第四十四話 これからの喫茶ヴァンピール
夜の帳が下りる頃、今日も喫茶ヴァンピールに明かりが灯る。
照明の調整も問題なく、椅子もきちんと整列されていた。
カウンターや床も磨き上げられ、曇り一つない。
仕込みも完璧で、あとは客を迎えるだけだ。
私は店内に流れる音楽に寄り添いながら、カップを静かに拭いている。
今宵訪れる者は人間なのか、はたまた異形なのかはまだわからない。
そのとき、チリン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。今日もいい夜だね、マスター」
「よお、シノ。昨日ぶりだな。本当に毎晩毎晩よく来るぜ。飽きたりしねぇのか?」
「こんばんは、エルちゃん。その質問は愚問だね。わたしは車椅子生活になっても、ここに来るよ」
「そのときは、この店もバリアフリーを取り入れなければいけませんね」
「わたしのためにそこまでしてくれるのかい? なんだか胸がいっぱいになるよ。そういえば、注文がまだだったね。いつものコーヒーとたまごサンドをおくれ」
「かしこまりました」
シノさんが席についた瞬間に、エルゼがおしぼりとお冷やを置く。
その後、エルゼは素早くサンドイッチ作りに取りかかる。
私がコーヒーを提供すると同時に、綺麗なサンドイッチを完成させていた。
「美味い。コーヒーもサンドイッチも、いつもどおり完璧だねぇ」
「ありがとうございます」
「へへっ、そうか?」
「それにしても、エルちゃんの料理の腕もずいぶんと上がったねぇ……。もうマスターと遜色ないんじゃないかい?」
「だとよ、アデル?」
「……確かに、エルゼの料理スキルは上がりました。そこは潔く認めましょう。しかしながら、私とて料理人の端くれ。料理を始めて、一年ちょっとの新人に、負けるわけにはいきません。明日は定休日ですから、明後日またいらっしゃってください。本物のサンドイッチを提供しましょう」
「それは楽しみだねぇ」
「今日は勝負しねぇのか? ……さては、アデル。アタシに負けるのが怖いんだな?」
エルゼは意地悪そうな顔をしながら煽ってくる。
私はそれを無視し、シノさんに視線を戻す。
不意に、シノさんはソファー席のほうを見る。
その表情はどこか寂しそうだ。
「ブルートさんは、今頃何をしてるのかねぇ……」
一年前の事件について、シノさんはあまり覚えていないらしい。
結局、シノさんは最後までブルートさん、もとい、グウェドのことを知ることはなかった。
いや、この世には、知らなくてもいいことがある。
彼女の精神衛生上のためにも、秘密にしておいたほうが得策だろう。
「さあ、私にもそれはわかりません。そのうち、ひょっこり現れるかもしれませんよ?」
「そうだといいねぇ。せっかく、新メニューもたくさんできたっていうのに……」
シノさんは店の片隅にある、石像と化したグウェドを見つめる。
彼女の目には、確かに光るものが見えた。
きっと、いろいろと思うところがあるのだろう。
勘がいいシノさんのことだ。
もしかしたら、もう一生会うことはないと察しているのかもしれない。
今日の彼女はちょっぴりナーバスにも見える。
そのせいかはわからないが、シノさんはいつもより早く退店した。
「好敵手よ、また来たぞ」
「今日もお邪魔します」
シノさんと入れ替わる形で、サイガとキセラが来店する。
二人はソファー席に座ると、メニューを眺め始めた。
エルゼがおしぼりとお冷やを置いたあと、私はいつものコーヒーを二人に提供する。
数分後、サイガは爽やかな笑顔をこちらに向けた。
「好敵手よ、特盛のカツカレーを二つ頼む」
特盛カツカレーと、付け合わせの気まぐれサラダが、二人の前に並べられる。
二人は手を合わせながら、いただきますと言い、食事を始めた。
「相変わらず、ここのカツカレーは大変美味だな。そうは思わないか、キセラよ?」
「ええ、サイガ様の言うとおりです。自分へのご褒美には最適でしょう」
「これを食べられるのが今日で最後と思うと、胸が痛くなるな……」
「……待て、サイガ。君はいったい何を言っているんだ?」
「言葉どおりの意味だよ。今日で我が一族は、いったん里に帰らせてもらう」
「え、マジかよ……」
グウェドが引き起こした事件から、すでに一年以上が経っている。
あの頃とは違い、街はほぼ復興状態と言ってもいい。
建物は建ち並び、店も営業を再開している。
だが仮設や簡易建築はいまだ多く、更地や工事中の区画も点在していた。
見た目と生活は戻ったが、まだ街は完成していない。
一年前、サイガとその一族が復興に協力してくれることになった。
そのおかげもあってか、この喫茶店は比較的早めに再開できたのだ。
再開後、私たちは店の営業だけではなく、おもに炊き出し係として、街の復興に参加したのである。
一日中頑張ってくれた人と異形たちに、美味しいコーヒーと料理を無償で提供した。
最初に料理を提供したときの、彼らのあの笑顔は今でも忘れられない。
そんなこんなでサイガの一族は、一年以上も協力してくれた。
さすがにこれ以上、彼らに甘えることはできない。
これからは、この街の住人だけで頑張らないといけないのだ。
「そうか。なんだか寂しくなるな……」
「アタシも同じ気持ちだぜ……」
「好敵手よ、そう落ち込むな。遠からぬうちに、またここを訪れると約束しよう。今度は正式な客としてな」
「そんなに悲しまないで、エルゼ。できるだけ、早く会いに来るわ」
その後、二人と別れの挨拶をする。
すっかりキセラと仲良くなったエルゼは、最後まで涙が止まらなかった。
「さらばだ、好敵手よ。また会おう」
「ああ、達者でな。一族の皆に、心から感謝していると伝えてくれ」
「泣かないで、エルゼ。また来るから……」
「グスッ……絶対に来いよ? 絶対だからな!」
「ええ、必ず来るわ」
二人は腕を組みながら、仲睦まじく帰っていく。
私たちは、その背中が完全に見えなくなるまで手を振り続けた。
「みんな! うちで採れたリンゴを持ってきたぞ!」
「ナスやトマト、オクラなどもありますよ!」
閉店間際、ライアンとシャノンがダンボールを抱えて来店してきた。
早朝だというのに、二人の顔は活力に満ちている。
「二人ともいつもありがとう。今コーヒーと食事を用意するよ」
「おい、野菜はわかるが、リンゴなんて一年でできるのかよ?」
「うちで採れる作物は、通常の三倍の速度で成長するんだ。これもすべて太陽の加護のおかげさ」
「そのせいで、ほかの農家からは怪しまれていますけどね……。あそこの夫婦は、何か法外な肥料を仕込んでいるのではないか、と。困りますよね。私たちはまだ、夫婦ではないというのに……」
「ふーん、そっちもいろいろ大変なんだな」
エルゼは、ライアンとシャノンにコーヒーと食事を運んだ。
その後、なぜか彼女は目を輝かせながら、私に迫ってきた。
どうやら、何か企みがあるようだ。
「なあ、アデル! このリンゴでアップルパイをたくさん作ろうぜ! それでさ、いつも世話になってる奴らに、お裾分けするのはどうだ?」
「……ふむ、それは名案だな。さすがだエルゼ。君は実に優秀な相棒だよ」
「おうよ! 今からアップルパイも作るから、もう少しここにいてくれよな、二人とも!」
「おお、それは楽しみだな」
「ありがたくいただきます」
私とエルゼはみんなのために、アップルパイを作る準備に取りかかった。
「二人とも、今日はありがとう。また農作業を手伝いに行くよ」
「それはありがたい! 農家はいつも人手不足だからな。その際は、また礼を弾もう」
「シャノン、また料理を教えてくれないか? もっと腕を磨きたいんだ」
「それは殊勝な心がけですね。やはり、殿方を完全に落とし依存させるには、胃袋を掴むのが一番です。いつでもお越しになってください」
「いや、依存させるのはどうかと思うが……。いや、それも案外アリか……」
ライアンとシャノンは、笑顔で帰っていった。
もちろん土産として、焼きたてのアップルパイを持たせてある。
その頃には、外はもうすっかり明るくなっていた。
「おはようなのじゃ!」
「ふわぁ~、みんなおはよう……」
青梅と赤椰が起きてきた。
二人は店内に充満している香ばしいにおいに反応し、鼻をひくつかせる。
「おお、これはアップルパイではないか」
「本当だ。すごく美味しそう」
「二人とも一個ずつ食べてもいいぞ」
「一人でホール一個じゃと? まさかうちを太らせ、むちむちになったところを食べる気じゃな? 確かアデルは、肉づきのよいおなごがタイプなんじゃろ?」
「姉さん、また変なこと言ってる……。いつも姉がすみません、アデルさん」
「いや、問題ない。もう慣れたよ。それに肉づきのいい女性は嫌いじゃない」
「……え?」
「……あ」
……しまった、まずい。
疲れていたせいか、意図せず口から本音が漏れてしまった。
青梅とエルゼはニヤニヤしながら、こちらを見てくる。
一方、赤椰は虫を見るような目をしていた。
「これからはダイエットなど不要なようじゃな。うちはこれから、フードファイターにでもなるとするかのぅ」
「困ったなぁ、アタシはこれ以上太れねぇよ。でも、アデルが望むなら……」
「アデルさん、さすがに引きました。ちょっと部屋に戻ります」
「みんな、誤解だ!」
宣言どおり、赤椰はアップルパイを持って自室へと引き上げる。
同時に、エルゼがトイレに行き、青梅と二人きりになった。
「……今日はエルゼの誕生日。ついに、この日を迎えてしまったな、アデルよ」
「ああ、そうだな。少し緊張しているよ。青梅、今日は……」
「安心せい、重々承知しておる。今夜、うちと赤椰は外泊してくるでのぅ。男らしくビシッと決めてやるのじゃ。応援しておるぞ」
「……ありがとう、青梅。君がいてくれてよかったよ」
青梅は笑いながら、私の背中を叩く。
私はそんな彼女の頭を優しく撫でた。
「のぅ、アデル。少し相談があるのじゃが……」
「ああ、なんでも言ってくれ」
「うちと赤椰で小さなバーを営みたい、と思っておる」
「……理由を聴こう」
「もうこの喫茶店には、うちらは必要ないと思ってな。エルゼも料理ができるようになったしのぅ」
「私には君たちが必要だ」
「もちろん、理由はそれだけではない。うちは酒が好きなのじゃ。前々から、バーをやってみたいと思っておった。うちの夢だったんじゃ……」
「そうか……」
「ダメ……かのぅ……?」
私はいろいろ考えた。
物件費、内装設備工事費、備品費、開業手続き、仕入れや運転費などなど……。
どれも私が通ってきた道だ。
どのくらいお金が必要かは、よく理解している。
本来なら安易に勧めたりはしない。
だが、青梅の目は本気だ。
「……条件がある。もう少しここで働いて、資金を貯めるんだ。今の貯金では、足りないことは明白だからな」
「う、うむ……」
「それと、知り合いにバーの経営者がいてね。私のつてで、君たちがそこで働けないか聞いてみよう。本気でバーを開きたいなら、きっといい勉強になるはずだ」
「ほ、本当か……?」
「しばらくは喫茶店とバーの掛け持ちになるが、それでも大丈夫か?」
「う、うむ、もちろんじゃ!」
「それと、お金の管理は私がする。もし欲しい物があったら、まず私に相談してくれ。必要かどうか判断するからな。あと、モニカの研究に深入りするのもダメだぞ?」
「わ、わかったのじゃ……。おぬしには世話になりっぱなしじゃな」
「大切な家族のことだからな。当然のことだよ」
「アデル……。おぬしがいてくれて、本当によかったぞ……」
青梅は震えている。
それが感謝からくるものなのか、それとも、不安からくるものかはわからない。
しかし、その表情には確固たる信念があった。
「ふぅ、スッキリしたぜ。……二人とも、そんなに真剣な顔してどうしたんだよ?」
「……おぬし、相変わらず空気が読めんのぅ」
「エルゼ、君のそういうところは可愛いと思うぞ」
「なんだ、お前ら? 喧嘩なら買うぞ?」
何も知らないエルゼは、青筋を立てながら、私たちに詰め寄ってくる。
私はそんな彼女を、改めて可愛いらしいと思った。




