもあった。




