第三十七話 対峙
街に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
深夜の静けさは同じはずなのに、どこか淀んだ気配が肌に纏わりつく。
ヒビが入った舗道の上を歩くたび、砕けたガラス片が小さく鳴った。
ここがかつて、笑い声の響く街だったことが信じられない。
進むごとに、景色は容赦なく歪んでいく。
倒れた街灯が影を引きずり、店舗の看板はぶら下がったまま風に揺れていた。
すれ違う石化した人々は皆、恐怖の感情をその顔に浮かべている。
乾いた夜風が吹く街は、妙に静かだった。
仲間の足音が背後で規則正しく続く。
その存在だけが、この荒廃の中で唯一生きている証のように感じられた。
私自身も、胸の鼓動がやけに大きい。
恐怖か緊張かは分からないが、街の中心に近づくほど、心臓は確かな音を刻む。
「おい、アデル。奴らはこの先にいるのか?」
「ああ、私の第六感が告げている。父上たちは、この先にいるはずだ」
「第六感ねぇ……。まあ、今までのことを考えると、割と信用できそうだな」
「みんな、いつでも戦えるように準備してくれ」
「はいよ」
進むにつれ、足元の瓦礫は増す一方だ。
壁の半分近くが吹き飛んだ住宅。
石化した人間と車の群れ……。
まるでモンスターパニック映画の背景セットのようだ。
中心部へ向かうほど、風景は崩壊していく。
石畳はひび割れ、至るところが隆起していた。
遠くで、瓦礫がゆっくり崩れ落ちる音がする。
それは街が苦しみのあまり泣いているような、重苦しい音を立てていた。
ふと見上げると、月が薄雲の向こうで光る。
月光は脆弱で、まるでこの街の惨状を正視することをためらっているようだ。
私たちはその光を頼りに、さらに一歩踏み出した。
この暗闇の先には、決着をつけるべき相手が待っている。
街の中心部に足を踏み入れた途端、空気の重さがさらに変わっていく。
瓦礫の山が環状に積み上がり、まるで巨大な祭壇のように街の中心を囲んでいた。
その中央だけがぽっかりと空き、異様な静けさに満ちている。
――その静寂の真ん中に、父上は立っていた。
その影はまったく揺れていない。
不自然なほど整った姿勢で、まるでこの崩れた街の主とでも言いたげだ。
薄弱な月光は、父上の輪郭をうっすらと浮かび上がらせた。
瓦礫を踏みしめると、乾いた音が広がる。
その音が合図になったかのように、父上の肩がわずかに揺れた。
その動作は、まるでこの場のすべてが、自分の意のままになると確信している、勝者の余裕そのものだ。
壊れた街の中心に立ちながら、父上だけが傷一つなく佇んでいた。
父上の瞳が月光を反射して細く光る。
その視線が私を捉えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
どこか懐かしさと憎悪が絡み合ったようなあの視線……。
思わず、過去の父上を思い出してしまう。
風が止み、月の光が止まり、そこにはただ静けさだけが落ちる。
そして、父上はゆっくりと口角を上げた。
「——ようやく来たか、アデルとその眷属たちよ」
私たちは父上と相対する。
この先にあるのは、もう戦いだけだ。
次の瞬間、父上の背後からおびただしい異形たちの影が、一斉に蠢いた。
父上の隣にはアンジェラ、すぐ後ろにはメデューサが姿を現す。
「父上、あなたは取り返しのつかないことをした。その行いを、私は決して許さない。今日ここで、あなたに引導を渡させてもらう」
「ふふっ、口だけは達者だな。半人前の吸血鬼ごときが、この私に勝てると思ったのか?」
「父親とは元来、息子の踏み台になるために存在するものです」
「ほう……?」
「アンジェラ! なんでグウェドなんかと一緒にいるんだよ!?」
「……簡単なことよ、モニカ。彼は、わたしのすべてを受け入れてくれた。ただ、それだけのことよ」
「なっ……!?」
「アンジェラは実に素晴らしい女性だよ。君の一族にはもったいないほどにね」
父上はアンジェラを抱き寄せ、そのまま口づけをした。
それは決して軽いものではなく、もっと深く、そして無駄に長い。
その光景を見た瞬間、背中がぞわぞわする感覚とともに、とんでもない不快感と吐き気に襲われる。
それはモニカとミネットも同じだったようで、明らかに嫌悪感に満ちた表情をしていた。
「んっ……。もう、人前ではやめてって言ったでしょ?」
「失礼、あまりにも君が美しくて、つい情熱的になってしまったよ」
「父上、あなたは最低だ! 子どもの前で、そんなことをして恥ずかしくないのか!?」
「そうよ! 気持ち悪いわ!」
「ふふっ、これくらいで恥ずかしがってはいかんぞ。すでに私たちは、心も身体も繋がっているのだ。なんなら、これより先もお見せしようか?」
「あ、ちょっと、くすぐったいわ、グウェド……」
「アデル、今すぐあの二人を殺してくれ! これ以上は、もう見たくない!」
「もとよりそのつもりだ!」
「ふふっ、やる気になったか……。眷属たちよ、そこにいるネズミどもを排除するのだ!」
近親者の色事を見るなんて、これほど気色の悪いことはない。
それはモニカとミネットも同じだろう。
精神衛生上のためにも、一刻も早く決着をつけなければならない。
対峙していた狼人間たちは、唸り声を街に轟かせながら、一斉に動き出す。
こうして戦いの火蓋が切られたのである。
「グオオッ!」
狼人間の大群が、私たちに襲いかかってきた。
次の瞬間、青梅の力で狼人間たちの足が凍りつき、身動きできなくなる。
その直後、赤椰が鞭のように業火を操り、彼らをなぎ払った。
前衛にいた狼人間は残らず灰になる。
予定どおり、狼人間の処理は二人に任せよう。
そう思った瞬間、目の前の地面が割れ、巨大化したメデューサが襲いかかってきた。
「がああっ!」
メデューサはその豪腕で、私たちを押し潰そうとしてくる。
だが、それは見切れない速度ではない。
私は舞うように攻撃をかわし、メデューサの背中に乗る。
そのまま血で生成した槍を突き刺し、一気に毒を注入した。
メデューサは口から泡を吹きながら、のたうち回っている。
そして、次第に動きが緩慢になっていった。
やはり、毒は効くようだ。
「お兄ちゃん! メデューサはワタシに任せて! 残りのみんなでグウェドを叩くのよ!」
「頼むぞ、ミネット!」
沈黙したメデューサはミネットに任せ、私とエルゼは父上のもとへと向かう。
途中、何回も狼人間に襲われた。
しかし、私とエルゼは止まらない。
彼らをなぎ倒しながら、父上の眼前まで突き進んだ。
「ほう、ここまで来たか。アンジェラ、少し離れていろ」
「わかったわ。負けることはないと思うけど応援してるわね」
「父上、お覚悟を!」
「義父上、今度こそ痛い目にあってもらうぜ!」
「私は決して君を義娘とは認めない! 何度も言わせるな!」
「アンジェラ! お前の相手はこのあたしだよ!」
「まったく、しつこい妹ね。そういうの嫌いって言わなかったかしら?」
父上を前にした瞬間、また肺が縮む。
だが前回とは違う。
今回は強狼剤を飲んだ、頼れる相棒エルゼがいるのだ。
私も同じく、濃縮血液で強化されている。
父上はその気配を感じているかはわからない。
しかしながら、私たち二人を前にしてなお、微動だにしていないのだ。
まるで山がそこに立っているかのような圧迫感だった。
だが、負けるわけにはいかない。
この街の命運は私たちにかかっているのだ。
「行くぞ、エルゼ!」
「やってやろうぜ、アデル!」
私とエルゼは臆することなく、父上と対峙した。




