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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第四章
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第四十話 謝罪

 コウガと向かい合った瞬間、空気が変わった。

 正直過去のことを思い出すと、彼は私を恨んでいても仕方ない。

 しかしながら、今は殺気がないのだ。

  

 研ぎ澄まされた「試すための圧」だけが、こちらに押し寄せてくる。

 ならばこちらも、これから隣に立つ可能性のある者として、その実力と覚悟を見極めなければならない。


 コウガは深く息を吸い込み、ほんの一瞬だけ肩を落としてから、静かに構えた。

 こぶしを握る音すら聞こえそうな、張りつめた姿勢。

 人の姿を保っているはずなのに、その奥に潜む獣の力が、露わになる。


 最初に動いたのは彼だった。

 踏み込みの速さは、人間の域を超えている。

 肩の揺れから、こぶしが飛ぶまでの流れがあまりに自然で、私でも読み切るのにわずかに遅れた。

 腕にぶつかった衝撃が、骨ごと震わせていく。やはり純粋な腕力では、私よりもずっと上だ。

 正直、腕力だけなら、今まで出会ってきた狼男の中でトップといってもいい。


 私は肩を抜いて半歩退き、こぶしの軌道を外側へ滑らせた。

 空を切った彼の腕が風を裂き、その勢いのまま次の回し蹴りに繋がる。

 迷いも淀みもない。

 呼吸するのと同じように、彼にとって戦いは当たり前のものなのだとわかる。


 蹴りは躊躇なく速い。

 だが、サイガよりは遅く、キレもないため軌道は読める。

 私は低く身を沈め、足を払いをして重心を揺らす。

 彼がわずかに体勢を崩した瞬間、そこへ掌打を打ち込んだ。

 確かに胸元を捉えた感触がある。

 しかし彼は、痛みを感じていないかのように踏みとどまり、笑みを浮かべた。


 手応えが薄い。

 並外れた腕力だけでなく、耐久力もそれなりにあるようだ……。


 間髪入れず、反撃がくる。

 眼前に迫るのは巨岩のようなこぶし。

 避けるだけでは、いずれジリ貧になる。

 私は踏み込みこぶしを受け流し、相手の懐のさらに奥へ飛び込んだ。

 この近さなら勝機はある。

 テクニックなら、私は負けるつもりはない。


 コウガの重心が前に出たその瞬間、私は彼の腕を絡め取るように回し、身体を半回転させながら引き倒す。

 体勢を崩された大きな身体がわずかに揺れ、地面に膝をついた。

 その直後、彼が苦笑する気配を見せる。

 倒されるのが悔しいというより、純粋に戦闘を楽しんでいるような声音だ。


 だが、彼は膝をついたまま、次の瞬間には私の足首を掴んでいた。

 まるで大地そのものが動き出したような力で放り投げられ、私の身体が軽々と宙を舞う。

 私は身体をひねるように回転させ、空中で体勢を整えた。

 地面に着地すると同時に、すぐに後退し、彼との距離を取る。 


 互いに、傷一つついていなかった。

 だがそれは、手を抜いたからではない。

 戦いの中で、相手がどれほど信じられるかを測る。

 そんな無言の意図が絡み合っていたからだ。

 技と力をぶつけ合ったうえで、殺すつもりがない者同士が保つ、ぎりぎりの均衡である。


 コウガは突然構えるのをやめ、こちらに近づいてくる。

 そして、その鋭い牙を見せつけるようにニヤリと笑った。

 

「……なるほどな。認めてやるよ、お前の実力。よろしく頼むぜ、アデル」

「君の力量も、確かなようだ。協力感謝する、コウガよ」

 

 私もまた、こぶしを下ろす。

 憎き敵として向かい合ったときとは違う。

 互いの力を認めたうえで、これから同じ方向を向くための第一歩だった。

 

「おい、エルゼ。ちょっといいか?」

「な、なんだよ……?」


 コウガはエルゼの目の前まで近づいた。

 エルゼはどこか戸惑ったような表情をしている。

 しかし、彼のその真剣な様子から、危害を加えるとは考えられない。 

 彼はほんの一瞬、逡巡するように息を吸い込み、次の瞬間には、深々と頭を下げていた。


「……本当に、すまなかった」

「……ッ!?」


 信じられなかった。

 あのコウガが、エルゼに頭を下げている。

 まさかこれは、恋の力によるものなのか……?


「いきなりで悪い……。オレはお前に謝りたかったんだ。あの頃のオレは、どうかしてた。許してくれとは言わない。でも、後悔だけは、ずっと消えなかったんだ。本当に……取り返しのつかないことをした」


 コウガの声は微かに震えていた。

 誤魔化すような笑いも、強がった態度も、どこにもない。

 ただただ、絞り出すような後悔だけが滲んでいる。


 一方、エルゼはこぶしを強く握っていた。

 その表情はどこか悲しげだ。


「……顔、上げろよ」


 コウガはゆっくりと顔を上げる。

 先ほどの戦闘で感じた圧は、もうどこにもなかった。


「お前を許す気なんて、本当はなかった。今さら謝られても、何も戻らないからな」


 コウガの身体がぴくりと動く。

 表情もどこか不安げだ。


「……だよな」

「けど……お前が、こんなふうに謝る日が来るなんて、思わなかったよ。逃げずに向き合った、それだけで十分だ。……過去は嫌なまんまだけどさ。それでも、今のお前の言葉は、本物だってわかったよ」


 エルゼは精一杯、優しい言葉をかける。

 コウガは深く息を吐き、ただ一言だけ呟いた。


「……ありがとう」


 その声には、いじめっ子の気配は微塵もない。

 エルゼにとっては、長い間刺さっていた棘が、ようやく抜け落ちたようなものだろう。

 これもモニカのおかげだ。

 「恋は人を成長させる」という言葉があるが、あながち間違いではないらしい。

 どうやらそれは、異形にも当てはまるようだ。


「好きな人のために、頑張る奴は嫌いじゃない。頼むぜ、コウガ」

「ああ、任せろ。全力で協力させてもらうぜ」






 

 別荘に帰る途中、喫茶ヴァンピールに寄る。

 しかし、かつてあった私の城は、見るも無惨にただの瓦礫の山へと変わっていた。

 よく見ると、カウンター席だった場所には一体の石像が佇んでいる。

 ――シノさんだ。


「嘘だろ、シノまで……」

「いくらなんでも酷すぎるわ……」

「この婆さんも仲間なのか?」

「……うちの常連だよ」

「そうなのか……。それは御愁傷様だな」


 ふらつきながら瓦礫の奥に進むと、半壊したクローゼットを見つけた。

 幸い、中の服は無事のようだ。

 私は今着ているぼろぼろの和服から、よそ行きの外套に着替えた。

 そして、頬を強く叩き気合いを入れる。


「オレが運んでやるよ」

「いや、ここは私に任せてくれ」

「シノ……絶対に元に戻してやるからな」

「ワタシたち頑張るから……」

 

 私たちは静かに決意を固める。

 私は石になった彼女の重みを噛み締めながら、仲間たちと別荘への帰路についた。

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