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吸血鬼と狼女  作者: 松川スズム
第四章
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第三十二話 いつもの日常

 逢魔ヶ島から帰還して、数か月が経った。

 皆の傷もすでに癒え、以前と変わらぬ日常を取り戻している。

 誰一人欠けることなく、あの復讐を成し遂げられたことは、奇跡といってもいいだろう。

 私は皆に感謝の念を抱きながら、今日も喫茶ヴァンピールの看板を出す。

 さあ、今宵はどんなお客人が訪れるのだろうか。

 開店してから数分後、ドアのベルがチリンと鳴る。

 それが連続で続いた。


「こんばんは、マスター」

「マスター、新メニューが完成したと聞いて、駆けつけました」

「いらっしゃいませ、シノさん、ブルートさん」

「シノとブルートさんじゃねぇか。よく来たな」


 案の定、店を訪れたのは常連客である、シノさんとブルートさんであった。

 二人はそれぞれいつもどおり所定の位置に座る。

 エルゼは慣れた手つきで、お冷やとおしぼりを二人の前にそっと置いた。


「ありがとう、エルちゃん。マスター、いつものコーヒーと、新メニューのカツサンドをおくれ」

「私もいつものコーヒーと、カツサンド、食後に新メニューのフルーツサンドをください」

「かしこまりました、少々お待ちください。青梅、カツサンド二つと、食後にフルーツサンドを一つ頼む」

「承った。よーし、サクッと揚げてやるかのぅ」


 青梅は腕まくりをしたあと、カツを揚げる準備に取りかかる。

 下味をつけた下処理済みの地元産豚ロースに、小麦粉、卵、パン粉の順にまぶしていく。

 彼女の手つきは驚くほど正確だ。


 それを油に沈めると、ぱちぱちと弾ける音が店内を震わせる。

 衣が泡を纏い、金色へと変化していく様は、まるで魔法の儀式のようだった。

 私は淹れたてのコーヒーをシノさんに渡す。

 同時に、赤椰がブルートさんにコーヒーを運んだ。


 カツの揚げ色を見極めるのに、青梅は一切の迷いを見せない。

 彼女は金色になったカツを引き上げると、網の上で余分な油を落とした。

 すでに火にかけてあった湯気の立つ味噌だれを、ゆっくりとヘラでかき混ぜ、艶が出るまで温め直す。

 甘味と香ばしさが混ざり合い、店内に濃い香りが満ちた。


 食パンを軽くトーストし、片面にバターとマスタードを塗り、千切りキャベツを敷く。

 最後に、味噌だれがたっぷりと絡まったカツをサンドする。

 カツがパンに収まった瞬間、衣がさくりと小さく鳴いた。


「ほれ、できたぞ。熱いうちに食べるのが吉じゃな」


 青梅は満足げに息をつき、皿にサンドを静かに置いた。

 エルゼと赤椰は、それらを素早く二人に提供する。


「ふふっ、美味しそうだねぇ」

「おおっ、これが……」


 二人は感嘆の声を漏らしたあと、サンドイッチにかぶりつく。

 すると、カツの音が店中に響き渡る。

 一口食べると、二人は驚いたように瞳を見開いた。

 そのまま何も言わずに、もう一口かじる。

 目を細め、幸せそうな表情を見せたまま、最後まで完食するまでに至った。


「サクッと軽い衣を纏ったカツに、じゅわりと広がる甘い味噌ダレが非常にマッチしている。今日来てよかった、って思える味だねぇ」

「同感です。それに加え、カツを邪魔しないふっくらカリカリの食パンと、瑞々しいキャベツ。そして、食べ応えがあるジューシーな豚肉……。次回以降も食べたくなりますね」

「それはよかった。青梅、聞こえていたか?」

「はいはい、聞こえておるぞ~」


 青梅は、フルーツサンドを作りながら返事をした。

 嬉しかったのか、わずかに口角が上がっている。


「口に合ってよかったのぅ。練習した甲斐があったというものじゃ。ほれ、フルーツサンドもできたぞ」


 エルゼは、ブルートさんの前にフルーツサンドを運んだ。

 皿を置いた瞬間、フルーツサンドはそれ自体が小さな宝石箱のように見えた。

 白く厚い生クリームの間から、イチゴの紅がにじみ、シャインマスカットは透き通った翡翠色を灯す。

 キウイの淡い緑がみずみずしい光を散らす中、差し色として金色のマンゴーの薄切りが光る。

 店内の照明に照らされたフルーツたちは、まるできらめく光の粒のようだった。

 

 さすが青梅、フルーツサンドも完璧だ。

 私より本格的な料理歴が長いだけある。

 新メニューの開発に少し時間がかかったが、その甲斐があったというものだ。

 ちなみに私自身は、いまだにカツサンドを完璧に作れず、まだまだ修行中の身でもある。


「これは実に美しい……。さて、味のほうはどうでしょうか?」


 ブルートさんは、食べる前から頬をほころばせている。

 今日の彼の表情は、いつもよりわかりやすい。

 彼は一口目に迷いがなく、大口を開け頬張った。

 次の瞬間、彼の肩が小刻みに揺れる。

 そしてそのまま、鼻息を荒くしながら一言も喋らずに完食した。


「クリームがふわりと広がり、甘さの奥に隠した微かな香りが、優雅な余韻を作るようでした。そのあと、イチゴの酸味が弾け、シャインマスカットの瑞々しい音が響き渡る……。果物の味が全部違うのに、うまく調和がとれています。……大変美味でした」

「ありがとうございます」

「なんか照れるのぅ……」


 口の端についたクリームを指で拭いながら、ブルートさんは笑顔で話す。

 私はカウンター越しに頷いた。

 クリームはできるだけ軽く、甘さを抑えて作ってある。

 だからこそ、果物本来の香りが活きる。

 イチゴの酸味、マスカットの清涼感、キウイのほろ苦さ、そしてマンゴーの濃厚な甘み――どれも強さが違う。

 だが、順番に口の中で溶けていくように調整した。


「新メニューは成功のようですね。季節が変わったら、果物も変わりますよ。春には白桃も良いし、ブルーベリーなどもきっと映えるでしょう」

「それは楽しみですね」

「そんなに美味しいのかい?」

「安心しろ、シノ。味はアタシが保証する」

「姉さんの作るサンドイッチは絶品だよ、シノちゃん」

「エルちゃんと赤椰ちゃんが言うなら、本当だろうね。青梅ちゃん、わたしにも作ってくれるかい?」

「うむ、承った!」

「楽しみだねぇ……」


 青梅は嬉しそうに頷いた。

 今日もここには笑顔が溢れている。

 みんなの表情を見て、私は店を開いた意味を少しだけ思い出す。

 誰にとっても落ち着けて、癒しを届けられるような空間を提供する。

 これは、私が幼い頃から抱いてきた夢の一つだった。

 

 このきっかけを作ったのは私の父である。

 当時はよくカフェに連れていってくれた。

 そのことを鮮明に思い出す。

 あの頃も、カフェが私を笑顔にしてくれた。

 

 人や異形も根底の部分は一緒で、こういう一瞬のために生きているのだろう。

 私はその反応をこうして眺めることができる。

 それだけでも、夜の店に灯をともす価値があるというものだ。


「みんなこんばんは~」

「お兄ちゃん! 今日はお客さんとして来たよ!」


 続けて、モニカ、ミネットが訪れる。

 しかし、珍しくメデューサの姿はない。


「おっ、シノもブルートもいるじゃん。新メニューは食べた?」

「カツサンドは美味しかったよ。これからフルーツサンドに挑戦するところさ」

「私はどちらもいただきました。大変美味でしたよ」

「そうなんだ。立案者として鼻が高いな~。アデル、青梅、あたしにも頼むよ」

「ワタシも食べたーい。いい、お兄ちゃん?」

「もちろんだよ」

「了解じゃ」


 モニカはソファー席に座り、新聞に目を通す。

 一方、ミネットは目の前のカウンター席に座って、笑顔でこちらを見つめてくる。

 

「そういえば、ミネット。メデューサはどうしたんだ?」

「なんか今朝から大事な仕事があったらしくてね、まだ帰ってきてないの。すぐ戻るとは言ってたけどね」

「そうなのか。彼女がいないと寂しくなるな」 

「えっ、お兄ちゃん……? まさかメデューサのことが好きなの!?」


 ミネットは驚いたような声を上げる。

 また勝手に解釈して、誤解を生む発言を店内に轟かせたのだ。

 すると、エルゼと青梅がこちらに近寄ってきた。


「おい、今のはどういう意味だ、アデル?」

「酷いぞ、ご主人。うちらの間には、もう子どもがいるというのに……」

「えっ、子ども!? お兄ちゃん本当なの!?」

「もう勘弁してくれ……」

「また始まりましたね」

「あはは、アデルはホントによく燃えるよね~」


 本気で詰め寄るエルゼ、ただからかいたいだけの青梅、なんにでも過敏な反応をするミネットのトリプルセットが無慈悲に襲いかかる。

 発言を控えなければいけないのに、今日は油断していた。


「ねぇ、色情鬼さん? さっきの発言はどういうこと? ワタシ、聞いてないんだけど?」

「こいつの言うことを真に受けるな。ただ、アデルと一緒に開発したカツカレーを、子どもとのたまってるだけだ」

「二人の愛の結晶には変わらんぞ? すまん、おぬしらには無理なことだったのぅ……」

「くそっ、言い返せねぇ……! よし、これを機に、アタシも料理を始めるとするか!」

「なんか言い方が癪よね……。いいもん、ワタシもメデューサから料理を習うから!」

「カツカレーもあるのですか!? 私にも食べさせてください! お金ならいくらでも出します!」


 だんだん店内がカオスな雰囲気になってくる。

 さっきまでの心地よい空気を返してほしい。

 こうして、喫茶ヴァンピールの夜は更けていくのだった。

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