第五話 鬼の赤椰
先ほどまで和やかだった店内に、突如、殺伐とした空気が漂い始めた。
血塗れの少年は、店の入り口で力なくうずくまる。
「おい、大丈夫かよ!?」
エルゼはすぐに駆け寄り、少年を抱き起こす。
私もカウンターテーブルを飛び越え、急いで少年の安否を確認する。
少年の見た目は十代前半くらいで、まだ顔つきは幼く、身長もそれほど高くはない。
華奢な身体に肩まである黒い髪、そして、色白の肌。
かなり中性的な見た目だ。
服は赤色のパーカーと赤色のショートスパッツのようなものを着ている。
その上からは、大きめの黒い羽織を着ていた。
露出した肌には無数の傷が刻まれ、至るところから血が滲んでいる。
綺麗な顔も濃い赤に染まっていた。
気を失ってはいるが、呼吸はそれほど乱れていない。
幸い、どの傷も思ったよりも浅いので、応急手当をすれば問題ないだろう。
「ア、アデル! ど、どうすればいい!?」
「大丈夫だ、私に任せておけ」
次の刹那、別の異形の気配を感じ取る。
どうやら、この少年を傷つけた何者かが近くにいるようだ。
「すまない、エルゼ。この子を頼む」
「……何かいるのか? なら、アタシも一緒に――」
「大丈夫だ。すぐに戻る」
「……おう。無茶はするなよ」
「わかっている」
外に出ると、何者かが暗闇の中でポツリと立っていた。
奴はゆっくりとこちらに近づいてくる。
夜の街灯に照らされることで、その全貌が明らかになった。
「そこのおぬし。すまぬが、尋ねたいことがある」
夜闇を纏ったかのような髪を持つ、小柄な少女が声をかけてくる。
見た目は十代前半で、服装は青を基調とした洋風和装といったところか。
しかし、明らかに普通の人間ではない。
彼女の頭には二本の角が生えていたのだ。
「もしや、君は『鬼』なのか?」
「いきなりそう尋ねてくるとはのぅ。おぬしも人ではなさそうじゃな」
「……君はなぜここに?」
「弟を……いや、ある鬼の子を探しているのじゃ。この近くで、うちと似たような鬼の子を見かけなかったか?」
「さあ、知らないな……」
「……ほぅ? そんな態度を取っていられるのも、今のうちじゃぞ? この近くにいることは、わかっておるのじゃからな」
少女の目つきが変わる。
急に辺りの温度が下がったような気がした。
皮膚が冷たさに焼かれるような感覚が走る。
少女の足元からは白い霧が立ちのぼり、同時に氷の粒が舞う。
今は初夏だというのに白い息まで漏れ始めた。
普通の鬼はこんな力を使えないはずだ。
もしや彼女は特殊な力を扱う「妖鬼」なのかもしれないな。
だとしたら、非常にまずい。
少女はゆっくりと手のひらをこちらに向けた。
すると静寂を破るように、突然、雪が舞い、激しい吹雪が吹き荒れる。
あまりの勢いに、視界は完全に奪われた。
同時に、下半身の感覚がなくなり、身動きが取れなくなる。
なんと腰から下の部分が、一瞬で凍りついていたのだ。
「どうじゃ、暑い夏にはぴったりじゃろ?」
気づけば、少女は目の前まで迫っていた。
彼女はその細い指先で、私の腹のあたりをそっと撫でる。
すると、たちまち胸まで凍りつく。
「ぐっ……!?」
「ほら、早く本当のことを言わんと凍死してしまうぞ?」
「私は何も知らない。君は何か誤解をしているんだ」
「まだ口を割らぬか……」
少女が手を一振りすると、あっという間に首から下まで凍りついてしまった。
指一本すら動かせないこの状況は、非常にまずい。
しかし、今の私ではどうすることもできないのだ。
徐々に氷が顔まで迫ってくる。
少女はうっすら笑みを浮かべ、目を細めながら、その様子をただ眺めていた。
「……おぬしでは話にならんようじゃな。ほかの者に訊くとしよう。おぬしはしばらくここで凍って――」
次の刹那、目の前の少女が吹き飛んだ。
彼女はそのまま建物の壁に打ちつけられる。
「大丈夫か、アデル!」
エルゼがこぶしを突き出していた。
どうやら彼女が少女を殴り飛ばしたようだ。
おかげで助かった。
「ありがとう、エルゼ。助かったよ」
「礼なんか言ってる場合か? この氷はどうすればいいんだよ?」
「いい考えがある。あれを持ってはいるか?」
「あれ……? ああ、これのことか。もちろん、持ってるぜ」
エルゼは自分の胸の谷間に手を入れる。
そこから、濃縮された人間の血液が入った小瓶を取り出した。
「な、なんでそんなところに……?」
「仕方ないだろ、この服にはポケットがないんだ。それより、この瓶をどうすればいい? アタシが飲ませればいいのか?」
「ああ、頼む」
エルゼは小瓶の栓を口で開けたあと、私の口まで持ってくる。
そのままゆっくりと血を飲ませてくれた。
人肌程度の生温い血が口内を満たし、徐々に全身へと行き渡る。
次の瞬間、身体全体が発熱し、身体を覆っていた氷が音を立て、白い水蒸気を上げながら溶けていく。
「おお、すげぇな。だが、これはいったいどういう原理なんだ?」
「そんなことを説明している暇はない。今はあの少女を――」
「おぬしら、緊張感がないのぅ……」
先ほど壁に叩きつけられた少女はすでにいない。
いつの間にか、彼女は建物の屋根に移動していたのだ。
「さすがに二対一じゃと分が悪い。今日のところは諦めて帰るとするかのぅ」
「降りてこい、ガキ! アデルの仇を取ってやる!」
「私はこのとおり元気いっぱいだ。それに暴力的な行為で解決はしたくない。まずは話をだな……」
「じゃあのぅー」
「あ、おい!」
話し終える前に、少女は行方を眩ませた。
私は突然目眩に襲われ、片膝をつく。
どうやら、濃縮血液を摂取したことによる、副作用を引き起こしてしまったようだ。
「お、おい、大丈夫か? くそっ、あのガキのせいでアデルが……!」
「も、問題ない……。それより今は、あの少年の手当てをしなければ……」
喧嘩腰のエルゼを優しくなだめてから、一緒に店内へと戻る。
ソファー席に寝かされていた少年を抱き上げ、二階にある客間へと移動したあと、そこで手当てをした。
翌朝、少年がいる部屋を訪れると、すでに先客がいた。
少年はベッドに半身を起こしながら、椅子に座ったエルゼと話をしている。
「おはよう、二人とも」
「おう、アデル。おはようさん」
「おはようございます。昨夜は助けていただきありがとうございました。おかげで傷はもうすっかり治っているようです」
「そうか、それはよかった。そういえば、自己紹介がまだだったな。私はアデル。この建物のオーナーだ」
「僕の名前は赤椰と言います。改めて、ありがとうございます、アデルさん」
赤椰という少年は私に頭を下げた。
まだ若いというのに、礼儀を弁えているようだ。
どこかの誰かとは大違いだな。
「アタシの名前はさっき言ったから覚えてるよな?」
「当然ですよ。エルゼさんもありがとうございます」
「……違う」
「え?」
「アタシのことは、エルゼお姉ちゃんと呼べ」
「は、はい……? エ、エルゼ、お、お姉ちゃん……?」
「き、君は何を言っているんだ……? もしかして、そういう趣味でもあるのか?」
「ち、ちげぇよ! おい、赤椰。アデルにここを訪れた理由を教えてやってくれ」
「……それは確かに気になるな。赤椰君、もしよければ私にも話してくれないか?」
「は、はい……」
赤椰君は背筋を正し、私と目を合わせる。
彼は真剣な表情を覗かせ、口を開く。
「僕は故郷を追放されました。理由はわかりませんが、突然族長である父から告げられたのです。放浪の身になった僕は、あるときこんな噂を耳にしました。『異形の相談に乗ってくれる喫茶店が、ツクヨミシティという街にある』、と」
「……もしや、また彼女がいらん噂を立てたのか。まったく、無闇に喧伝するなとあれほど念を押したはずなのだが……」
「おい、アデル。いったい誰の話をしてるんだ?」
「……話の腰を折ってすまない。続けてくれ」
今は赤椰君の理由を聞くことが最優先だ。
彼女のことはいったん忘れよう。
「東洋からここまでの道程は前途多難でした。なんと、姉である青梅が僕の命を狙い、しつこく付きまとってきたのです」
「……なんだって?」
「実の姉から命を狙われ、精神的にも肉体的にも消耗する中、藁にもすがる思いでなんとかここに辿り着きました。僕をあの姉から救ってほしい。それがここを訪れた理由です」
「……今までよく頑張ったね。普段なら他人の問題に首を突っ込みたくはないのだが、君は特別だ。力になろう」
「あ、ありがとうございます……!」
「な、言っただろ? アデルは懐の広い男だから大丈夫だって」
さすがにここまでひどい状況の中、彼を追い出すなんてことはしない。
それに今回の件は、エルゼのときと同じようなにおいがする。
ならば、今回もとことんお節介を焼かせてもらおう。
「赤椰君、当面の衣食住と身の安全は、私が保証しよう。今日からここは君の部屋だ。好きに使ってくれていい」
「え、いいんですか?」
「それと、君の姉の件も、私とエルゼがなんとかしよう。君は事が終わるまで、大人しくここで待機していてくれ」
「さすがアデル! 懐の深さはどこぞの海溝級だぜ!」
「しかし、一つだけ条件がある」
「条件……? ……おい、アデル。お前もしかして……」
「君の予想どおりだよ、エルゼ。赤椰君、君にはここで働いてもらう」
「わかりました。それくらい、お安いご用ですよ」
「ふっ、君の働きに期待しているよ」
晴れて、赤椰君がここの一員となった。
そして、今夜から彼が現場で働くことになる。
「あ、あのー、これって僕に合っているんでしょうか?」
「ああ、よく似合っているぞ」
制服に着替えた赤椰君が、恥ずかしそうにしながら二階から降りてくる。
彼には女性用のメイド服を着てもらった。
私の趣味がここで活きるとはな、これでこの店もいっそう華やかになるというものだ。
「アデル……。お前、やっぱり変態だったんだな」
「仕方のないことだよ、エルゼ。私は女性用のメイド服しか持っていなかったんだ」
「もうツッコまないぞ、アタシは……」
「こ、これからよろしくお願いいたします」
赤椰君は顔を赤らめ、恥ずかしそうに頭を下げる。
私は彼の勇姿を目に焼きつけながら、喫茶ヴァンピールの扉を開け、いつもの夜を迎え入れた。




