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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第四章
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第四十一話 消えない傷痕

 コウガは不思議そうに、目の前に置かれたコーヒーとサンドイッチを眺めていた。

 エルゼとミネットは何も言わず、その様子をちらりと横目に見ている。

 私たちと彼にはまだ距離があり、正直言って、同じテーブルを囲むのはかなり気まずい。

 だが、その気まずさを最初に破るのは、いつだってマスターである私の役目だ。

 

「食べておいたほうがいいぞ。君には働いてもらわないといけないからな」

「本当にいいのか? 本来、オレたちは敵同士みたいなもんだぜ? それにオレはエルゼを……」

「エルゼの許可はすでに取っている。食べないと、彼女の厚意を無下にすることになるぞ?」

「……わかった。感謝していただくことにするよ。まぁ、初めから食う気でいたけどさ……」

  

 コウガの警戒心は、まだ剥がれない。

 仕方のないことだ。

 ついこの間まで、互いに憎しみ合っていた仲なのだから。


 私はキッチンで豆を挽きつつ、テーブルにいる彼を視界の端に捉えて観察していた。

 さっきまではずいぶんと好戦的だったくせに、こういう場所に座ると、急に居心地が悪そうにする。

 その光景に、思わず笑みが漏れた。

 さらに彼からは、空腹を告げる福音が聞こえてくる。

 意外と可愛いところがあるな……。


「……なんだ、その顔は?」

「君は思ったよりも、面白い反応をするんだな」

「おい、喧嘩を売ってるのか?」

「買われる覚悟はあるが……とりあえず、コーヒーを飲んでからにしてくれ」


 コウガはむすっとしながらも黙り込み、湯気の立つカップを手に取った。

 一口、ゆっくりと啜る。

 その瞬間、表情がぴくりと緩んだのを、私は見逃さない。


「ああ……美味いな、これ」

「当然だ。この私が淹れたのだからな」


 彼の肩から、わずかに力が抜けていくのを感じ取れる。

 心の鎧を、この一杯で少しだけ脱ぎ捨てたのだろう。


「サンドイッチの中身は味噌カツだ。東洋のとある国には、勝負事の前にカツを食べる習わしがある。まだまだ揚げ物に関しては修行中の身だが、今日はいつもより上手くいった。きっと、それなりに美味いだろう」

「……オレを懐柔しようとしてないか、アデルさんよ?」

「そうだとも。私はマスターであり、料理人だ。客の腹を満たしてナンボだよ」

「へっ、よく口が回るマスターだな」


 皮肉を交えた会話の端々に、奇妙な信頼の芽が見え隠れしてくる。

 彼はサンドイッチをひと齧りし、もごもごと呟いた。


「……初めて食ったが、気に入ったよ。腹が減ってたのもあるが、なんか妙に美味いんだよな」


 その横顔は、普通の青年に見えた。

 こんな顔もするのだな……。


「少なくともここでは、敵味方は関係ない。腹が減ってる奴を放置するほど、私は冷血じゃないのでな」

「吸血鬼のくせに、血はあったけぇみたいだな」

「そこらの吸血鬼と、同じにしてもらっては困るよ」


 彼は少しだけ口角を上げた。

 その笑みはわずか一瞬だったが、確かにそこにある。


 以前キセラからは、コウガが人を殺したと聞かされていた。

 だが、モニカが残した手紙には、彼が気分で人を殺すような男ではないと記されている。

 その食い違いが気にかかり、本人に直接訊いてみたところ、予想もしなかった答えが返ってきた。

 異形ハンターに狙われた仲間を助けるため、やむを得ず手を汚したのだという。

 だが混乱の中で、結果的に多くの命を奪ってしまったらしい。

 

 その後、殺されたハンターの遺族とコウガの一族の間で争いが起こり、最終的な妥協点として、彼は追放処分となった。

 しかも、懸賞金つきの指名手配犯として、だ。

 ほどなくして、彼はアンジェラ直属のハンターに捕えられた。

 その際、偶然にも私宛ての手紙を所持していることが判明し、被験体としてモニカのもとへ送られたという。

  

 彼は不運だったが、エルゼをいじめていたのは事実である。

 しかしながら、今の彼は過去の行いを反省し、謝罪するまでに至った。

 どうやら、恋というものは人格まで変えてしまうらしい。


 こうして人、いや、異形の者も変わることができるのだ。

 そこに、温かい食事と一杯のコーヒーを追加してやることで、さらに効果を発揮する。

 

 ……だが、何事にも例外はあるものだ。

 何年も店に通っていたのに、愚かな蛮行を働いた者が一人いる。

 ――そう、我が父グウェドだ。

 今ならわかる。

 父上と私は、決して相容れることはないだろう。


「おい、アデル。おかわりしてもいいか?」

「もちろんだ。デザートもあるぞ」

「いや、甘い物は苦手なんだ」

「では、カツサンドをたくさん作るから、どんどん食べてくれ」

「……ありがとよ」


 こうして、少しだけコウガとの距離を縮めることができた。

 気づけば、エルゼとミネットも食を通じて、コウガとの談笑を楽しんでいる。

 先ほどまで暗い雰囲気だったリビングは、簡易的な喫茶店のようになっていた。






 

「お兄ちゃん、エルゼ、ちょっといい? 大事な話があるの」


 日が傾きかけた頃、ミネットは深刻そうな顔をして、相談を持ちかけてきた。

 今リビングにいるのは、私とエルゼだけだ。

 コウガは現在、外に出て見張りをしてくれている。


「どうしたんだよ、ミネット? 具合でも悪いのか?」

「違うわ。メデューサとグウェドの関係について、話しておきたいことがあるの」

「そういえば、なぜメデューサが父上の眷属になったか、聞いていなかったな」

「いつここが襲撃されるかわからないから、簡潔に話すわね」


 このタイミングで話すのは、何か意図があるのだろう。

 ミネットは深呼吸したあと、口を開く。


「メデューサはね、実の姉二人を人質に取られているの」

「何……?」


 メデューサの姉というのは、ゴルゴーン三姉妹のことを指しているのだろう。

 確か、長女はステンノ、次女はエウリュアレという名だったな。

 

「グウェドは汚い手を使って、ステンノとエウリュアレをさらって、どこかに監禁したのよ。それで、二人の命は助けてやるから眷属になれって、メデューサに迫ったの。彼女は、その要求を飲むしかなかったのよ」

「父上はそんな卑劣なことを……」

「その二人の手がかりとかはないのか?」

「残念ながら、何もないわね。一応、探ってはみたんだけど……」


 ミネットは悲しそうな顔をしている。

 メデューサの現状を考えれば、そんな顔になるのは当然のことだ。


「最後の相談よ。本当は見せたくなかったんだけど、今のお兄ちゃんには見てほしいの」

「それはどういう意味だ?」

「ちょっと見苦しいけど、我慢してね」


 なんと、ミネットはおもむろに服を脱ぎ出したのである。

 最初、何をしようとしているのか理解できなかった。

 だが、下着姿になった彼女が、こちらに身体を向けた瞬間、呼吸が止まる。


「……これは、まさか」


 白い肌に、ありえないほど濃く浮かび上がる赤黒い痕。

 焼け爛れたような筋が、腹から脇腹、背中へと蜘蛛の巣のように這い回っている。

 爪で抉られたような線もあれば、殴られた痕だと一目でわかる深い窪みもある。

 皮膚が盛り上がって硬く固まった古傷の帯が、いくつも重なって交差していた。

 

 こんなもの、治癒能力を持つ吸血鬼の身体に残るはずがない。

 いや、残りようがないのだ。

 いったいどれほどの痛みを強いられたのか。


 思考が一瞬で凍りつき、次の瞬間には燃え上がった。

 体内の血液すべてが、一度に沸騰するような感覚を覚える。


「……誰に、やられたんだ?」


 自分自身の声が震えていた。

 怒りで震えているのか、恐怖で震えているのか、自分でも判別できなかった。

 ミネットは、ほんの少し寂しそうに微笑んだ。


「――グウェドに……されたの」


 突然、耳鳴りがした。

 理解と拒絶が同時に押し寄せ、頭が割れそうになる。

 幼い頃見た、ぶっきらぼうだが、どこか優しかった父上の姿。

 その記憶がぐにゃりと歪んでゆく。


「お、おい、逢魔ヶ島の旅館で温泉に入ったときは、そんな傷なかったぞ?」

「普段は見えないのよ。だけど、一か月に数回こうやって浮かび上がってくるの……」

「マジ……か」


 エルゼは驚きの声を上げている。

 至極当然の反応だ。

 あのとき、温泉に入れなかった理由はこういうことだったのか。


「……なんで言わなかった? いや、それよりもなぜこのタイミングで……?」

「言ったでしょ、本当はこんな醜い身体を、お兄ちゃんに見せたくなかったの。だけど、お兄ちゃんは今、グウェドを殺すことにためらいがあるでしょ? 昔は今よりは優しかったし、族滅のことで迷惑かけたもんね……」

「そ、そんなことはない! 私は本気で父上を――」

「ほら、また『父上』って言ってる。まだあんな奴のことを父親だと思ってるの? そんな気持ちじゃ、絶対に勝てないよ?」


 ミネットの鋭い言葉が、胸に深々と突き刺さった。

 彼女はその瞳にうっすら涙を滲ませながら、ぽつりと呟く。


「だから見せたの。――覚悟を、決めてほしくて」


 消えない傷痕。

 過去の痛みが、肉体の奥底に刻みつけられた呪いのようなもの――。

 胸の奥の何かが、静かに折れた。

 いや、砕けたのだ。


「ミネット、こんな兄で本当に申し訳ない……」


 その言葉は、自分の声とは思えないほど低く沈んでいる。

 気づけば、私はミネットを抱き締めていた。


「情は、捨てる。あいつが私たちにしたことは、決して許されない」


 体内で血が脈打つ音がする。

 憤怒が燃え、冷たく研ぎ澄まされ、明確な殺意へと変わっていく。


「父上、いやグウェドは、私が終わらせる! そして、ミネットの痛みをその身をもって、味あわせてやるぞ!」

「ミネット、つらい中話してくれてありがとよ。……アタシもキレちまったよ、絶対に許さねぇからな、グウェド!」

「ありがとう、二人とも……」


 ミネットの傷痕から、視線を逸らすことはしない。

 その痛みのすべてを背負うと、胸の内で固く誓った。

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